手力雄神社の由緒
各務原市那加手力町鎮座
【手力雄神社】
創始は不詳です。
当社に最初にお祀りされたのは真幣明神という神さまです。
古代の時代と推測されます。
この神さまは、現在本殿裏にある、「磐座 いわくら」と伝わる古代の祭祀跡に祀られた神さまです。
この地域に住み暮らした先人たちは生命の根源が境の向こうにあたり場所、自然の恵みをもたらす山々にあると考えました。
大磐を通して、北に広がる山々を拝しました。
磐に祈りをささげたところから神名があてられ祀られるようになったと伝わります。
その後、祈りをささげる神聖な場所に古墳が築かれます。
山日向古墳群と登録されております。
かつては16基存在しましたが現在は本殿両脇に2基残るのみです。
その後、平安時代以降に神祇奉斎の流れから、佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていた手力雄神を、主祭神とし脇神に8座佐良木郷の産土神として現在の形で祀られるようになります。
文明年間には(1469~1487)、薄田源左衛門藤原祐貞が厚く崇敬しました。
永禄年間には(1558~1570)、織田信長公が当神社に戦勝祈願をします。
その成就の後、各務野原近里1,300町歩(2万ヘクタール 現在の各務原市那加とつく地域)を社領とし、宝物等を寄進しました。
その後も旗本坪内・徳山等諸氏の崇敬も深く、数百年来八ヶ村の氏子等により神事・祭礼・造営修復等変わりなく奉仕され今日に至ります。
現在は各務原市の那加地区氏神として崇敬されています。
織田信長公が戦勝祈願をしたことから、勝運・開運厄除けの神として特に有名です。
また、本殿にかかる龍は見事な彫刻で多くの参詣をされています。
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