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天気をただ褒めるだけのエッセイ


世の中から「天気」が消滅したら、会話の3割くらいは消えてなくなってしまうだろう。
というか、会話の入り口はほぼほぼ100%天気なので、本当に天気はすごい。

家を出るときも、家から帰ったときも天気の話をした。毎日会う同僚とも、久しぶりに会う友達とも天気の話をした。ドッジボールをした日も、受験当日も天気の話をした。フジロックでも、四十九日でも、千歳烏山でも、プーケットでも天気の話をした。

春夏秋冬、古今東西、老若男女、天気の話をした。テレビを点ければ明日の天気を伝えてくれるし、チャンネルを変えれば今週の天気を伝えてくれる。「天気がいい」という理由だけで、気持ちが昂った。「天気が悪い」という理由だけで、フラれた。

晴れの日、雨の日、曇りの日。どのパターンでも話題になる。晴れやかな笑顔、涙雨、心曇り。天気がヒトを表しているといってもいいし、それは神様の表情なのかもしれないし、全然違うのかもしれない。

晴れた日はあたたかくて、雨の日は寒い。陽射しが強いと眩しくて、風が当たると肌が冷える。そんな当たり前のことを入り口にして、今日も世界は回っている。

天気は本当にすごい。
あまり褒められることはないだろうけど、ほぼ全員の人が天気の話をできるというおばけコンテンツだ。おそらく世界共通言語で、未知の生物と出くわしたとしても天気の話をするしかないだろう。その事実を知って眠れなくなってしまったほど、天気はすごい。


さて、今日は誰と天気の話をしようか。

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