幸せの138ページ目
「幸せについて本気出して考えてみた」というポルノグラフィティの曲が昔あった。
幸せの定義とか本質についてはよくわからないので、そちらはプロの哲学者や心理学者に任せて、僕にとっての幸せを本気で考えて、書き出してみる。
金曜日の夜に三軒くらいはしごするとき。
休日に早く起きて、二度寝して、朝ご飯食べて、三度寝するとき。
大好きな音楽を聴きながら隣駅まで散歩するとき。
お洒落な街を歩いて、お洒落だなぁって思うとき。
本屋さんで並ぶ本のタイトルを眺めているとき。
大衆居酒屋で昼からビールを飲んでいるとき。
箇条書きでどんどんと書き出してみても、書ききれない。
ページをめくる。書く。
ページをめくる。書く。
10ページ。30ページ。50ページ。100ページ…
幸せってもっと漠然と、大きなものかと思っていたので、こんなに細々とたくさん出てきたことに驚く。
子供がいる人は成長を見届けられる幸せとか、恋人がいる人は一緒の時間を過ごす幸せとか、夢がある人はがむしゃらに追いかける幸せとか。
それぞれの幸せは、それぞれの人生のページに、それぞれの想いで、刻まれる。
ページ数が一枚だけの人もいるし、何百ページにもなる人もいるだろう。
そこに、善し悪しはない。
小さなことでも幸せに感じる人もいれば、何か大きなことを成し遂げたときに幸せを感じる人もいるだろう。
僕は前者だ。書き出したらキリがない。
ただのハッピー野郎なのか。
それとも、意外とポジティブなのか。
物心ついたとき、幸せのハードルを低く設定したのか。
書き続けてたら、138ページ目。
電車で目の前に立つ女の子がめちゃんこかわいかったとき。
スーパーで買い物した帰り道、綺麗な夕焼けが見えたとき。
暑い日に帰宅してマスクを外して、深呼吸したとき。
ペットボトルゴミの日の前日に、丁度2リットルのペットボトルを飲み終えたとき。
クーラーでガンガンに冷えた部屋で、半袖半ズボンの格好で布団に包まるとき。
面白い本のページをめくるとき。
noteでお知らせが5件くらいきてたとき。
全ての人にとって、ささいなことが、幸せに感じられる世界でありますように。
幸せに感じる瞬間を忘れないで、今、生きているとき。
138ページ目を書き終え、ページをめくる。
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