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最後の前説


これは、24年間という長い芸人人生の、たった20分程度の短い物語である。

今から24年前、19歳のときに一人漫談のスタイルで芸人人生をスタートさせた。
大学を一年で中退して、親の反対を押し切り、半ば強引にお笑いの門を叩いた。
お笑い芸人になる。目の前の人を、TVの前の人を、日本中、いや世界中の人を笑顔にする。ちいさい頃からの夢を捨てきれなかった。
バカな言い訳、ガキの考えを押し通して、芸人として生まれ変わる決意をした。

芸名は田中ゼロ。


本名の田中と、ゼロから勝負する、生まれ変わる、という意味合いでゼロを名前に選んだ。
ゼロからのスタート。もちろん給料も、仕事もファンも、ゼロから。
僕のことを知っている人など誰もいない。
まさに背水の陣で挑んだ、一世一代のチャレンジだった。

元々喋るのが好きで、人を笑わせるのに生きがいを感じていた。
友達や恋人も話が面白いと言ってくれて、だんだんと自信がついて、いつしか口が僕の長所になった。
この口で、この鬱蒼とした世の中を少しでも明るくしたい。
その願いがすこしずつ、すこしずつ実ってきた。


世の中のおかしな風潮や日常的な風景、店員とのやりとり、あるあるネタなど。
面白いと思ったことは全て取り込んで、話のネタにした。いろいろなジャンルのネタを行ったり来たりするジェットコースターのような漫談で、そのスピード感についてきてくれる人が増えた。
テンポが良くて面白い、スリルがあって面白い、なにがなんだかわからないけど面白い、といろいろな人が評してくれた。
その声が聞けただけで幸せに感じた。

そのうち、たくさんの舞台で漫談を披露することができた。
ちいさい劇場や地方のショッピングモールの営業、大学の文化祭や危ないパーティーのイベントなど。
晴れの日も曇りの日も雨の日も雪の日も、口を回した。
スベったときも、大爆笑のときも、ややウケのときも、人がいないときも、大切な人が見てくれたときも、喋りまくった。
この口だけが僕の武器だった。
『口だけじゃない』と、口だけで証明した。


いくつもの舞台を経験して、乗り越えて、ようやくひとつ、チャンスを掴んだ。
国民的バラエティ番組の前説。
大御所芸人が司会のトーク番組。これまでに務めた芸人は皆ブレイクしていった登竜門とも言われている。
通常はコンビの芸人が多いのだが、ピン芸人としての抜擢は異例だった。
僕はこの大役に意気込み、たくさんのネタを仕込んで臨んだ。


前説という仕事はおよそ20分で会場をあっためる、いわば前座だ。
大爆笑をとるというわけでもなく、番組の本番を気持ち良くお客さん、司会者が迎えられるように、たくさん笑える環境を整えなければならない。
拍手させ、顔の表情を緩ませ、声を出させ、リラックスさせ。
この本番の前の数十分で番組の成功の全てが決まると、それくらいの熱意だった。


しかし、なかなか思うようにいかず、プロデューサーから怒られることや、大御所の大先輩から慰められること、自分の本意でなく終わってしまうことも度々あった。
それでも、約10年間という長い期間、番組の前説を務めさせていただくことができた。
たくさんのお客さんの笑顔、冷たい目、喝采、シラけ、拍手、さまざまなリアクションを感じることができた。
その分、前説という独特な雰囲気に慣れてきてしまった自分がいた。
経験はマンネリという言葉に変わり、僕の奥底にある何かを歪めさせた。

そして、今日、これが最後の前説になる。

僕は前説の枠を飛び出ることはなかった。
ブレイクしていった先輩方の背中を追うことができなかった。
前説に人生を捧げ、前説でお金を稼ぎ、前説で人を笑わす。
大切な仕事ではあるのだが、僕は前説を愛することができなかった。

結局は本番の前座に過ぎない。
これを10年続けたことを誇りに思えるのだろうか。
僕よりも若い芸人が次々とTVで活躍するようになって、僕は気付いたら44歳になっていた。


この現状が、一番笑えなかった。

人を笑わせるのが仕事のはずなのに、僕自身が笑えなくなってしまった。
もう何を目的に喋ればいいかわからなくなってしまった。
どの口が言ってるんだと、誰かに後ろ指を刺されるのではないかと、勝手に怯えた。
僕はもう笑わせるのでなく、笑われる存在になってしまったのだ。


僕は芸人を引退する。

それでもまだ人生の前説が終わっただけだ。
あったまった舞台は、大爆笑のオチに繋がっているに違いない。
冷えきった舞台は、大逆転のフリになっているだろう。
そう信じて、これからくる本番は思いっきり泣いて、思いっきり笑おう。


僕は明日から本名に戻る。
0から1へ、歩み出す。
前説から本番へ、新しい人生が始まるのだ。
今日が田中ゼロとしての最後の日。
前説の20分が間もなく終わろうとしている。
センターマイクの前に立つのもこれが最後の時間だ。悔いの残らないようにとにかく喋りまくろうと思う。


すべての人を、笑わせられるように。



芸人:田中 ゼロ(改め田中 一)

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