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「ネパールの丘陵地に住む人びとの伝統そば料理」メモ

本誌「そばうどん2021」~「ネパールの丘陵地に住む人びとの伝統そば料理」を執筆するにあたって参照した一次データ(非公開分)

ネパールのそば食文化体験記を書くにあたり、数々の資料を参照しているが、中でも最も重要参考としたのが、「そばうどん2021」1特集にもご登場いただいた、信州大学名誉教授・井上直人先生の師にあたる、日本のそば研究の第一人者、氏原暉男氏(信州大学)らによるデータである。これは氏原氏たちが実際にネパールで調査した一次データであり、端面を切り取った2次や3次データではないのでたいへん説得力の高いものと思われる。

●参照データ1

「Nepa1におけるソバ属(genus Fagopyrum)の分布と栽培現状について」

氏原暉男・俣野敏子
信州大学農学部 作物・育種学研究室
宮崎敏孝
信州大学農学部 砂防工学研究室

 筆者らは昭和50年度文部省科学研究費海外学術調査(現地調査)により,このようなネパールにおけるソバ属の分布や栽培現状に関する学術調査を実施した。
 調査は昭和50年9月下旬から11月下旬の約2ケ月にわたり,中・東部山岳地帯を中心に踏査し,野生種を含むそれぞれの種の地理的分布,作付上の位置,栽培方法あるいは在来系統の形態的特性などを解明することにより栽培ソバの成立や鹸種,系統の分化の実態を推灘する目的で行ったものである。ここでは,これら現地調査のうち,各種の地理的分布と環境条件との関係ならびに作付や栽培上の特性を中心に述べることとする。

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調査方法
 調査方法は上記の調査経路に沿ったソバ栽培圏,野生種においては自生地について,環境条件および外部諸形態の記録,測定を行ない,同時に各地において,栽培上重要な事項,例えば播種期,在島碍数,収量性,晶種の区別,利用法さらには他作物の作付状況など広範にわたり栽培着からの直接の聞き取り調査を実施した。また,各種,系統について措葉標本を作成するとともに多くの種子を収集した。

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●参照データ2

「ネパール山岳地帯の農耕システムにおけるソバの栽培現状とその重要性」(1997年「熱帯農業」より)

吉田 実・根本 和洋*・氏原暉男*・ 俣野敏子*・ビマール クマール バニヤ*2

岐阜大学連合大学院(信州大学)〒399-45長野県上伊那郡南箕輪村
*信州大学農学部 〒399-45長野県上伊那郡南箕輪村
*2 高地穀物研究プログラム カブレ,ドラカ部 ネパール

要約
ネパール山岳地帯でのソバの栽培現状ならびに農耕システムにおけるソバの重要性について論じることを目的として現地調査を行った。ネパールのソバ栽培種には普通ソバ(Fagopyrum esculentum)と種実に苦味を有するダッタンソバ(F.tataricurn)がある。ソバ栽培面積に対するソバ両栽培種の作付比率をみると、明らかに普通ソバが大きい地域や,逆にダッタンソバが多く作付されている地域 もあった。後者は現地の農家がダッタンソバの高標高地帯での高収量性,収量の安定性に着目した結果と推察された。低地のタライでは普通ソバは冬作物として栽培されており、中部山岳および山岳地帯では、両栽培種で秋栽培に加えネパール東部では春栽培が行われていた。山岳地帯におけるソバの栽培時期は普通ソバよりもダッタンソバの方で、調査地点による差異は大きかった。ソバは概して粗放な栽培がなされており、その管理が比較的簡単なところに利 点があると考えられる。また農耕システムでのソバの重要性をみたところ、ソバは生育期間が短いことからキャッチクロップとしての利用、労働力を分散する作物としての利用、表土をおおうカバークロップとしての役割、さらに輪作体系の中で、ソバとイネ科作物のローテーションは連作障害や除草の点から重要視されていた。以上のようなソバの作物学的特性が、現在も山岳地帯でソバ栽培が続けられている理由となっていた。さらに栄養学的面などから、ネパールにおけるソバの重要性は今後ますます高くなるであろうと推察された。

(以上、原文まま一部抜粋)

1990年代に、ソバの農業的合理性、薬効面での期待などについてしっかりと考察されていることから、少なくともこの時から、「ソバ=ヘルシー」という認識が強調されていることがわかる。

●ここからは僕カワムラケンジが整理したメモ

 ネパールで栽培されているそばは、普通ソバとダッタンソバの2種と多年生の野生種であり、食用としては普通ソバ。全耕作面積におけるソバ栽培地は約1.75%と推定。産地は亜熱帯気候に属するタライの標高70mあたりから、亜高山気候の標高3800mまでの幅広い間で確認されている。

