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適応障害になるまで

この投稿で40週連続になるの記念すべき日なのですが、タイトルはなかなかヘビーな内容になっています。
適応障害になるまで、症状を書いていきたいと思います。

情報保護の観点から分かりづらい場所がありますご了承ください。


2校目の学校に移動してから始まります。
1年目はがむしゃらに学校に慣れようと努力しました。周りに知り合いはおらず、分からないことが分からない状態で授業をしたり部活をしたりしました。
幸いなことに同僚には恵まれ辛いなと思いながら1年乗り切ることができました。

2年目、ひょんなことから同僚たちとの仲が険悪になりました。
自分の対応も悪かったのですが、いろんな噂を流されました。
仕事もいっぱいいっぱいの中で環境も崩れていく、同時に自分も崩れ始めました。

症状としては、咳が止まらなくなりました。咳の影響で呼吸困難になることも何度もありました。
病院は3箇所回りましたが、気道や肺もきれいでなぜ咳が出るのか特定されなかったです。
お決まりの「ストレスの可能性が高いですよ」今回に関しては当てはまりすぎて納得した。

咳の波はあるものの1年間咳をしていたと思う。
そんな環境ではあるが、1年間頑張って職場に通った。なかなか辛かった。
もともと人の目を気にしてしまうので、今回の状況は自分の心を蝕むのに簡単だった。
しかし、負けなかった。私には夢があったのだ「海外で先生をしたい」という。



3月まで歯を食いしばり頑張った。移動もあるし人も変わる可能性が高いからようやく終わると思っていました。

3月末のある日に、ある人に呼び出され話をしました。
「君には実力がない海外で教員をするのは今のままじゃ無理だよ。」と言われたのに来年度から大変な仕事を任せられた。

自分の心は無理だった。今まで頑張ってきたものは何だったのかと。
糸が切れてしまった。すがっていたものがなくなるのはこんな気持なのか。
大切な人を亡くすのと同じ感覚であった。夢もなくなってしまった。


そんな気持ちの中でも時は過ぎていく。
4月を迎え新学期になった。自分は違う場所に移動になった。
心機一転頑張ろうと思った。しかし、以前とはまったく違うやり方、環境・人もまったく合わない。
自分の心に余裕はなくなった。

病休になる前はひどかった。
頭痛、倦怠感、吐き気、眠れない。常に付きまとった。
死んだ目をして学校と家を往復していた。

余裕のない自分に耐えられるわけもなかった。休職前日の最後に仲の良い同僚にあったら本気で心配された。いつもちゃかして「顔やばいやん」と笑いながら行ってくれる同僚さえもマジの顔やった。

休職しようと決めて家に帰った日、たくさん泣いた。
小学生のときに兄に喧嘩に負けて泣かされた以上に泣いた。人生で一番だったのかもしれない。
「無力感、自己否定、社会のレールから外れた異端、普通の人じゃなくなってしまう恐怖感」すべての負の感情が襲ってきた。
その日は泣きつかれたのか久しぶりに眠ることができた。



次の日、予約した心療内科に行き「適応障害」と診断され休職した。


上記のYoutubeの適応障害の説明が納得過ぎたので共有します。

次は休職した編を書こうと思います。

今苦しいなか頑張っている人、適応障害と診断され悩んでいる人一緒に頑張りましょう。

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