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唐揚げとバニーガールと中野の夜【中央線各駅を巡る夜 ①】


僕が記憶している限り、中央線沿いで初めてそういうお店に行ったのは中野だと記憶している。そもそも、そういうお店に行った経験も、それまでに2回程であったと記憶している。
いや、3回、ん、4回?5回?
まあ、数回程度である。記憶とは曖昧なものだ。

そこまで経験が豊富ではない僕だったが、もちろん興味はあった。
それまではビキニキャバクラやビキニキャバクラ、あとはビキニキャバクラなど、割と特殊な店ばかりで、ノーマルなお店に入ったことがなかった。別に僕がビキニ好きなわけではなく、たまたま歩いた先にビキニキャバクラがあっただけである。毎回。
「犬顔も歩けばビキニキャバクラに当たる」である。

その日は中野に出張に来ていた。
そのとき勤めていた会社での出張は、埼玉や千葉など郊外への出張が多かった。
複数人での出張になるため、仕事終わりの飲みの席は欠かせなかったのだが、遠距離且つ見知らぬ街のせいか居酒屋一件で終わるケースがほとんどであった。

しかし、この日はサブカルの街・中野。
「中野サンプラザ」や「中野ブロードウェイ」など独特な文化の街として知られるが、夜の街としても呼び声が高い。

僕は仕事終わりの夜の街巡りを、密かに楽しみにしていた。見たこともない中野の街並みを想像して、仕事はまるで身につかなかった。
おそらく、このとき何を言われても僕の耳には入っていなかっただろう。
上司はもしかしたら僕に何かを伝えていたかもしれない。めちゃくちゃ怒っていたかもしれない。「犬顔の耳に上司の怒号」である。

そんなこんなで仕事を終えた僕らは、『珉珉』という中華料理屋で一軒目の宴を開いていた。
そこは焼餃子を筆頭に、油淋鶏や空芯菜、麻婆豆腐など、熱くて辛いものがとにかく美味しく、それをビールで流し込むのが最高だった。
庶民的な店内の雰囲気も、お酒のペースを早めるのにうってつけだった。
僕らは次々と運ばれてくる料理とお酒を着実に処理しつつ、視線は次を見据えていた。
皆、中野の夜へ迷い込みたかったのだ。

店を出た僕らは、男三人で飲み屋街を彷徨った。
居酒屋やキャバクラの客引きで溢れ返る狭い通路を、肩を内側にぎゅっと寄せながら歩く。
私はそんなお店に興味がありませんよ、これから文庫本でも買って家に帰るのです風な顔をしながら、どこに入ろうかガンガン見定めていた。
おそらく、他の二人も同じ顔をしていただろう。
「三人寄れば、ムッツリスケベ顔」である。

繁華街も終わりに差し掛かったとき、僕らの目に黄色い看板が飛び込んでくる。

『からあげバニーガールのお店』

ド直球だ。
店名の横には、バニーガールが唐揚げを運んでくれるお店です、とあった。
そのままである。

なんてわかりやすいコンセプトなのだろうか。
バニーガールも唐揚げも好きな人は皆行くだろう。バニーガールだけが好きな人も皆行くだろうし、唐揚げだけが好きな人も皆行くだろう。
そして、日本の男性でどちらにも当てはまらない人は、存在するはずもない。
要するに、男性を名乗る以上は、このお店に入らざるを得ないのだ。

お店の前で悩む時間はほぼなかった。
会議はいつも長いのに、こんなときだけ即断で決まる。僕らはお店のある二階へ上がった。
「ムッツリスケベと煙は高いところへ上る」である。

そこは、今まで見たことないような雰囲気の店内だった。明かりは薄暗く、どこかエロティックで、何かいけないことが始まりそうな予感がプンプンに漂った。料金の説明をされ(もはや誰も何も聞いていなかったが)、席に案内される。
僕らはドキドキしながら時を待つ。
アツアツの唐揚げと、アツアツのバニーガールを。

そんな期待をよそに、いくら待っていてもどちらもやって来ない。よく考えたら、まだバニーガール自体一人も見ていない。
そう、僕らの他にお客さんはいないのだ。

だんだん不安になってくる僕らの元に、ようやく女性の姿が見える。
バニーガールだ。僕らは安堵する。
それなりに可愛く、少しずつ微笑みに変わる。



…が、その微笑みは、一瞬で曇る。


自己紹介をした名札には、中国名。
カタコトの日本語が耳に入る。

なるほど。


でも、たしかに日本人が持ってくるとは誰も言っていないし、バニーガールが日本人限定なんてルールもない。むしろ、バニーガールと英語でいうのなら日本人は相応しくない。日本人ならうさぎ少女でいい。

そんな邪念に塗れても、現実は目の前で繰り広げられる。その中国人は愛想が良いわけでも悪いわけでもなく、ただそこに存在するだけであった。
僕らは質問することに徹底した。
その質問の中身を何も覚えてないくらい、空虚な質問だった。ずっと空を掴むような感覚だ。
与えられた時間を盛り上げようと必死になる僕らだったが、ふと思い出す。

もう一つの売り、唐揚げの存在。

僕らはこの場を唐揚げに託すことに決めた。唐揚げは全てのフロアを上げることができる。
からあげDJアゲ太郎である。

ボーイさんを呼んで、唐揚げを頼む。
すると、予想外の答えが返ってくる。


「すみません。今日唐揚げがなくて、おでんしかないんですよ」


この回答に愕然とする僕ら。
なんとか答えられる気力のあった誰かが、振り絞るように「じゃあ、おでんで」と呟く。
もはや代用品としておかしいのは明らかである。唐揚げの代わりにおでんを頼む人がいるだろうか。これじゃフロアも上げられない。

僕らはアツアツのおでんを瞬時に食べ終え、店を出ようとした。あたたまる体と反比例するかのごとく、気持ちはヒエヒエだった。
駆け足で階段を降りる。相も変わらず飲み屋の声が行き交う外の空気に、なんだか安心する。

広がる中野の街並みには、唐揚げよりも、バニーガールよりも、ずっと魅力的で、永遠に消えないような宵の匂いがあった。

この後、普通のキャバクラでめちゃくちゃ遊んだことは言うまでもない。
豪遊の限りを尽くせたのは、バニーガールから唐揚げを貰えなかったおかげである。


いつか、バニーガールに唐揚げを食べさせてもらう夜を夢見て。

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