アメリカと日本の物語の違い 2023年6月頃の感想


 はーい、テツガク肯定です。

 アメリカと日本の物語の違い。
 対照的な思いと考えを感じたので。
 それを紹介したいと思います。

 今回は個人、個性についての捉え方です。

 アメリカは個人、個性。
 それをお互いに重んじている。

 日本は個人、個性があるようで。
 実はあまりになく、独りよがり。

 今の私はそう捉えています。


 ちょうど、そう感じるきっかけになった二つの作品があります。

 アメリカは『キム・ポッシブル』の第1話。
 (YouTubeのリンクを最後に貼っておきます)

 日本は『その着せ替え人形は恋をする』。

 この二つの作品が、私の中で驚くほど対照的でした。
 すみません、『その着せ替え人形は恋をする』のファンの方は。
 ここから先、気を悪くするかもしれません。
 今からお戻りいただけると幸いです。



 まず、『キム・ポッシブル』から。
 高校生のスーパースパイのキムとロンが主人公のアニメです。
 この1話は、キムがロンのためにカリスマ美容師を紹介します。
 それがロンのためで、ロンは私に感謝するはずだと言って。

 髪型を変えたロンは一気に人気者になりました。
 気をよくしたロンも変わり始め、その様子を見てキムは気づきます。

 これじゃ、髪型を決めるジェルが世界で一番大事なものみたい。
 こんなの変よ!

 そう感じた通り。
 ロンはいつも一緒だった友達のルーファスとも距離を取り始めます。
 そして、そのまま任務へ向かい、戦いの中でロンは気づきます。

 誰これ? 僕って何者?

 鏡に映った自分に驚いていると。
 ルーファスがロンの髪を乱し、もとの髪型を見て言います。

 このスタイルが僕だ。
 これが僕!

 その後は、いつも以上のロン無双でキムを助けます。
 キムはロンに謝りますが、ロンはキムを責めることもなく。
 新しい自分のために買ったパンツが熱いのが嫌だと返しました。

 いつものロンに戻ったことで。
 今まで寄って来た女性は去りましたが。
 それでも、そのロンが好きな友達がいる、という具合の終わりです。

 この展開はアメリカの物語を見ていると。
 かなりの確率で出会える展開です。
 アニメでも、『リセス』、『ルーニー・テューンズ・ショー』
 映画でも、『メジャーリーグ2』、『ロッキー3』、『IT』、『プライベート・ライアン』、『ジュマンジ』。

 どこかで、これは自分じゃない、と。
 自ら気づく展開です。


 一方の日本、『その着せ替え人形は恋をする』ですが。
 たまたま、最近の私がこのタイトルを観ただけで。
 こういうモヤモヤは、他の作品でもよくあります。

 何がと言いますと……。
 その前に簡単な設定と展開を。
 人形職人の五条さんとイケイケガールな喜多川さんの話です。

 1話にて、喜多川さんがイケメンに掴まった時の話になります。
 イケメンさんに鞄のストラップをいじられた喜多川さんは――。

 おめぇがねぇわ

 と裁きの一撃を。
 おそらく、そのモットーは。

 人の好きなもの、馬鹿にすんなよ

 だと思われます。

 展開はかなり進み、放課後に掃除で一緒になった二人。
 そこでもイケメンガールは、五条さんにガツンと一発。

 それ、頼られてるだけじゃなくて。
 パシられてるだけだから

 そこから続く永い演説。

 今となっては、この手の展開は気持ち悪いです。
 パシられてるか、どうか。
 それを決めるのは五条さん、喜多川さんではない。

 五条君……押しつけられてない?

 この演説の前に、そう問うた喜多川さんに。

 ですね

 と返したら最後、喜多川さんの世界観を押し付けられている。
 しかも、親しくもないのに。
 まるで、あのイケメンさんのように。

 認められないでしょうが。
 実は、喜多川さんのやっていることは。
 あのイケメンさんと同じです。

 ただ、一般的な正しさと。
 遅れて入る、五条さんの心理描写で。
 うまいことごまかしているだけで。
 凄くモヤモヤして、気持ち悪いです。

 他人の領域に土足で踏み込んでくる、イケイケガール。
 正直、私は嫌いではありませんが。
 素直に言えば、五条さんの方が好きです。


 すみません、もう少しだけ続けます。
 2話になると、もっとグイグイ来ます。

 突然、五条さんの自宅に押し掛けてくる喜多川さん。
 (冷静に考えたら気持ち悪いですが)

 布団しきっぱうけるー
 (うけねぇーよ)

