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考えることができる人やものはどれ?


2022.05.07 飯山総合学習センターにて、小学校低学年の部11名

今回はイラストが書かれた10枚のカードを使って対話をしてもらいます。

①大忙しのお母さん
②シロクマ
③鳥
④ゲームをしている子ども
⑤コンピューター
⑥リンゴ
⑦変な格好の子ども
⑧寝ている子
⑨ぬいぐるみのクマ
⑩車

この中で「考えることができる人やものはどれ?」という問いです。

「んー?」と子どもたちは一斉に首を傾げています。

「難しい…」とつぶやく子もいますが、これからみんなで考えていくので、「今は書けない」というのも哲学対話ではOKです。わからないことは、「わからない」と気づくことが大切だと考えているからです。



【リンゴも考えてる?】

それぞれのカードについて話を聞いてみると、リンゴについてこんな意見が出てきました。

「リンゴは考えていないと思う。動かないから…」

「僕はリンゴは考えていると思う。大きく育ったから、人に食べてほしい!とか思ってるかもしれない。」

「リンゴは人や動物と中身が違うから考えられないんじゃないかな?」

「中身」という気になるキーワードが出てきました。「中身」って何だろう?

「心だと思います。リンゴには心がないから考えてないと思う」

「うーん、人間はしゃべれるけどリンゴはしゃべれない」

●早くも、哲学的に大きなテーマが2つ出てきました。「心とはなにか?」「思考と言語はどのように関係しているのか?」これらは、学術分野でも盛んに議論が行われている話題です。まずは「思考と言語」について考えてみることにしました。


【しゃべれる=考えてる?】

しゃべれることと考えるってことはどう繋がってるんだろう。しゃべれなかったら考えられないのかな?

「何話そうか、とか、何話しちゃいけないか、とか考えてから話すから、関係してると思う」

「しゃべれなかったらコミュニケーション取れないから、考えてるかどうか分からないと思う」

「でもしゃべれなくても、僕は車は考えているかもしれないと思う。運転している人が右に曲がれと命令したら反応してるから。もしかしたら事故に遭わないように気を付けないと!って思ってるかも」

「コンピューターも、痛いとか悲しいとか感じてるかもしれない」

「リンゴも、人間が発見していないだけで、心みたいな部分があるかもしれない」

●「人間が発見していないだけで…」またまた重要な視点をはらんだ意見が出てきました。私たちが認知している世界は、認知しているとおりに存在しているのでしょうか。リンゴに心がない、ということは、大人でも無批判に信じているかもしれません。でもこの発言をした子は、「本当にそうかな?」と真偽を問うことができています。



【心ってなんだっけ?】

では、「心」について考えていきます。対話の中で、どうやら子どもたちは「生きていること」と「心がある」ことは関係していて、「心があること」と「考えることができる」ことも関係のあることとして捉えているようです。

生きていることと心があるってどう関係してる?

「生きていたら心があると思う」

生きている=心がある、という主張です。本当にそうなのか、みんなで考えてみることにしました。

リンゴは生きてる?

「リンゴは生きてる。生きてなかったら育たないし。」

「生きているから栄養を取ってるんだと思います。」

栄養を取ることと生きていることが関係しているという意見が出てきました。ちょっとみんなに聞いてみると、ここでいう「栄養」とは人間だったら「ご飯」、車なら「ガソリン」、コンピューターなら「電気」だそうです。

食べ物やガソリンみたいな栄養を取ることと、生きているってことは違うのかな?栄養の要らないものを考えてみようか。

「クマのぬいぐるみは栄養要らないと思う。何も食べなくても倒れたりしないし。」

「スマートフォンは、電気っていう栄養は要るけど生きてないと思う。栄養がいることと生きてることは必ず一緒ってわけじゃないかも」

じゃあ何が違うの?

「育ったり大きくなったりして変化があるのと、そうじゃないもの」

「(変化するのが生きているなら)コンピューターも古くなると使えなくなる。つまり死んじゃうってことだから、生きているってことだと思います。」

この発言が、2人の子どもたちのこんな反応を引き出しました。

「えー!じゃあこのカードの中だと全部生きていることになっちゃう!」

「これが全部生きているっていうのは納得いかないなあ。」

●「変化する=生きている」という定義をそのまま受け入れたら、リンゴも、コンピューターも、みんなが座っている座布団も全部生きていることになってしまいました。哲学的な営みの中では、言葉の定義が非常に重要な役割を果たします。この定義が不十分かもしれないことを、「納得いかないなあ」とつぶやいた子は感じ取ったのだと思います。

ここまでの対話で、どうやら私たちは何が生きていて、何が生きていないか、よくわかっていないことが発覚してきました。




【生きているってどういうことだろう?】

「座布団は生きてないよ。動かないから。」

「人間も死んじゃったら反応できないし、感じ取れない。だから反応するってことが生きているってことじゃない?」

「生きていないものは、生きているものに作られたものだと思う。」

みんなも作られたってことはありますか?

「最初はいなかったけど、お母さんのお腹の中でどんどん身体が作られてった。」

それってコンピューターと違う?

そう聞くと勢いよくこんな意見が飛び交いました。

「違う!」

「心がないから違う!」

「心がなかったら考えられない。」

「心がなかったら痛いとか嬉しいとかない。」

「心」という言葉がまた出てきました。
生きていることと生きていないことの区別は、心があるかないかと関係があるのかな?

「わからなくなってきた」

なにがわからなくなってきたか教えてほしい!

「感情があるかないかだとコンピューターはないけど、しゃべるとか話すとか動くとかだとまた違って……そうしたらまた生きることって話に戻ってきちゃったりして、なんかぐるぐるぐるぐる……考えが回ってきちゃって。もう結局わからないんじゃないかなって……」



●私たちは、普段、何が生きているのか、何が考えるってことなのか、心が何かってことなんて考えずに生活しています。でも考えてみると意外とわかっていなかったんだ、ということに気づきます。

●古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「わからないことを自覚すること」が哲学的思考のはじめの一歩だと考えていました。学校では「これはこうなんだよ」「これを覚えてね」と言われることが多いと思いますが、「わからない」ということが明らかになったってだけで、この時間はすごく重要だったんじゃないかな、と思います。

終わりに

今回、「考えるとは」「心とは」「生きているとは」というテーマ以外にも、たくさんの重要な意見が出てきて、思わず唸ってしまう回でした。

「コンピューターにはチップとか入っていて、それが心と同じ役割をしていると思う」という意見は「心を作ることはできるのか」という問いをはらんでいるます。

「動物とか豚とかは心があるし痛みとかもあるけど、人間は食べる。でも栄養もらってるから、それは人間にとっていいことなのかな」という意見は、菜食主義に関する議論の中心的な問いそのものでした。

「考えることができる人やものはどれ?」というテーマで考えたこの90分、私は子どもたちの思考力に驚かされっぱなしでした。

レポート内藤大将



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