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高校サッカーを観て想うこと

第102回高校サッカー選手権大会決勝戦が、一昨日の1月8日(月・祝)に国立競技場で行われました。直近10大会で6度決勝進出の青森代表の青森山田と、初の決勝進出の滋賀代表の近江が戦い、青森山田が2年ぶり4回目の選手権制覇を果たしました。

奈良県民の私は、同じ近畿勢である近江を応援していて、残念な結果にはなりましたが、選手たちはすごく魅力的なサッカーを展開していました。

近江と野洲のサッカースタイル

近江は、相手選手の間を突破していく縦へのドリブルが、準々決勝の神村学園戦や準決勝の堀越戦のようには上手くいかず、攻撃が寸断されていたように感じました。戦術的なことは素人なのでわからないですが、青森山田の選手のプレスの速さや、体の入れ方といったフィジカルの強さが際立っていて、本当によく鍛えられた強いチームだなと感心しました。

近江のような、ドリブルをメインに前へ進むサッカーで思い出すのは、同じ滋賀県の野洲高校です。現在、清水エスパルス所属の乾貴士(当時2年生)を擁し、2005年(平成17年)度の第84回大会で、3大会ぶり2度目出場の野洲が初めて全国制覇したのです。

それまで無名校に近かったのですが、足元の技術と連係で、今までにない攻撃的なサッカーを披露し、「セクシーフットボール」と呼ばれました。

個人の技術を前面に出した野洲のサッカーと、近江のサッカーの共通点を感じながら、テレビ観戦していて思ったのは、青森山田は、「勝つためのサッカー」を徹底して行なっており、近江はその高い壁を越えられなかった。

優勝した時の野洲は、当時の高校サッカーの絶対的王者である鹿児島実業を、「魅せる楽しいサッカー」で、その高い壁を越えていきました。あの衝撃的な試合は今も記憶に残っています。

「勝てるサッカー」と「楽しいサッカー」、どちらが正解というものではありません。優勝が目標の青森山田や鹿児島実業と、チャレンジ精神で臨む近江や野洲とはアプローチの方法がまったく違うからです。

近江や野洲はフィジカル的に劣っていても、それでも決勝まで勝ち進むことができました。背が低いとか、足が速くないとか、身体能力が決して高くなくても、近江や野洲のようなサッカーなら、努力したら目標を達成できる。子どもたちに夢を与えてくれるサッカーだと思います。

サッカー強豪校への道

2005年(平成17年)度の第84回選手権大会で、野洲高校と同様に、3大会ぶり2度目出場を果たした奈良県代表が一条高校でした。一条は奈良市立の公立高校で、スポーツ推薦もなく決して強豪校ではありません。当時は、まだまだ新興チームという位置づけだったと思います。

開幕戦の国立競技場で、甲府東に5-2で勝利し、奈良県民である私も大いに喜びました。ちなみに初出場は、2002年(平成14年)度の第81回選手権大会で、1回戦は市立船橋に1-6で惨敗。この年、野洲も初出場していて、準々決勝で同じ市立船橋に0-1で負けています。

初出場が野洲と同じということや、近畿勢同士という関係もあって、その後、一条と野洲は、練習試合を重ねて切磋琢磨していったようです。野洲は優勝した2005年(平成17年)度の第84回大会から6年連続出場し、押しも押されもせぬ強豪校になっていきました。

奈良県の強豪校といえば、楢﨑正剛を擁して1994年(平成6年)度の第73回選手権大会でベスト4になった奈良育英高校で、今回の第102回選手権大会も奈良代表として出場しており、通算16回の出場を数えます。

とにかく奈良では、選手権大会出場するには、この奈良育英の高い壁を越えなければいけない状況が長年続いていました。

強豪校チームと選手としての葛藤

当時の一条のサッカースタイルは、奈良の高校では珍しく、超ハイラインでショートカウンターを狙う独特のサッカーで、スタイルは違うものの、野洲と同様に「楽しいサッカー」を展開していました。

そんな一条サッカー部に憧れ、我が息子は、2005年(平成17年)度の第84回選手権大会の翌年に一条高校を受験、合格してサッカー部に入部します。

息子は、小学一年生から地元のサッカークラブに入っていて、中学もサッカー部(中体連)に入部して、9年間サッカーを続けましたが、飛び抜けて上手い方ではなかったと思います。

