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暑い。「自然にしとく」って何ですかね。


この間アルバイトで店先の雑草を抜いていて。蚊やありんこが活発になり始めて。
水道の水たまりにタガメが死んでしまって浮いていて。
店先を掃いていたらコガネムシが死んでしまっていて宝石みたいに落ちていて。
エアコンの排気が熱くて。
室内に戻ったらエアコン入れてるのにショーケースが結露するくらい暑くて。

「自然って何だろうなぁ。」
「何が自然なんだろうなぁ。」
と考えていました。

字義的な意味ではおそらく、
「人の手を加えないありのままの状態」とか言われるのでしょうけど。

ふつうに考えたら
雑草は生やしておくのが自然?
蚊やありんこを反射的に殺すのは不自然?
タガメやコガネムシがこの酷暑で干からびるのは自然?
それを片付けるのは不自然?

我々人間も自然の一部だ!って理解するならば、
雑草を引っこ抜くのは自然?不自然?
蚊やありんこを殺すのも自然?不自然?
エアコンを入れたり扇風機まわすのは自然?不自然?
農作物を育てるのは自然?不自然?

さっぱりわからなくなりました。

人の中には「自然」であることにこだわる人が割とおりますけど、
そもそも「自然」て何ぞや。

字義的な意味を大真面目にとらえれば、
我々は人である以上何をどうしても「人の手を加える」ことになるんじゃないか?
「自然にしておく」って、もう我々が人である時点で語義矛盾なんじゃないか?
人が死ぬことだけは自然かもしれないなぁ。

等々。

哲学や思想にも派閥や系譜がそれなりにあって、
「自然主義」とか「自然派」とか銘打たれることがしばしばありますけど、
「自然」が結論に持って来られる、という事態もまたしばしば。

自然にしよう
ありのままにしよう
っていうのがもう作為的ではないのか?
(哲学を勉強しているとこういう「無限後退」にけっこうぶち当たる)

「自然」を結論にするのではなくて、
「そもそも自然とは何か」
「自然であるとはどのようなことなのか」
「何を指して我々は『自然』と言ってるのか」
って、
そこのところを主題として問うて展開した著名な人ってほぼいないのではないか。
扱ってる人はたくさんいるかもしれないけれど。
そして「問い方」だってまだまだ未開拓。

私の伴侶(考えるとき指針にする哲学者)のショーペンハウアー使えばちょっとは展開できそうな気もしますが、
それは私がショーペンハウアーびいきだからでしょう。

哲学、ネタは全然尽きません。
雑草抜いてるだけで、
エアコン入れてるだけで、扇風機まわしてるだけで、
言うなれば生きてるだけで、
こんなにも問題含みなんですもの。

とりあえず、エアコン入れてしかも扇風機まわさないと脳みそ沸いて死にそうなくらい暑いですね。