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坊ちゃんの感想

夏目漱石の坊ちゃんを読むと泣いてしまう

明治39年の作品なのに今も読まれ続けている夏目漱石の名作「坊ちゃん」私は3回読みましたが、3回とも最後やっぱり泣いてしまいました。

あれ?坊ちゃんって笑ってしまうような場面はあったけど、泣くとこあったっけ?と多くの人は思うかもしれません。あるんです!!

今回は、坊ちゃんの泣けるところを書こうと思います。(注意。ネタバレあります。)

あらすじ

無鉄砲で乱暴者の主人公坊ちゃんは、家族には疎まれていましたが、下女の清の愛情を受けて育ち、学校を卒業後、田舎の学校の先生となり、そこで人間関係のいざこざに巻き込まれた後、東京に帰ってくる話です。


1回目読んで泣いたところ

これは、最後の場面の最後の文。

だから清の墓は小日向の養源寺にある

もう、一人で大号泣です。清の死で終わりと思っていませんでした。もう、てっきり、坊ちゃんおかえりなさいまし。とかなんとかで終わると思っていたので、清の墓…。清と坊ちゃん長いこと一緒に住めなかったんだ…て、切なくてたまらなかったです。

あんだけ、清のことばっか考えていた坊ちゃんが、最後の最後に淡々と「だから清の墓は小日向の養源寺にある」って、もう、どんな心境!?きっと悲しくて仕方ないのに、でも、そんな風に見せたくなくて、淡々と語り終える坊ちゃんを想像し涙があふれました。いや、もう坊ちゃんじゃない!!そんな風に語れる人は、坊ちゃんじゃない!

そして2回目

2回目は、もう清が死んじゃうの知ってますから、清と坊ちゃんのやりとりを切なく読み進めました。3円借りたエピソードも、「今となっては十倍にかえしてやりたくても返せない」というところにグッときました。

で、やっぱり最後、淡々と清のことを語るところに泣きました。もう、その前の赤シャツと野だいことのエピソードが霞んでしまいます。

なんでこんなに淡々と語れるのだろう?? 清に会えたことは正直に「おれも余りに嬉しかったから」と自分の気持ちをいってます。でも、死んでしまったことは、清のことを「気の毒なことに…」といっているけど、清を失った自分の気持ちは何もいっていません。

そんな場面から、坊ちゃんの悲しみを想像して泣いてしまいます。

「だから清の墓は小日向の養源寺にある」には、坊ちゃんの真っ直ぐな力強く輝いた目が私には見えて、2回目だけど、涙があふれました…。

「だから」が美しすぎて。もう、どんな「だから」よ…。たったの3文字。

とうとう3回目

今度は、もう清は死んじゃうってちゃんとわかってます。坊ちゃんのお墓に入ります。わかってます。3回目ですから!

で、今度は、

清の事を話すのを忘れていた

の最後の場面の冒頭で号泣しました。

嘘だ!!清のこと忘れたことないじゃないか!!夢にまで笹飴食べてる清がでてくるじゃないか!と心の中で叫びました。

「清の事を話すのを忘れていた」って一体どんな心境ですか??

つらいですか?清の事を泣かないように淡々と語るのは?

こっちは泣いてますよ。いいじゃないですか、「清が死んじゃったーうわーん。ちょっとしか一緒に住めなかった。清に笹飴買ってあげればよかったー。うわーん。悲しいー悲しい!!!」て、もう坊ちゃん、泣いてください。私あっち向いてますから。本閉じますから。


この「坊ちゃん」って小説は、江戸と明治の対立とか敗者の美学的なこととか色んな読み方があると思いますが、私は清と坊ちゃんの深い絆に一番心が動かされました。この本は、清にかわいがられた子供時代から、清の死までが書かれています。清に「坊ちゃん」と呼ばれた「坊ちゃんの姿」が書かれています。清が死んだら坊ちゃんのことを誰も坊ちゃんと呼びません。だから、物語はお終いです。坊ちゃんは坊ちゃんじゃなくなっていく。

夏目漱石の作品の中で一番泣けるのは?と聞かれたら間違いなく坊ちゃんです!!と答えます。

文字で書かれた物語の中の人と人との絆が心に様々な思いを抱かせ、何回も私を泣かします。夏目漱石に出会えてよかったです。たくさんの感動をありがとうございます。これからもずっとよろしくお願いいたします!

読書って幸せですね!


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