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白昼夢(呪術廻戦if)

「…悟。白昼夢、って知っているかい」
「何を藪から棒に」

飲んでいたカフェオレの缶から口を離し、五条悟は訝しげに相手をサングラス越しに見詰める。
頬杖をつき流れゆく窓の景色を眺めながら、夏油傑はぽつりと呟いた。

ガタンゴトンと音を立てながら揺れる電車の中、いるのは五条と夏油と。
少し離れた席で七海と灰原が向かい合って座っていた。任務で疲れたのか、それとも、『全て』が終わった安堵からか。
灰原は窓に寄りかかり、七海は腕組みをして穏やかな寝息をたてている。

窓ガラス越しに映る景色は、今のところ長閑な田圃と民家がぽつぽつとある、どこまでも緑と青い空が広がる土地だった。

「白昼夢って…あー、何か幻覚みたいなもんだろ?」
「はは、まあ外れでは無いね。正解でもないけれど」
「なら何だってんだよ」

げし、と向かいに座る夏油の足をつま先で軽く蹴る。
足癖が悪いよ、悟、とこぼす夏油に、ふん、と五条は黙って足を組んだ。

「白昼夢って言うのは…覚醒している状態で、現実で起きているかのように夢を見ることだよ」
「相変わらず回りくどいな、傑。幻覚と何が違うんだよ」
「夢と幻は違うだろう?」

頬杖を崩し、窓から視線を外した夏油は座席の背もたれに体を任せるように体勢を変えた。
自然と、お互いに目が合う。

「…悟。もし私が高専に残っていたとしたら…どうなっただろうね」
「まあ…俺よりかはいい先生出来てたんじゃねえの?」
「それは違いないね」
「ぶっ飛ばすぞ」
「はは、言葉の綾だよ。…誰しもが悟のように呪力を自動で流せる訳では無いからね」
「…まあな」

五条は再度手に持っていた缶に口をつけ、ずず、とカフェオレを啜る。
ある程度口に含み、ごくり、と喉を通していく。それは、ほろ苦さと甘さとを纏って胃へと落ちていった。

「傑は、呪霊操術だよな」
「そうだね」
「呪霊って、味とかすんの?」
「生憎咀嚼したことは無いからね。…まあ、例えは控えるけれど美味しくはないね」
「だろうな」
「ただ、取り込むと分かるよ。…呪いは負の感情の塊だってことがさ」

ふ、と笑みを浮かべ、そっと腹に手を当てる夏油を、静かに見つめていた。

「私が教師になっていたら、生徒には臥薪嘗胆を教えるだろうね」
「なんだそりゃ。我慢強さってことか?」
「悟、臥薪嘗胆の成り立ちを知っているかい?昔、中国の武将が戦いに出た。そして負けた。その悔しさを、憎さを、忘れない為に、毎晩寝苦しい薪の上で寝て、最も苦い臓器と言われている胆嚢を舐めては復讐を誓ったそうだ」
「…うっへぇ」
「呪力や、それを操作する概念がなかった大昔から、戦いや争いはあって…それを非呪術師ばかりの時からそんな感情が垂れ流され妬みや苦しみで負のエネルギーが生まれる。宿儺が生み出された理由もそうだろう。…改めて人間は本当に怖いものだよ」

膝の上に腕を下ろし、顔を伏せ。夏油は両の指を合わせては手遊びをしていた。どんな顔をしているのか、その顔は良くは見えない。
五条はその姿をサングラス越しに見つめながら、またこくりとカフェオレを喉に流し込む。

敵は、呪いは、徹底して払う。
そのために強くなったし、授けられた無下限呪術を読み解き、使いこなし、呪力操作に関しては五条悟は最強を名乗るのに相応しい土台までにじりあがった。

だが、夏油はどうだったのか。
五条と肩を並べ任務に走ることも少なくはなかった。
五条悟と夏油傑という二人は、同級生でありながら良き友達で、良きライバルで、お互いの理解者だと思っていたのは自分だけだったのかと…缶コーヒーを口につけたまま五条は苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。


「…だから呪力を扱えねえ奴は邪魔だって発想に至ったのか?」
「それは…まあ……実際そうか。きっかけは天内の任務のことだ。そこから少し…私の中で呪術師と人間との関係性に疑問が生じた。そのもやもやをずっと抱えていた時に九十九と話をして……私が自分で出した結論だ。非呪術師…猿が居なくなれば、極論だけれど…呪霊を、呪いを生み出すこともない。実質、それが平和になる近道だと思ったんだ。菜々子と美々子を見た時に強く感じたよ」
「あ〜…あの任務か」
「あの二人は呪力が見える呪術師だ。あの年齢でね。それを理解できないと村八分のように虐げられていた。…理解できないものに恐怖する、そして遠ざけようとする。関わりまいとする。そしてその負の感情で呪霊を生み出す。そのサイクルを作っているのが人間で、非呪術師の姿だと思ったら…な」

ふ、と口角を上げ、面を上げる夏油。
迷いと、呆れと…後悔を綯い交ぜにしたような。
切れ長で真っ直ぐ相手を見つめていた夏油の瞳には、そんな感情が浮かんでいた。

あいつは優しすぎる、と五条は思う。
強くなれば守れないなんてものは無いと鼻を高くしていた自分とは違い、非呪術師を、人間を守るために力を奮ってきた親友がふと抱いた疑念。
何で、もっと早く『あんな行動』を実践する前に自分に相談してくれなかったのかと。
今更な考えが過ぎる。
いや、相談はしたのか。
いつだったか、夏油は五条に問いかけた。