 水稲は2300mまで、コーンや穀類は2500mほどで限界。ソバは2500m付近で盛んになる。3000m以上は、ソバ、ジャガイモ、麦類のみ。年二作の輪作体系では、ソバ、オオムギのみ。

 東部(2400m~3800m)はダッタンソバ、西部(2000m~3000m)は普通ソバの栽培が多い。食味としては普通ソバが好まれているが、地域によってはダッタンソバが多いところもある。理由は食欲不振の時の薬用として。普通ソバより葉が柔らかいからとのこと。ダッタンソバのほうが冷涼な山岳地帯の栽培に適している。特に理由はなく、両方を栽培している農家も多くある。

 栽培時期は、タライ地区の播種が10月下旬から11月、2月下旬に収穫。中部山岳、山岳地帯では8月に播種、11月に収穫の秋そばが一般的。だが東部では2月下旬に播種、6月前に収穫の春栽培も見られた。

 極西部には普通ソバの茎葉のみを食用とする地域があった。播種から一か月での収穫。この「極西部」とはラダック地方のインダス川沿いと推定される。後に、稲澤敏行氏たちによる調査で、同地区イスラム教徒だけの村、トゥルトゥク村(パキスタン国境暫定線から約10km)を訪れ、実際にソバの葉の料理を取材した様子が「そばうどん2017」に寄稿されている。

 標高2000m以上の西部、中西部、極西部、6~7月に播種、9月下旬から10月下旬に収穫。種実目的の平均栽培期間は3ヶ月で、他の穀類が4~5か月要するのに対して短い。韃靼そば(ダッタンソバ)はタライにない。韃靼そばは普通そばの百倍以上のルチンを含んでいる。

 ダウラギリ県ムスタン郡。カリガンダキ川沿いにあるタカリ族が住むエリア、タク・コーラThak Kholaは、規模的には小さなものの潅漑施設があり、ドルパDolpaのソバ栽培の多くは天水畑で行われている。播種準備は堆肥を畑に投入し、牛やゾパ(ヤクと牛との交配種)などを利用し、鋤で耕起。ソバの種子を散播後、覆土もしくは鎮圧を行う。

 ただし、Thak KholaとDolpaでの施肥量と潅漑の回数は大きく違う。Dolpaは潅漑設備がなく、降雨を待ってから播種をおこなう。つまり降雨が遅れると播種が遅れる。Thak Kholaは潅漑をもっている畑が多いので、降雨の影響をあまり受けることがない。よってThak Kholaは夏ソバが可能。Dolpaは自然の状況に応じて栽培を行っている。Thak Kholaはかなり高い堆肥投入量と潅漑が可能で、Dolpaはかなり厳しい栽培環境条件。このように、ネパールのソバ栽培は地域によって多様である。

最も一般的な調理方法
Dhindo。ソバだけでなくトウモロコシ、シコクビエなどでも同様の調理方法がある。またRotiやSukka Rotiも多い。これらは山岳地帯での主食。しかし現地の農民は毎回ソバを食べているわ けではなく、1日2食の食事のうち、朝夕どちらか一方をソバ、もう一方をコメ、小麦を食べている。

 原料は普通ソバ、ダッタンソバの両方あり。後者は苦味が強いのでジャガイモをすりつぶして混 ぜたり(Solukhumbu郡)、小麦粉を混ぜたりして苦味をやわらげることが多い。他にも様々なバリエーションがある。

 ネパール西部、Mustang郡のThakali族とネパール中西部、Dolpa郡のTakuri族には、ソバの多様 な調理方法があり、ハレの日やケの日など特別な日にソバを食べる習慣がある。ソバの茎葉を野 菜として食べる習慣がある(日本にはない)。雨期が始まる6月から7月まで野菜の端境期となり、特にこの時期に利用されることが多い。

 普通ソバ、ダッタンソバともに使われるが、この地域ではダッタンソバの茎葉が多く利用されている。理由は柔らかいから。

 タライ地帯ではインドへの輸出用としてソバは栽培されている。1980年前後より普通ソバが大規 模に栽培されてきたが、1990年前後をピークに、インドでの価格が低迷し、栽培面積は減少。

 換金作物としての風習は古くからあり、かつてチベットと交易が盛んだった時代、Mustang、 Dolpa、Solukhumbu各郡などは、普通ソバ、ダッタンソバ両栽培種を塩などと物々交換する作物 としての役割があった。しかし現在ではローカルマーケットで少量が流通する程度で、殆どは自家消費作物となっている。

 タライ地区出身のプジャさんのご実家の畑にもソバがあったというが、まさにこのことだ。

 ソバは自家消費作物として多様な調理方法が作り出されてきた。厳しい自然環境の山岳地帯では種実だけでなく茎葉を野菜としても利用。ソバはネパールの経済と食文化と深く絡み合っていることは確かである。


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