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南国の刹那主義に身を委ねる

タイはもうすぐソンクランという水掛祭りがある。もうすぐと言ってもあと1ヶ月ぐらいか。ソンクランが終わると雨季がやってくる。

タイには日本のような四季が無い。これについては各人の好みによって受け取り方が異なると思う。
 
私はタイのような基本的に年中暑い場所の方が好きである。寒いのがとにかく苦手であった。寒いのを我慢するぐらいなら、年中暑くて四季が感じられない方が良い。
 
四季は無いのであるが、先述のように雨季はあるので、一応、ああ、雨季が来たのだなとか、乾季に入ったなとか、そういう違いは感じられる。1年の季節の変わりを感じられるのはせいぜいそのぐらいだ。
 
この季節感の無さというのが南国的な刹那主義にも通じてくるのかと思っている。単純にいえば今さえ良ければそれで良いという刹那主義である。明日のことを考えない。寒い冬の到来に対して南国の人は備蓄しないなど、いろいろ言われる。その瞬間の刹那の快楽に身を委ねるなど。
 
これだけ現代世界というものがカオスになってきて、将来が予測できない時代になってくると、この刹那主義も案外、捨てたものじゃ無い気がしてくる。
 
ずっと昔、まだまだタイに来はじめの頃というのは、この南国の刹那主義にかなりの違和感を感じていたし、こういう刹那主義、快楽主義が南の貧困を生む原因になっているのでは無いかと、無邪気に夢想して、観念を弄ぶこともあった。
 
ところが時が流れていって、北の先進国の経済状態というものが、日本も含めてイマイチな状態がずっと続いている。
 
だからと言って、今こそ南の国の思想に学ぼう!などと言うつもりは寸毫も無いわけであるが、その土地で長くからある考え方というのは、やはり、歴史や気候に根ざしているだろうから、あまり外部からあれやこれやと分析を試みても仕方がないのかもしれないと思った。
 
ついつい、分析はできるような気はしてしまう。外国に暮らしていて比較文化という視点が無くなったら、面白く無いわけであるし、とはいえ、限界はあるのである。
 
 

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