術師のあるべき姿とは。
守るものとは。

それに自分はどう返したか。
吐き気がする、オッエーと身振り手振りまでして夏油に返答した時、あいつはどんな顔をしていたか。

「…悪かったよ」
「おや、珍しいね。悟が謝るだなんて。明日は雪でも降るかな?」
「お前なあ…」

はは、と目尻を下げ笑う夏油を見ながら、五条は先の戦いを思い出していた。
薄水色の六眼の裏に浮かぶのは、にやりと笑う、恵の体を好き勝手にしながら戦う宿儺の姿。
宿儺は強かった。一挙一動を取っても。
戦いの経験値では負けないと思っていた。
力量差も、呪力操作も、全てにおいて独りで最前を突っ走っていたはずの五条でも、背筋に悪寒を感じていた。
負けるかもしれない、という、悪寒。
そしてそれは当たった。当たってしまった。
だから、自分はここにいるんだろう、缶コーヒーを飲み干し、五条はガラス窓から景色をぼんやりと眺める。

五条も夏油も、七海も、灰原も。
纏う服は学生の時の制服だ。
電車に乗る前に言っていた、七海の言葉。

未来へ進むなら北へ、過去に戻るなら、南へ。
迷わず南を選んだと、七海は零していた。

いつも最前線を走ってきた五条自身が、教師の格好から学生服に身を包んで、袈裟着では無い夏油と共に、同じ方角へ向かう電車に揺られている。

きっと行先は南なのだろう、と五条は漠然と思った。

だから過去に戻っている。
皆の姿を見れば一目瞭然で。

ふと遠くに、見慣れた建物が見えた。
学び舎、都立呪術高専。
ここにいる同期で、教鞭を取れたなら…
五条はそんな未来を想像し、薄く目を細めた。
きっと…毎日が騒がしくて、喧しくて。任務をこなしながら、それでもそれぞれのやり方で生徒の伸び代を伸ばしては埋められていただろうな。
宿儺と戦う時も…傑が、七海が、灰原が、そばに居ただろう。
そう思いながら、五条は目を閉じた。

ガタン、とどこかへ向かう電車に揺られながら。

車窓から見えるのは、かつての任務で訪れた地だ。
遠くに、たまに近くに。懐かしい風景が見えては遠ざかっていく。

このまま平和だった過去に戻るのだろうか。
親友と肩を並べて呪いを学び、全力で任務をしていた頃へ。

「悟。白昼夢は、存在するんだよ」
「…はあ?」

カン、と窓辺に缶コーヒーを置く音が響く。

「このまま、君の可愛い生徒の前で、腹をぶった切られた程度で終わるのかい?」
「何を、」
「私の知る五条悟は、そんなに弱かったとは思っていないんだけれどね」

すく、と座席から立ち上がった夏油は、制服のサルエルパンツのポケットに両手を突っ込み、訝しげな顔をする五条を見下ろした。
その面は、いつもの、やれやれと困ったような笑顔を浮かべていた。

「悟。このまま、負けたままでいるつもりかい?最強を謳ってきた特級術師、五条悟の最期が、生徒の目の前で、腸(はらわた)晒して敗北して倒れた無様な姿だなんてさ。誰も見たくないんじゃないのかい?」
「んな事分かってんだよ。俺が1番…分かってんだよ」

ぐしゃ、と呪力を込めた手で、スチールでできたコーヒー缶を握りつぶす。

「行きなよ、悟。君はこの電車に乗ってちゃいけない」

ばっ、と五条が顔を上げると、いつの間に起きたのか、七海と灰原も座席の近くに立っていた。

「夏油さんの言う通りですよ。…呪いの王と対等に渡り合えるのは誰だと思ってるんですか。教鞭まで取っておきながら、あとは生徒にお任せですか?」
「そッスよ、五条さん。ヘマするのは、自分だけでいいんスから」

相変わらずの仏頂面で腕組みをする七海。
ヘラヘラと歯を見せ笑う灰原。

そして、背もたれに凭れながら、困ったように笑う、親友、夏油。

「やっぱお前ら、サイコーの同期だわ」

潰れた缶コーヒーを灰原へと放る。
おっとっと、と慌てたようにキャッチし、灰原はニコリと笑った。

「やっぱ、最強には最強で対抗だよな」

五条も座席から立ち上がり、グッ、と伸びをする。
サングラス越しの水色の瞳で、かつての同期たちを見つめ、軽く片手を挙げた。
それに、3人も同様に手を挙げ。

パチン、と手を合わせる音が車両に響いた。

そのまま電車の通路を、五条はつかつかと歩いていく。

「行ってらっしゃい、悟」
「ほら、早く行きなさい」
「今度は負けちゃダメっすよ!」

「うるせーな。わかってるっての」

サングラスをずらし、振り返り様に、ニッと笑ってみせる。澄んだ青が、細く、皆を見つめた。

「じゃーな。…今度会う時は……、いや、いーや。やめやめ。これは俺の妄想……傑の言う白昼夢だったってことだろ」

電車の昇降ドアの前に、ゆらりとゆられながら、どこへ着くかも分からない駅へと止まるのをじっと待つ。

勘でしかないが、そろそろ降りる駅が近いと感じる。

がらりとした電車の中で、3人がこちらへ向かって手を挙げるのに、ひらひらと後ろ手で振りながら。

五条の澄んだ青の瞳は、先の未来を映していた。
にや、と口角が上がる。
よくやってくれたよ、呪いの王サマよ。
生徒の手前、やっぱ格好は付けさせてもらわないとな。

電車のスピードが徐々に弱まっていく。

そろそろお別れだ。
これも全部、俺の……いや、傑の言う白昼夢と言うやつだ。
目を閉じ、電車のスピードが完全に緩まるまで壁にもたれ掛かる。

さあ、もう一戦と行こうか。

五条のその思いと共に、電車が。
軋むブレーキ音を立てて、駅へと、止まった。

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