「俺なんか」で始まる台詞は、全部抱きしめて。



まずは、一人称の話からである。

文章を書くときは「僕」を使用している。
これは、普段の口調で「僕」と発しているからではない。むしろ、「僕」の二文字は発しないようにしている。

口に出すときの一人称は、会社では「私」「自分」、家族や友達と話すときは「俺」が多い。
年上の友達と話すときは「僕」と称することもあるが、やはりあどけなさを見せる部分が恥ずかしく、多用しないように心掛けている。

社会人になったとき、自分が一番何が変わったのかを考えてみた。
スーツに着替えた。所属が決まった。デスクと内線がもらえた。肩書きができた。
何者でもなかった僕も、少しずつ身に纏うものが増えていった。


「私の彼女、ド変態なんですよね」


飲み会で一つ二つくらい上の先輩が、自然と「私」を一人称で使っていたのが印象的だった。
しかも、仕事とは関係のない、プライベートの、しかも恥ずかしい話にまで「私」をつけて話をする。このアンバランスさに違和感を覚えながらも、なんかカッコ良かった。
その姿こそが、僕の憧れていた社会人に近いものを覚えた。

どんな変化よりも、一人称の変化。
これが一番の社会人ぽさを表す象徴だと、社会人への第一歩だと、勝手に決め付けた。
この日を境に、「僕」は卒業した。

背伸びをした僕は、ことあるごとに「私」を使った。言わなくてもいいのに、「私は〜」から話し始めた。
主語の省略は日本語の利点とも言えるのに、新しく手に入れた主語を強調した。
「私はペンを持っています」「私はサッカーが好きです」「私は16時に東京駅に到着予定です」
中学の英語の教科書に載っていた和訳に紛れていてもわからないくらいの強調構文だった。
「私は」ノックを打ち続けた結果、なんとなく染みついてきて、ようやく社会人になれたような気がした。

そんな中、ちょっぴり中性の先輩が休憩中の団欒で、「俺」と言った。
その先輩はもちろん仕事中は「私」であったし、「俺」を使うことのなさそうな人柄でもあった。
その自然と放たれた「俺」も、またカッコ良かった。普段は言いそうにない、そのギャップがまた憎く、逆に男らしさを感じさせた。
ふむふむ、たまに口に出す「俺」は効果倍増…と覚えておく。
未だに使い所のタイミングがわからず、この武器の鞘は収めたままである。
いつか抜ける日を、心待ちにしている。


話は逸れたが、文章を「僕」にしているのには理由がある。
単純に等身大の自分を表す最適な一人称が「僕」であり、客観的に読んでみても「僕」の文章は「私」や「俺」が書きそうにないからである。
「私」は真面目すぎる、「僕」はそこまでしっかりしていない。
「俺」はやんちゃすぎる、「僕」はそこまではっちゃけていない。
他にも一人称は存在するが、やはり「僕」が「僕」であるのだ。「僕が僕であるために 書き続けなきゃならない」と、世代の人であれば、このサンプリングに気付いてもらえるだろう。
他の文章を読んでもらえるとわかると思うが、僕の書いた文章は、「僕」でしか成り立たない世界観を表現しているのだ。


「俺なんか、全然だよ」

そんな僕が、たまたま友達とLINEをしていたときに打った文章。
思い返してみると、「俺なんか」と口癖のように言っていた記憶がある。
「俺なんか結婚…」「俺なんか転職…」「俺なんか所詮…」
この先を結ぶ言葉が、マイナスになることは一目瞭然である。
そう、僕はネガティブ思考なのだから当然だ。

「俺なんか」で始まる台詞は、全部「そんなことないよ」で返してほしいための伏線とも言える。
ネガをポジで返してもらい帳消しにすることで、満足感を得る。
まあまあめんどくさい人間なのだ。
友達各位。もし僕がカルタで「俺なんか」と上の句を読んだら、千早のような速度で「そんなことないよ」をはたいてほしい。
そうもしないと泣いてしまうので。
まあまあ弱っちい人間なのだ。


ただ、「俺なんか」は完全に無意識から出てきた言葉である。
「俺」と名乗れる人は友達しかいないし、弱音を吐ける人もそうそういない。
口にした回数は多いかもしれないが、そこまで許せた人の前でしか言っていないと思う。
この人なら、否定せず、心からの「そんなことないよ」を返してくれるだろうと。
その期待感があったからこそ、「俺なんか」が自然と漏れてしまったのに違いない。

「俺なんか」は強がりでもある。
「俺なんか」は弱がりでもある。
「俺なんか」は謙遜でもある。
「俺なんか」は自慢でもある。

伝えたい想い、隠したい想い、でもやっぱり伝えたい想い。
二転三転した結果、「俺なんか」と始めたくなるときがある。
その誰も知らないストーリーの中に、自分自身で抱きしめたくなる想いが少なからず含まれているはずだ。

過去に何があったかはわからない。
電波を通ってこの想いが伝わるかはわからない。
でも、もしかしたら、同じくらいの愛で抱きしめてくれる人がいるかもしれない。

もし、仮にいなかったとしたら…

「僕」が「僕」だけの、「俺なんか」を全部抱きしめたい。

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