まとめ記事① やればできる?やっても無駄?
これまでFACEBOOやnoteで色々書き溜めてきましたが 10回ほどでまとめてみようと思いました。 たくさん書いたもののまとめ記事と思って読んでいただけると幸いです。
クリニックでの一場面
上司の先生から「やればできる!」「できないのは先生が努力していないからだ!」と言われたり(または、クリニックのスタッフさんに言ったり)
クリニックの患者さんからは「そんなことも知らないのか?」「他のところではなー、、、!」「お前のクリニックの責任だ!」「できるだけのことをしろ」と言われたりして 胃が痛くなったりしたことはありませんか?
もちろんやればできる、 ネットに調べれば書いてある、 他のところでやっていることを当院ではしていないかもしれません。そして後で振り返ると色々議論できるストーリーが出てきますが、その時には「申し訳ありません」としかその場では言えないかもしれません。
日常の一場面に置き換えてみましょう
Q「先生、朝食を自分で準備できますか?」
A「トースターでパン焼いて、冷蔵庫から牛乳取り出して グラスに注いででしょ? 簡単じゃん」
井手: 「ほら、先生方しっかり現実的になられているじゃないですか?出来ることをして、出来ないことはしていないですよね?」
先生X:「いや出来ることばかりだよ。出来ないことなんかないよ。」
井手:「先生、では トースター作って パンを小麦粉から育てて 牛乳を朝から絞りにいって ガラス工房でグラス作って 食後食器を洗う水も汲んできていますか? 実際にメーカーや農家・酪農家やガラス職人 水道局の人はされていますから 出来ますよね?」
先生X:「(心のなかで)井手先生はおかしい そんな考えは非常識だ。普通はそんなことまで朝食の準備とは言わない」
この記事の狙い
そうなんです 理論上は出来ても実際には出来ないこともあるんです。理論上はオリンピック選手にもなれますし、あの芸能人とも結婚できます。宝くじも確率から考えると買い占めたら一等も当たるんです。しかし、実際は出来ない もしくは しないですよね。
なぜでしょうか?そういった辺りを考えながらこのまとめシリーズを読んでください。
我々のTeamはTheoretically Possible, but Practically Impossibleなことを言われがちな医師、その中でもクリニックの院長先生のため息の解決につながるような考え方や解決策のヒントを少しでも提示できればと思い書かせていただきます。
東京の杉並区にある小さな外来だけの眼科クリニックという環境から見た視点ですので 他の環境におられるクリニック院長先生全てに当てはまるものではないことをご了承ください。
もう一度、医療に戻ってみましょう
皆さん 朝食の準備で井手が非常識なことを言っていることに気づかれたはずです。では最初の話に戻って医療に戻ってみましょう
【「やればできる!」「できないのは先生が努力していないからだ!」と言われたり】
この部分は朝食の準備から考えるとどう反論すればよろしいでしょうか?
「やれば出来ますが 私がここに大きなリソースをかけることはミクロには意味がありますが、マクロには損失になる可能性があります。これを合成の誤謬と言います。複雑化する社会の中で すべてを自分でこなす自給自足的なことをしなくなったことが社会や世界の発展に寄与してきたように 医療においても 巨人の肩にのったり 自分の肩を他人に貸したりすることが出来るのでは?と考えます。」というくらいの話ができるとよろしいかと。
勿論 上司の先生に対してはまだまだ日本の医療文化的には言えないかもしれませんが 先生方が上司になったときには そのようなマインドで若いスタッフの方に接してもらいたいと思います。
【患者さんからの「そんなことも知らないのか?」「他のところではなー、、、!」「お前のクリニックの責任だ!」「できるだけのことをしろ」と言われたりして 胃が痛くなったりしたことはありませんか?】
「患者さんはお困りで 我々に期待してここにお越しいただいておりますことは非常に誇りです。ご自身やご家族の疾患に関して非常に一生懸命になられておりますので ある分野については 我々よりも深い知識をお持ちのこともあります。他の先生は私とは異なる知識や経験をお持ちで 他のところでは対応が異なるかもしれません。 しかし、全部の医師がすべての医療知識や技術をマスターして行くことは現時点も未来もまず不可能なんです。」
「XXさんはお仕事として何をされていますか? 銀行にお勤めですか? では貸付 ATMの修理 人事 M&A 不良債権の回収などすべてを把握はされていませんよね? 部署のお仕事に注力して 数年に一度人事異動で異なる経験を積み重ねてこられていると思います。しかし、キャリアパスが異なる同期入行の方と話をされると 同じ銀行でも仕事に対するスタンスが異なっていたり 経験が異なっていることもありますよね? それは違っていることは悪でしょうか? 違うからこそ企業が成り立っていませんか?ATMマシンが壊れていたときに 受付の担当の方が 工具を持ってきて ATMマシンのログを見て いきなりプログラムのコードを書き直すことを期待されるでしょうか? やはり機械担当の方が来るのが自然と思いませんか? 企業と同じで身体やクリニックも有機体ですので担当が異なっています。シャーマン医学とは異なる時代ですので 知らないこともあります 他院とは異なることもあります。 一箇所で 苦手なことも克服しようと注力をしすぎると 他の患者さんの診察が滞ってしまうこともあり 得意な先生に紹介という形を取らざるをえないこことも残念ながらあります」と(心のなかで解釈をして)患者さんのご理解度に応じて説明していくことしかないと思います。
まとめ
ここで言いたかったことは 個別化(ミクロ)しすぎて泥沼に陥らないことです。 一度、自分を第三者として捉えるマクロ化をしてみることです。状況によってミクロとマクロの比率は異なると思いますが、どの辺りが落としどころかを考えることです。医師の皆さまは受験生の頃から出来ることが当たり前 出来ないのは努力が足りないというマインドのマッチョな文化で生きてきた先生も多く 出来ないことは恥ずかしいことだとなってしまい 少しでも自分ができなさそうなことははじめから手を出さないという方も散見されます。
患者さんの要望を100%満足させることに注力しすぎないことが大切です。サボることではありません。現実的になることです。やる・やらないの1軸で 「そのクリニックでやらないのは悪いことだ」という基準ではなく、ベクトルの違うの切り方では、「そのクリニックではできない、知らない、あえてしないこともある」という結果になることもあります。しかし、人間の文明がここまで発展したのは 自分で抱え込まない=専門分化によってだと思いませんか?患者さんにご納得いただける代案を提示してお許しいただくということへの努力を行うことですこし不安を解消してみませんか?
