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写真を巡る思い出

写真を撮るのが好きで20年くらい前からたくさん撮ってきた。スマホどころかデジカメすら普及するより前のフィルムの頃から。

モノクロフィルムで撮って暗室に丸一日こもりきって現像から焼くこともした。カラーの場合も、ネガを使うのかフィルムを使うか、撮り方も、機材も、現像からプリントまで細部に気をつかったりした。ポジで撮った中から一枚を吟味してプロショップにプリントをお願いしたりすることもあった。

なにせ、とにかくフィルムも現像もお金がかかった!メモリの容量次第で連写放題な今と違って、1本のフィルムは36枚(もしくは24枚)という制限の中でシャッターをきっていた。だから、1枚にかける集中力は今と全然違った緊張感と面白さがあった。

巨匠アンリ・カルティエ=ブレッソンは「The Decisive Moment(邦題:決定的瞬間)」という言葉を残したけど、その言葉に憧れ、その瞬間をおさめることを期待しながら写真を撮り続けた。どんな写真が自分にとってのその1枚かも分からないままに。

なぜ、それほど写真にのめり込んだのかな?と少し思い出してみると、2つ理由があった。

絵が下手だったから写真を撮る

小さい頃から絵を描くのが好きだった。今思えばただ好きなだけで勉強も練習も大してしていなかったけど、でも好きだった。だけど、どうしても下手で、びっくりするくらい下手で、自分が表現したいように描くことが全然できなかった。人を描くのはさっぱりだったし、静物に影をつけるのも苦手で、どうしても薄い平べったい感じに。

そんなとき出会った写真の世界は、自分が絵ではどうしても表現できないと思っていたものをファインダー越しに"簡単に"切り取れる魅力を持っていたんだと思う(もちろん簡単なはずはないんだけど)。どうにか写真が上手になりたくて、色々学んだり、たくさん撮ったり、たくさんの人の写真を見たりというのを無我夢中でしていった。

写真の世界って、ある種、上達をすぐに体感できる珍しい世界なのかもしれない。技術面がかなり原理から数字を使って説明できるし、その結果がその場で試せるから、机上と実践が隣り合わせで習得できるからだと思う。

とはいえ、その第一歩の上達の体感のあと、そこから先が果てしなく長く険しいことを知るんだけど(笑)

憧れた写真サイトの存在

もう一つの理由。写真を始めた頃、個人作成のサイトも流行り始めていて、自分の撮った写真を掲載するサイトも増えつつあった。Tumblrとかinstagramなんかが出てくる遥か前の話。

この頃はまだデジタルフォトの時代ではなかったので、サイト作成者は皆、店や自分でプリントした写真をフラットベッドスキャナで1枚ずつスキャンし、jpg画像に加工して、アップロードした画像が表示できるようにこつこつhtmlを書いていた時代。今思うとすごい時間をかけてる話。私もそんなたくさんの写真サイト作成者の端くれの端くれにいるひとりだった。

そんなとき、知ったひとつのサイトに目を奪われた。そのサイトは、すごく写真がうまく、すごく繊細で、しかしすごく力強く、すごく衝撃をうけたのを覚えている。雰囲気は次第に変わっていったが、はじめて見た頃は、とにかく尖っていてかっこよかった。

そのサイトはそのとき既に写真サイト界隈では有名で、その後はその枠を超えてかなり有名になるんだけど、モリユウジさんという方が作られていた「rock and roll cafe」という名前のサイトで、その後「dacafe.」というサイト名になった。今もサイトは残っているが更新はされていない。最近はinstagram(@moriponbai)をときどき更新されている様子。

写真だけでなく、それを表現するためのサイトデザインまですごく作りこまれていて、初めて「かっこいいサイト」だと憧れたのを覚えている。

そんな憧れや刺激を受けながら、日々たくさん写真を撮ったり、サイトのデザイン(当時はFlashとかも全盛だった)を試行錯誤したりした。今思えば、htmlもcssもjavascriptもPhotoshopもFlashも全部独学で覚えた。覚えたと言っても、自分が表現したいために使うソースコードや、使いたい機能しか覚えられないから、偏り過ぎていてそれだけで食っていけるような技術じゃなかったんだけど、楽しく夢中でやってはうまくいかなくてガッカリしたり、を繰り返していた気がする。

継続することで見えたもの

写真とサイト作成の両輪が噛み合いながら、2~3年は続けたと思う。結果、その当時漠然と目標としていた「雑誌で紹介されること」とか、「Yahoo!の登録サイトになること(当時のYahoo!は申請して承認されたサイトだけがリンクを貼られていたので、登録されることは一種のステータスのように感じていた)」とか、「企業の依頼で撮影したりサイト作成したり」とか、社会人になる前の自分にとっては、社会に認められるような達成感をもつ経験につながったように思う。

ただ、そんな達成感で気持ちが一段落してしまったのか、ネット上のコミュニティに疲れたのか、自分自身のスキルの理想と現実のギャップが大き過ぎたのかとか、いろんなものを同時期に感じたことや、自身の環境が変わって時間が全然なくなっていったことなどが重なり、次第に写真からもサイトからも遠ざかってしまった。

とはいえ。
2~3年というと短いが、それでも無我夢中で継続していたから見えたことは、いくつもあった。

・学ぶ努力はもっともっと必要で、終わりはない
・短期間で身に付くものは、誰でも短期間で身に付く
・学んで手にできるのは技術(感性やセンスは鍛えることは出来ても技術の学びとは根本から違う)
・他人の目や評価を気にすると、自分の「好き」や「楽しい」を失ってしまう
・写真は絵のかわりではなく、写真は写真、絵は絵であるということ
・どんなに優れたカメラのレンズも、人の目というレンズには追い付かない

こうやってまとめてみると、なんか後ろ向きにやめたようにも思えるけど、全然そんなことはなく、このときの経験や知識はあれから20年近く経った今も、仕事でもプライベートでもすごく活きている。

そして、もうだいぶ長い間、写真を撮らなくなっていたが、この1年また撮るようになってきている。

かっこいい写真でも誰かに見せる写真でもないけれど、自分が撮りたい写真を、昔どうしても撮れなかった写真が今になってやっと撮れるようになった気がする。高価なカメラもレンズも機材もなく、古いiPhoneのカメラでぽちぽち撮るだけ。構図もダメだし、光も不足していたり、ときには逆光のときもあったりするんだけど、それでも昔は一切しなかった自分の撮った写真を何度も見返すということをするようになった。それは、その写真に写っている被写体を自分が見ていたいからに他ならない。それが写真の力なんだと今になってやっと分かってきた。

そして、写真だけでなく、上手い下手とか全然関係なく、絵を描きたいと思うようになった。小さい小さいスケッチとかそんなのからマイペースに気の赴くままに楽しんでみようと思ってる。


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