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雨の結果論


空を見上げる。
ずっしりとした雲が空を覆う。
仄暗いどんよりとした雲から無数の雨粒が落ちる。
どんどんと数が増えていき、小雨から本降り、大雨と変化していく。
下を見ると雨で濡れたコンクリート、湿った土、水溜りの模様。
当たり前のことだが、素肌に触れると冷たい。
髪に乗ると濡れる。服に当たると湿る。
傘を差さずにいると雨を感じることができる。

「雨か、嫌だな」
「えー、明日雨か」
「雨降ってる?最悪」

雨が降ると必ずと言っていいほど聞く会話だ。
雨は誰のものにとってもいいものではない。
みんなから嫌われ憎まれ、悪者扱いされる。


ただ、結果として、雨に救われる人もいるのではないかと、ふと思う。

世界中すべての国で雨が降ったとして、どこかの国でその雨を待っている人がいるかもしれない。
当然のことだが、雨が降らなければ傘は売れない。雨が降ることによって、食べていける人がどこかにたくさんいる。
農作物だって雨が降らなければ育たない。
雨が降ることによって、咲く花もある。

例えば、雨に降られ、髪や服がびしょ濡れになる。
例えば、雨に濡れたくないから、いつもの道とは違う道を通る。
例えば、雨を避けるのに、電車じゃなくて車で通勤する。
例えば、突然のにわか雨で、駅でビニール傘を購入する。
例えば、お出かけしようと思ったが、雨が降っていたから家で過ごす。


雨は人の行動を簡単に変えさせる。
雨が降ることで人生は少しずつ少しずつ動いている。一滴、一滴と降る雨粒のように。
これをいいことと捉えるか、悪いことと捉えるか。

びしょ濡れになった人に傘を差し出す人が現れて、温かい出会いが始まるかもしれない。
いつもの道とは違う道を通って、新しい発見が生まれるかもしれない。
乗るつもりだった電車が脱線して、命の危機から救われるかもしれない。
購入したビニール傘を電車に忘れ、誰かが拾って、また忘れ、誰かが拾って、の繰り返しで、巡り巡って誰かの人生に間接的に参加しているかもしれない。
家にいたからこそ、幸せを感じることもあるかもしれない。

僕の頭上には雨雲があって、雨が降っていて。
おそらく、誰かの頭上にも同じように雨雲があって、雨が降っていて。
僕にとっての雨の捉え方がすべての人に通ずるかはわからない。


仄暗いどんよりとした雲が、遠くにいる人にはどう見えているのだろう。

さみしい雲かもしれない。
やさしい雲かもしれない。
美しい雲かもしれない。
大人しい雲かもしれない。

太陽を隠す雲にも、いろんな見え方がある。
大地を濡らす雨にも、いろんな考え方がある。
それは必ずしも、マイナスの方向ではないだろう。


地球のどこかでこの雨で人生が晴れやかになっている人を想うと、濡れるのも悪くない。
雨上がりの世界を待って、一滴一滴を噛み締めてみる。
結果、雨が降ってよかったな、と思えれば、この雨模様も綺麗だ。


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