見出し画像

便利すぎるって、逆に忙しすぎないか

電車の中で、ただ何もせず斜め上を少し見つめながらボーッとしているおじさんに何だか憧れを感じてしまったんです。
ぼくの指は毎朝「けんしょう炎になるんじゃないか?」と、指に同情したくなるくらい生き急いで動いている。

たしかに毎日通勤時、News picks、スマートニュース、日経新聞、Kindle、英単語学習アプリ、など数々のアプリを立ち上げて情報のやり取りをしているのはぼく自身の意思なんですね。これはまったくもってぼくの親指にとっては大迷惑なんじゃないかと思った次第なんです。
さて、スマホやネットで便利になってきて、生活を効率的にしてくれるアプリも多数出てきている。今では眠っている時でさえ睡眠をモニタリングしてくれるアプリもあるみたいじゃないですか。そのうちぼくの夢もこっそり抜き取られてネット上に赤裸々に公開されてしまっているのではないかな、と不安に思ったりもするんです。

そんなことを考えると、「効率化」って実はとっても怖いんじゃないかなと。
色々なことが「効率化」されると時間ができて、そのスキマを埋めるためにまた違う何かがコソッと入り込んでくる。
いや、コソッとじゃないですね、「まってましたっー!」と言わんばかりの勢いで突っ込んでくる方が正しいかもしれませんね。
会社でいうと、「働き方改革」で業務効率化改善してみたけど、「あれ?結局忙しさは変わってないんじゃないか?」とちょっと狐につままれたような感覚と似ていたかな。
ぼく自身、なんのために「効率化」しようとしていたのかな。「効率化」の先の定義をしないまま回転率ばかりあげようとしているために結局は疲弊してるんじゃないのかな。と。
だからいったん今日の帰り道は憧れのおじさんをマネしてスマホをしまい、ボッーとしてみたんです。
そして、考えたことはひとつ、「効率化の先のこと」
効率化って、戦略でいうところ「略」がなかなかできないぼくのためにあるような気がしてきたんですね。
つまり、やりたいことが多すぎるし、やめたいことも決められない。だから24時間の枠をつねに広げようとして時間という不変物に戦いを挑み続けていた。なんとも勇ましいくらい無力な戦いをしていたわけなんです。

つまり、とても簡単な話、やりたいことを決めて、そのためにどれくらい時間が必要で、それをつくるためにどれくらい「効率化」が必要なのか逆算して考えればよかったんだと気づけたんですね。
明日からはやっとぼくの親指にも動き続けなくていいことを教えてあげられそうです。

#日記 #効率化 #仕事 #働き方 #サラリーマン #ビジネスマン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?