下の友人のブログ記事内で出てくる男性医師は僕のことですが、一度自分を第三者として客観視・俯瞰してみることです
医師は真面目で純粋なだけに ちょっと踏み出せばできるものもできないとチャレンジしなかったり、専門性もヒエラルキー上位の人の存在を見せられて(縛られて)「私なんか恥ずかしい」ということで表に専門性を表明しない。 本来は苦手なことなのに、自分の患者さんに悪いなーと思って他人に依存すれば良いものまで抱え込んで疲弊してしまうという極端な2面性をもっているなーと、これまでの活動でのヒアリングやコミュニケーションの中で感じておりました。そういった私を含めたクリニックの院長先生に少しでも気楽に前向きになっていただけようなまとめ記事を10回ほどで書かせていただきます。。
このようないろいろな思考については言語化がされていることが多いのです。そういった意味で医療従事者が客観視するためのツールとしてビジネスの簡単なエッセンスだけでも知るのは良いかと思います。
ビジネスは医療人にとっては悪?
ビジネスの世界では
・社会のためにもなるサービス・製品
・決められたリソースの中で工夫
・弱みを持っていても強みを活かす
・永続的に企業が存続(儲けて雇用を生み出す)
ということが続いております。勿論淘汰で市場から退場する企業もありますが
医療の世界でも
・社会のためにもなる医療
・決められたリソースの中で工夫(保険診療は決められた点数)
・弱みを持っていても強みを活かす(自分の診療科以外は苦手でも専門分野は得意)
・永続的に企業が存続(儲けて雇用を生み出す)(クリニックは雇用を生み出しています)
つまり、ビジネスや経済の考え方が医療でも十分通用する可能性があるのです。
ビジネスや経済というとお金儲けというイメージがあり 医療の分野では眉をしかめる先生もいらっしゃるのも存じ上げております。
大辞林から経済とは《「経国済民」「経世済民」の略》国を治め民を救済すること。政治。世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。▽「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意。「経世済民」を略して「経済」という語となった。
こういった意味を知ると 単にお金儲けというnegativeな響きから解放されますね。医療従事者も済民(難儀を救済)しているわけです。さらに 経世という視点を医療従事者に持って頂きたいと思っております!そういった意味でビジネスや経済を学ぶというのは決して医療をないがしろにしているのでは無く 視野を医療以外のマクロにも持つということで決して悪いことではないのです。
用語説明
<合成の誤謬>「正しいこと+正しいこと=間違った結果」となる事例のことを指します。
正確には「ミクロの視点では合理的な行動であっても、それが合成されたマクロの世界では、良くない結果を生じてしまうこと」を指す経済学用語です。例えば、「個人や企業の全員がそれぞれプラスに成ることをしているのに、結果として経済全体には悪影響を与えてしまう」事例が合成の誤謬に当たります。
<巨人の肩>先人たちが積みあげてきた知見の上に、あたらしい知見を積み上げる
我々は誰かのおかげで生きているという感覚を持ってほしいと。
「人間は 生んでもらった 学校があった ネットがあった 食べ物があった 電車があったなどなど 自分以外の誰かの成果のおかげで生きている。社会が我々に投資してくれている」
これはスタッフにも言いますが 雇用契約に関しても 正社員になったから法律に守られて好き勝手していいとは考えないでくださいと伝えます。 労働基準法なども これまで 多くの労働者が資本家との労働闘争、場合によっては命をかけた末に勝ち取った法律なのです。
ビジネスをしましょうというのではなく、ビジネスは世界の生きるための共通言語です。医療も生きるための共通言語です。 こういった世界で長らく営まれている活動の中には様々な課題とその解決法の英知が詰まっています。 その一部でも勉強することによって 医療に応用できたり 悩んだときに 自分だけではなくすでに同じ悩みがあって解決策が提示されていることに気づくはずです
NYAUWという活動を始めたきっかけ
【1院・1人ではどうしようもないというため息】です。学会・医局・研究会・医師会などがあるじゃないか?という声が聞こえてきます。もちろん 医師にとっては非常に役に立つ組織ではあります。しかし、患者さんはそのようなセグメントの切り方で医療を見ておりません。 たとえば、「杉並区医師会の眼科の先生の中で対応してほしい」ではなく 「自分の疾患をできるだけ最小のコストで、より良く対応してほしい」が患者さんの要望です。時間・お金・精神的負担が最終的に少なくなるなら 先生の診療圏外の専門家にでもかかるのです。そういった際には 自分のいつもの専門内・近隣の紹介先だけでは対応できない場合もあります。「みなさんがいつもの紹介先情報をシェアしていれば患者さんの受診体験向上になるのでは?」と仮説を立て【信頼する紹介先のクリニック登録の数珠つなぎ】プロジェクトを立ち上げました。なるほどな!と思われたクリニック院長先生ログイン・登録してください!
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