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ガールズ・ドント・シャイン


冬のティッシュ配りほど寂しいものはない。


夜の高円寺駅南口。
私たちにとってのゴールデンタイムは会社帰りのサラリーマンが行き交う夜の9時から12時。
1軒目に安い居酒屋で引っかけて、足をふらつかせながら歩く男達。2軒目はどこへ行こうか、3軒目は楽しもうか。そんな話をしているかはわからないが、上機嫌に前を通り過ぎる男達。

ぶかぶかのスラックスを履いたおじさん、ピッチリしたスキニージーンズを履いたパリピ、色の淡いベージュのチノパンを履いた大学生。
下半身を見ただけで人となりがわかるようになり、下から上へと視線を伸ばして答え合わせする。こういった場所に興味がありそうな顔も、なさそうな顔も、結局は一緒くたにして呼び込みをする。

「ガールズバー、いかがですかー?」

明るく、笑顔で、元気良く。
店長に教えてもらった3原則。そう心掛けても、ベンチコートに入る隙間風が身に染みて、声が震えてしまう。厚手だけど限りなく薄く見えるということで買った黒タイツは、この寒さに通用しないようだ。

1月の東京の夜の気温は5℃を下回ることがほとんどで、身体を動かさない分もっと寒く感じる。駅前の人目に晒されるだけでも立ってるのがやっとなのに、風は冷たく攻撃する。

伸ばした手に止まる人は皆無といっていいほどなく、私のことがちゃんと見えてるのか不安になる。あまりの寂しさに身体が透けてしまっているんじゃないかと、両手を擦り合わせる。そんなことを考えていたらたまに私の方をちらりと見て会釈する人もいて、その冷たい眼差しに反したあったかい心遣いに胸が痛くなる。

数分おきにやってくる帰宅ラッシュの波をひそやかに待つ。手だけ伸ばして、細い声を張らせ、白い息を吐きながら。

そのときだった。
ティッシュが急に奪われた。

私も渡そうと手を伸ばしているのだから「奪われる」という表現もおかしいのだが、強引な持っていき方だったのは間違いない。呆然と立ち尽くす私の前には2人のサラリーマンがいて、そのうちの1人がティッシュをまじまじと見ながら声を掛けてくる。

「お姉さん、カワイイ子いるの?」
「はい!若くてカワイイ子がたくさん揃ってますよ」瞬発的に、精一杯の明るい声で返す。
「お姉さんよりカワイイ?」
「はい!私よりもぜんっぜんカワイイですよ」私はこの2往復のやりとりで、なんとなく次にくる言葉が予想できた。


「そりゃ、そうじゃなきゃ困りますよ」

その男は真顔で返し、後ろのもう1人の男が噴き出した。2人とも20代前半といったところだろうか。これといった特徴のない顔つきだが、スラっと伸びたスタイルにスーツの着こなし、目元まで伸びた髪の毛は社会人ぽくないが、イマドキぽい。

動物に例えるとすれば、キツネとヘビに前髪が生えたようだ。後ろのヘビ男は笑いを堪えるのに必死で、ダダ漏れた声につられるようにキツネ男が噴き出す。

「お姉さん出てきたらさすがにぼったくりですわ」

その一言でヘビ男も声高らかに笑う。もはや嘲笑を通り越して爆笑する2人の細目に、私は「すいません……」となぜか声小さく謝った。

甲高い笑い声は遠ざかり、俯いた視線の先にはティッシュが落ちている。どんな動物よりも恐れていたような人間はもうおらず、いつの間にかひとりに戻っている。

ほっとして顔を上げる。人通りは落ち着いて、帰宅を急ぐ人達がちらほらと前を横切る。スマホで時間を見ると22時を少し過ぎている。黒くなったロック画面に私の顔がぼんやりと映る。

ハッキリとわかる一重に低い鼻、頬骨の出た輪郭に口元のほくろ。コンプレックスの塊のような私の顔は、誰の目から見てもかわいくはない。愛嬌があると言ってくれる人も中にはいるが、お世辞だと思ってならない。

この世界に入るまではそこまで気にしていなかったのだけれど、お店に入って煌びやかな衣装を着て周りを見回すと、劣等感に苛まれる。
華やかな舞台とそれに見合ったキャスト、の1人のはずの私。当然のように指名はつかず、「ヒカリ」という源氏名だけが虚しく光る。

店内に私の居場所はなく、駅前のこの場所が定位置となった。暑さに耐え、寒さに凌ぎながらもうすぐ1年を迎える。私はこの1年ですっかり見慣れたイルミネーションで涙が出そうになったが、また人の波が押し寄せてきて、ぐっと踏ん張る。

