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「90's裏原宿の風景 〜『STUSSY』から『Supreme』まで〜その1」

はじめまして。Panda Unityと申します。
初noteはタイトルの通り、僕がリアルタイムで通ってきた「裏原宿」について、上記2ブランドを軸に書いていきたいと思います。


時系列順に整理して書こうかとも思いましたが、それにはかなり時間が掛かりそうですので、思い出すまま書かせて頂きます。


ということで、現在44歳の僕が高校生〜大学生だった時分、ストリートはまさに「裏原宿系」の勃興期と言える状況でありました。


■スタイルとしての「裏原宿系」とは?

ファッションにおいて「裏原宿系」という言葉を使うことについては、その言葉が持つ多義性(曖昧さ?)ゆえ、なんとなく敬遠されがちな雰囲気があります。


また、ファッションにおける「裏原宿系」というカテゴライズは成立しない、といった意見もよく聞かれるところではあります。


ただ、当時をリアルタイムで過ごした世代の人間としては、あの頃の裏原宿エリアには確かに、他の言葉で説明するのが困難な「スタイルとしての裏原宿系」の芽生えというものが感じられました。


ではその「裏原宿系」とは、どういったものか。
シンプルに定義するなら「藤原ヒロシ氏の人脈に連なるファッションブランドのアイテムを取り入れたカジュアルなスタイル」ということになるのではないでしょうか。


ミもフタもない言い方ではありますが、事実、藤原ヒロシ氏やその周辺にいる人物が、裏原宿エリアに次々と洋服店をオープンし、それらが相乗効果を持って人気を集め、また彼らが雑誌連載等で紹介するお気に入りアイテムは雑誌発売と同時に即完売、そうした事象が次第に大きなうねりを伴ってひとつのムーブメントを形成していったのは確かです。


藤原ヒロシ氏の詳細についてはWikipedia等をご参照頂くとして、氏の影響力を当時の現場において肌で感じた者としては、その大きさに衝撃を受けました。


■グッドイナフ伝説

象徴的だったのは、何と言っても「グッドイナフ」でしょう。
大きな「G」の文字がプリントされたTシャツには数万円のプレミアムが付き、新作の発売日には毎度、取扱い店に長蛇の列。
この辺りは、現在の「Supreme」にも通じるものがありますが、当時はインターネットもない時代ですから、まあ凄かったと言うしかないです。


もちろん、ヤフオクもメルカリもありませんでしたが、代わりに個人売買雑誌というものがありました。


現在では信じられないことですが、個人が住所・氏名を公開した上で、◯◯を××円で売ります(買います)と、誌面でやり取りしていて、その雑誌がコンビニで普通に売られていたのです。


さらに、「グッドイナフ」は商品のみならず、各地にある取扱い店の電話番号リストまでが高額で売買されていました。


当時の取扱い店の多くは、電話番号を非公開にしていたのです。
公開してしまうと、グッドイナフ商品の発売に関する問合せ電話が殺到してしまい、営業に支障が出るためという理由でした。


■「グッドイナフ」はなぜ支持された?

では、なぜグッドイナフはストリートでそこまで支持を集めたのでしょうか。
僕が思うに、その理由は主に下記の3点が挙げられます。


・パンク、スケートボード、ヒップホップ、さらにはモッズ、アメトラに至るまで、多種多様なスタイルのエッセンスを取り込んだデザインでありつつ、決して前衛的・先鋭的になり過ぎないバランス感覚があった。


・ブランドの人気に比して商品の供給数が絞られており、「欲しいけど買えない」状況が続いたことで、フォロワーの飢餓感が煽られた。
新作の発売日は告知されないにも関わらず、当日は毎回どこかで情報を手に入れたフォロワーの行列が恒例となっていた。


・実際は藤原ヒロシ氏の主催ブランドだが、当時は誰がブランドに関わっているのかが一切秘匿されており、その匿名性がフォロワーの更なる興味を惹きつけた結果、ブランドの人気をカリスマ的なものにしていった。


さて、「グッドイナフ」の話が長くなってしまいましたが、このブランドは色々な意味で90's裏原宿系の熱狂ぶりを象徴する存在だったため、まず序段として触れさせて頂きました。


そして本稿タイトルには、裏原宿系のルーツ的な存在である「STUSSY」、また裏原宿系の転換期におけるアイコンとなった「 Supreme」を選びましたが、それらについてはまた次回以降、詳しく書かせて頂きたいと思います。

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