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「なけなし」の1500円の稼ぎが、「なけなし」でない理由


noteを始めて約1ヶ月が経ち、書き溜めていた分の投稿を含め30日連続投稿ができた。

たくさんの方に読んでいただき、スキやコメントのひとつひとつが本当に胸に染みた。

自分の書いた文章を人に見てもらうことは初めてだし、こんな無愛想一重冷徹男の僕の書く文章に似つかわしくない、あたたかいお言葉の数々に泣きそうになった。

自分で言うのもなんだが、僕は陽キャラに憧れてて無理した挙句、感情や思考が捻っくれてしまい、内側にある想いだけがどんどんと溜まってしまった。
メールボックスの下書きフォルダだけがいっぱいになり、一向に送信されることはない。

伝えたいことは山ほどあるけれど、どこか億劫になるし、でも言葉にしてみたい。
人に見せるのは恥ずかしいけれど、やっぱり書いた以上は誰かに見てもらいたい。

恋人へのラブレターに悩むメンヘラみたいな僕は、部屋の中を歩き回る。
繰り返した問答の末、いくら悩んでも答えは出ないと思い、とりあえず書くことにした。

そして、気付いたら43通ものラブレターを送信していた。
現実なら犯罪である。
こんな気持ち悪い男、「愛のバクダン罪」か「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけた罪」で捕まえてもらいたい。

さてはともあれ、その43通もの僕からのメッセージの中にありがたい返信がくる。

2回のサポート費として、1,500円いただくことができた。1回はコンテストの賞金として、もう1回は記事のサポート費として、頂戴した。
若輩者×浅学非才×青二才×10,000,000乗の僕なんかに(涙)。

たった2回、たった1,500円であったけれど、部屋で1人でニヤけるくらい嬉しかった。
改めてこの場で、感謝の気持ちを伝えたい。
本当に、ありがとうございました。

新卒で初任給を貰った頃を思い出す。
ATMで初めて口座を確認したとき、そこにあるのは1ヶ月分の労働の対価だけでなく、それまでの人生を全て肯定してくれるような、結晶のようなものがあった。
「初任給で親に何か買う」のは小っ恥ずかしくって、2ヶ月後にこっそりとプレゼントをあげたのも、いい思い出だ。

あの頃は働くのが当たり前で、給料が入るのも当たり前だと思っていた。
社会人2年目くらいまでは毎月ATMで口座の確認をすることが楽しみだったが、それも年数を重ねるごとに減っていった。

今では月にどれくらい入ってるかもよくわからない。おそらく、月の給料が入っていなくても気付かないだろうし、なんなら会社から取られてても気付かないかもしれない。
それくらい、気にならなくなってしまった。

そんな僕が稼いだ1,500円は、普通に働いて稼いだお金とはまるで重みが違う。
こいつ捻くれてるけど、まあいいか、と軽い気持ちで預けた可能性もあるが、僕にとっては大切な、何事にも代えがたい財産となった。

「なけなし」は「有るか無いか分からないほどわずかの」という意味である。
ATMに入金される1,500円は、確かに「なけなし」かもしれない。
それでも、この1,500円にはそれ以上の価値がある。
このお金で何を買おう、と10万円よりも使い道に悩んでいるが、せっかくなら記事になるような話題に繋がればなあとも思う。

「なけなし」のような人生だった僕だが、
ちょっとだけ、人生が面白くなってきた。

もし、私の文章に興味を持っていただけたら、サポートお願いいたします。いただいたサポートは活動費として大切に使わせていただきます。よろしくお願いいたします。