ただただサッカーが好きで、中学三年生の時に選手権大会で観た一条サッカー部に魅了され、一条サッカー部に入部することが目標になったのだと思います。息子から直接聞いたわけではないので、本当のところはわかりませんが・・・。

一条サッカー部に入部したことで、私も一条の試合を観戦する機会が増えていきます。というか、練習試合を除き、奈良で行われる公式戦はほぼ全試合観に行って応援していました。しかし、当の本人は結局3年間トップチームには上がれず、公式戦は一回も出ていません。

いや、一回だけ、公式戦と言って良いのかわかりませんが、二年生の時、奈良県サッカーSリーグ優勝決定戦で、後半ほんの少しだけピッチに立てました。昔のことなので、はっきりとは覚えていませんが、確か上位リーグと下位リーグがあって、上位リーグにAチーム(トップチーム)、下位リーグにBチームが出ていたような気がします。その下位リーグが奈良県サッカーSリーグだったと思います。

よく世間では、サッカーは試合に出れてこそ楽しいと言われます。公式戦に出れず、応援ばかりじゃストレスも溜まることだと思います。もちろん本人はトップチームを目指して努力もしていたのでしょうし、悔しい思いも持っていたでしょう。

公式戦は出れなくても練習試合には出れていたのかもしれませんが、心に悩みや葛藤を抱えながらも、部活を3年間続けていたんだろうなと思うと、今更ながらよく頑張ったと思います。親バカですが・・・。

ただ、そんな息子を横目で見ながらも、強くなっていく一条サッカー部への応援が楽しみになっていきます。息子が一年生の時に奈良県代表として、2006年(平成18年)度の第85回高校サッカー選手権大会に3度目の出場、二年生の時に2007年(平成19年)全国高等学校総合体育大会(インターハイ)出場、三年生の時に2008年(平成20年)度の第87回高校サッカー選手権大会に4度目の出場を果たします。

一条高校は、その頃から一歩づつ強豪校への道を歩みはじめます。第81回全国高校サッカー選手権大会に初出場を皮切りに、第84・85・87・88・92・95・96・97回大会に計9回出場、第95・96回大会でベスト16。 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に計8回出場、2009年近畿まほろば総体でベスト8。 平成19・21年度近畿大会優勝。

最近は、なかなか勝てなくなっているようですが、一時期は奈良育英と2強時代を築き、全国ではまだまだ強豪校とは言えませんが、間違いなく奈良県内では強豪校になったのです。

試合に出れなかった選手たちへ

実力に見合ったチームに行き、試合に出て楽しくサッカーをするもいいし、強豪校チームに行き、全国大会出場を目標により高みのサッカーを目指すのも構わない。それは結局のところ自分自身の問題で、自分が納得できる環境でサッカーをすればいいだけの事です。とにかく失敗恐れずどんどんチャレンジすれば、その先にはきっと後悔は無いと思います。

高みを目指して競合校に入部したものの、実力の差に絶望し、サッカーが嫌いになったとか、サッカー部をやめたとか、サッカーは好きだけどサッカー部は嫌いだとか、よく耳にすることがあります。

息子は、きっと実力に見合わないサッカー部に入ったのだと思いますが、一条は、強豪校で聞くことが多い、先輩後輩の上下関係もさほど厳しくなく、同じ学年同士も仲良くやっていたみたいで、トップチームには上がれなかったけれど、3年間楽しくサッカーができたようです。そして今も一条サッカー部出身だということを誇りに思っているようです。

その後、大学でもサッカー部に入り、社会人になってサッカーユニフォームを作る会社に就職し、社会人サッカーチームにも所属し、独立して所帯を持った今でもサッカーを楽しんでいるようです。日本代表戦やJリーグの試合の観戦もよく一緒に行ってくれます。本当にとことんサッカーが好きなんだなと思います。

今回の高校サッカー選手権大会決勝の放送では、当然のように応援風景が映し出され、応援席にいる選手たちの一生懸命応援している姿を見ていると、一条が全国大会に出場した3年間、息子も同じようにピッチではなく応援席にいて一生懸命応援していたのだと思うと、少し感慨深くなってしまいました。

応援席にいた選手たちの心の内は、きっと一人ひとりが複雑な感情を持っていることだと思います。この試合は、なんだか息子と重ね合わせて観てしまい、応援席の選手全員に、「頑張れよ」「楽しめよ」、そして「みんなが応援してるよ」と言ってあげたい、そんなことを想いながらテレビ観戦していました。

(てべぱ)


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