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子育ての中に潜む、AI広告みたいな、わたし

行動の決定はどこから始まるか考えてみると、情報を得ることから、なのではないかと思う。そもそも行動するかどうかも、情報を収集して取捨して、行動するかしないかを選ぶのだから当然だ。

情報の集めかたは量も質も人それぞれで、そのときの課題に合わせて、どのくらいの何を理解したらいいのか、どの精度で把握すべきなのか、その過程でも実はたくさんの判断が必要なので、情報収集それ自体もプロセスとして認識していいように思う。

時間がなくなると、情報の収集も効率化したくなる。だからWebでは「あなたにオススメ」が、「痒いところに手が届いてエライでしょうオレ?」的な顔をして毎日襲ってくる。お前にわたしの何がわかるのか、と思いつつも、過去のわたしのデータをさらって要点をつまみ出したその提案に、時々折れてしまう。悔しい。

なのに。

子どもを見ていると、自分が子どもに「あなたにオススメ」をやっていることに気がつく。一緒にいる親だから、その子どもの日々のデータは有形無形に数多く蓄積されている。そのデータをもとに、服が前後ろにならないようにね。段差危ないよ。牛乳こぼれるよ。これ忘れないでね。・・・って、失敗の前に気をつけることを「気をつけるといいヨ」とオススメしているのだ。

行動のスタートは情報収集から、と考えると、情報収集を強制的に省略させることで成長するのは「簡略化されたオススメに素直に従うと失敗しない」という力だ。

「聞いてません」「言ってません」
という学生に
「じゃあ聞きなさいよ」「じゃあ言いなさいよ」
と教えてきたのになー。と職業教員は思う。

先に誰かが大体の道筋を示してくれていること、に、慣れきった若者をたくさん見てきた。今も見ている。仕事でもずっとそこが問題だと思っていて、子どもには道筋を見つけ出す力を持って欲しいと思っているのに。わたしも「あなたにオススメ」をしているとは。なんということだ。

だから口を出さないように気をつけている。いや、完璧にはできないが、少なくともわたしの口出しが彼のそのときの行動を制限しないようには気をつけている。

自分で選んで自分で決めて、決めたように動く。それをひとりである程度できるようになって欲しいのだ。
そのための、子育てなのだから。

彼は牛乳をこぼしてこぼしてこぼし続けて、やっと「すぐに拭く」ができるようになってきた。