1人のヒトは足早に、2人組はゆるゆると、3人グループはゆうっくりと、帰りの時間さえ余すことなく楽しもうとする。そんなバラバラの速度の法則から外れた1人のヒトが、ゆうっくりと私に近づき話し掛けてくる。

「お姉ちゃん、ティッシュちょうだい」

手を差し出してきたのは、1人のヒト、いや、1人の子供だった。私はビックリして、しゃがんで目線を合わせる。ちいさな男の子は目をまん丸くさせて、私の目をじっと見つめる。

パッチリ二重でどこか冷たい目をしたその男の子は、ラコステのセーターが様になっているほど上品に見える。瞳の奥にある世界で誰かが私を試しているようで、なぜだか目を見るだけで緊張してしまう。

「ぼく、なんでこんな時間に出歩いてるの?お母さんは?」
「塾の帰りだよ。今から帰るところ」

最近の子供はこんな時間まで塾に行っているのか。おそらく小学生だろうに、10時過ぎまで勉強するなんて。私の子供の頃では考えられない。10時を過ぎてまで1人で出歩いたことなんてあっただろうか。

「お姉ちゃんは?なんでこんなところにひとりでいるの?」
「私は仕事だよ。これでも、れっきとしたお仕事」
「ふうん。お仕事、楽しい?」

私はその純粋無垢な声に対して、咄嗟に嘘をつくことはできなかった。

「うーん、楽しくは…ないかなあ」
「そっかあ、仕事って楽しくないんだね」
「どうなんだろ、人によるんじゃないかな」
「でも、お父さんもいつも楽しそうじゃないかなあ。朝に会社行くときも、夜に帰ってくるときも、楽しそうな顔はしてないよ」
「そうなんだ。じゃあ、みんな楽しくないってことかもね」

こんな適当なことを言って、誰かに叱られないだろうか。仕事が楽しいかなんて、私に訊かないでほしい。お父さんだって楽しくないに決まっている。こんな時間まで息子に勉強させるような家庭だ。きっと社会に出ることの厳しさも叩き込んでいるに違いない。その上で塾に通わせているのだろう。

「そうなんだね。なんか大人になりたくないって思っちゃうね」
「うーん、それもそうかもね」

私は一体、何を話しているのだろうか。
早く大人になりたいと思わせるような、希望を持たせるような話をすればいいじゃないか。
帰り道に少しでも明かりを灯すような、家に帰って笑顔で話せるような、優しい時間を作ってあげればいいじゃないか。
相手は子供なのだから、適当にあしらって、誤魔化して、嘘ついてでも、 夢を見させるようなことを言えばいいじゃないか。


こんな大人にだけは、なりたくなかったのに。

私は結局、持っていたポケットティッシュを差し出すことしかできなかった。『飲み放題』やら、『おつまみサービス』やら、『カラオケ・ダーツ有』やら、楽しそうな言葉が並んだちいさなティッシュに、「ごめんね」と言葉を掛け、男の子に渡した。

「お父さんに渡したら喜んでくれるかな?」
「うーん、それはどうだろ」
想像してしまって、私は思わず微笑んだ。
「あ、やっと笑ってくれた」
「え?」
「お姉ちゃん、ずっと暗そうな顔してたし、ティッシュ貰ってあげたら喜んでくれるかなって」

私はまた泣きそうになったけど、ぐっと堪える。ヘビとキツネに泣かせられるならまだしも、こんな人間の子供に泣かせられたらたまったもんじゃない。本当は泣き出したいほど感情は込み上がっているけれど、まだ仕事中だ。
明るく、笑顔で、元気良く。よし。

「うん、ありがとう。これがお姉ちゃんの仕事だからね」

男の子は「バイバイ」と手を振り、暗闇の向こうへ走っていった。私はあの子にとっての光となることはできただろうか。
もし、次に会ったときに声を掛けられないように、もっと笑顔にならないと。仕事が楽しいって答えられるような大人にならないと。


誰かが喜んでくれることを望む男の子に、
今度は眩い言葉を掛けられるように。

胸にはネームプレートが掛かり、夢と希望を詰め込んだような源氏名がある。
一体、私はお客さんではなく誰を呼び込んでいるのだろう。ティッシュと一緒に何を配っているのだろう。冷たい風に吹かれながら、1枚、2枚と、薄っぺらいティッシュペーパーをめくりとっていく。


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