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「書譜」孫過庭

ある書道の先生とのお話の中で「書譜」が出てきたので、蔵書を引っ張り出して考えてみました。参考にしたのは、
「書譜」西林昭一 明徳出版社(1972)です。

概要
唐時代に書かれた書論で、王羲之をはじめとする能書家を評価し、書芸術の価値を論じ楷行草の学書法や技法を解説したものです。この中で孫過庭は調和の美を説いています。

精神と技法
精神とは精神を陶冶するという意味での「道」と技法というのは練習を重ねて得られた「技芸」を意味しています。これら二つを偏重しないこと。さらに、技法よりも天地のこころにもとづき、自然の理法のなかに書の本質あることが優位に働くとしている。そこには儒、道、易の思想が混然一体となって流れています。

自然の妙有

自然の妙有に同じくして、力運の能くなすところにあらず。

書譜 第二篇

四賢のような筆致は天地自然の造化と同じようなもので、人が努力して習えば成しえることではありません。これは老荘思想の「道」の概念であり、技法に捉われない必然的な運筆を理想としています。やはり優れた筆致の本質的な部分は天地自然の造化のエネルギーである「気」が媒体となって働いていると考えられます。

微を窮め、妙を測るの夫は、推移の奥賾を得んとす。

書譜 第二篇

西林昭一の訳では、あれこれひねるけれども、深遠な妙趣を追究する人は、構成よりも運筆の緩急抑揚などの変化における深い道理を会得しようとする。となっています。
変化の形ではなく、なぜそうなっているのかその理を追究するということでしょうか。

詎んぞ心手の会帰は、源をおなじうして派を異にするするがごとく、転用の術は、猶ほ樹を共にして条を分かつがごとき者なるを知らんや。

書譜 第二篇

精神と技法の融和は、書風というのは水源を同じくして支流が分かれるのと同様で、用筆法も、人によって異なるのはちょうど同じ幹に出る枝がその向きを違えるようなものだということを理解していないといっています。
要は普遍的なものが基本にあってそれを大きく逸脱して我流に陥ってはいけないということです。

気韻生動

凛ならしむるに風神を以てし、温ならしむるに妍潤を以てし、鼓ならしむるに枯勁を以てし、和ならしむるに閑雅を以てす。故にその情性を達し、その哀楽を形すべし。

書譜 第二篇

厳しさをもたせるためには溌溂たる生気により、温かさを持たせるためには、あでやかなうるおいをもって、躍動させるには、強い力を底にもち、静謐さを持たせるためには、ゆったりとした上品な気分をもつことである。こうなってこそ自分の心の本質に達して、喜怒哀楽という感情を作品の上に象徴することが可能なのである。

ということはやはり「気」のコントロールが大切だということですね。

今回、「書譜」が書かれた当時、問題となっていたことで、現代にも通じることがたくさんあることが分かりました。やはり時代を越えた名著ですね。


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