 そこから突然採寸になるのですが。
 それはいいんです、問題は……。

 椅子を持ってきます、少し待っててください

 そういい部屋を出ようとする五条さんでしたが。
 そこから喜多川さんと畳んだ布団でいいじゃん論争が始まります。

 五条さんの言い分では。
 汚い布団に座らないで、とあります。
 実際の理由は、よくわかりませんが。

 最終的には喜多川さんが。

 五条君……いいからして。

 そう命令しゲームセットですが。
 かなり気持ち悪い展開です。

 何がと言いますと。
 おそらく、喜多川さんがやられたら。
 怒るであろう行動を、これは正義だから、と。
 全面的に正当化しているところです。

 突然、押しかけてくる。
 突然、採寸が始まる。
 そういうのはいいんです。

 ただ、五条さんの言い分を。
 勝手にスルーして、話を複雑で面倒にしていく。

 私の古い頭では他人の家では他人が主。
 五条さんが待て、と言うのなら待ちます。
 五条さんが辞めて、と言えば辞めます。

 ですが、それらを無視しても。
 本当の五条君は違うことを望んでいるから……みたいな展開。
 これは本当に気持ち悪いです。

 普通にストカー的思考だと思います。
 ですが、それが本来の人なのかもしれません。
 それがないと何も始まりませんから。

 この手の展開は日本では多く見かけます。
 別に、『その着せ替え人形は恋をする』だけの話ではありません。


 さきほど、喜多川さんを嫌いではない。
 そう言いました、もっと言えば好きです。
 観ている分には面白いです。

 ですが、それ以上に五条さんの方が私は大好きです。
 いろんなことに悩める細やかさ、控えめで恥ずかしがり屋な感じ。
 もしかしたら、五条さん自身はマイナスだと思っているかもしれない。
 その全てが好きな人もいるということです。

 私は2話までしか知りませんが。
 2話までだと、『その着せ替え人形は恋をする』というタイトルの着せ替え人形というのは……。

 五条さんのこと?

 そう思ってしまいました。
 だって、これじゃ、まるで――。
 喜多川さんにとって都合のいい裁縫人形……。
 それはそれでいいと思います。



 『キム・ポッシブル』のキムがロンに髪型を変えるように勧めたのは。
 大好きなロンの魅力をみんなにも知って欲しかったから。
 そんな感じがする展開でしたが。

 『その着せ替え人形は恋をする』の展開では。
 喜多川さんの世界観を押し付けられている五条さん。
 そういう展開に見えます。


 つまり、日本の物語はどうしても説教臭くなるんです。
 そして、何より個人、個性があるようで実はない。

 なんでも言えるアタシ、アメリカ人!

 というのは個性ではなく、ただの流行です。
 私は物語でしかアメリカ人を知りませんが。
 物語のアメリカ人ですら、無鉄砲にモノを言っていません。
 ちゃんと相手に対する敬意の上に、自分の意志を伝えています。

 全く別の映画ですが、『アルマゲドン』にこんなシーンがあります。
 主人公のハリーさんがNASAの人に言います。

 俺が最高なのは部下が最高だからだ。
 部下を信用できないのなら死んだも同然。

 あの連中を宇宙に送るのはかまわない。
 優秀な宇宙飛行士なんだろうから。
 でも、掘削はド素人だろう?

 相手を立てながら、ちゃんと意志を伝えていると思います。
 もちろん、NASAや政府の人達も同じです。

 なぜ、こうなるのか、私なりに考えた結果。
 自分に個性があるから、相手の個性を認められる。
 そういうことかもしれない、と私は考えています。

 アメリカの物語を観ると驚きます。
 本当にいろんな人がいます。
 五条さんに似た人もいるでしょう。

 そして、さらに驚きなのが。
 1話の頃の五条さんのままで大活躍しているということです。

 日本にいると、そんなんじゃ上手くいかない。
 そう教え説かれてきました、それじゃ社会に溶け込めない。

 ですが、アメリカの物語を観ていると。
 こう思えてきます。
 個性を持った人を受け止められない社会、世界なら。
 そんな場所いらない、と。

 アベンジャーズもジャスティス・リーグもスーサイド・スクワッドも活躍できて。
 ちゃんとルーザーズだっている、そういう場所の方が私には魅力です。



 アメリカと日本の物語の違い。

 アメリカの人は自分で在り続けることを求めている。
 自分で考えて、自分で気づき、自分で決めるから。
 誰かを許せる、誰からのお世話も感謝して受け取れる。

 日本の人は何かに変わることを求められる。
 よき優等生、同じ社会人、いい大人。
 だから、変われない人を許せない、余計なお世話に感じる。

 アメリカ人は求め、日本人は求められる。
 そう今の私には見えています。


 それから、アメリカの物語には。
 日本でいう大人がいません。
 いい意味で変わらない人に感じます。
 そして、人は変わらなくてもいいのかもしれない。
 そう思えてきて。
 というより……変わらない姿がかっこいい。

 もちろん、日本の物語も凄いところあります。
 細部が驚くほど極められている。
 それは、アメリカの物語では少ないです。

 アメリカは広く楽しめるように。
 日本は深く楽しめるように。

 ただ人に対す考え方は……。
 日本は息苦しいほど窮屈。

 人の好きなもの、馬鹿にすんなよ

 喜多川さんのこの台詞に同調する人は多そうです。
 ですが、その裏側を認められる人は少なそうです。

 それ(批判など)が好きな人もいる、邪険にすんなよ

 一般的に正しいという正義を掲げれば。
 ぶん殴っても許されるだなんて……思っている?

 もし、そう思っているのだとしたら。
 まだまだ、個人や個性を重んじているとは。
 言えないと私は思います。



 ですから、帰る時間です。
 私は、この世の理に従うために。
 今にいるわけではありません。

 喜多川さんにも負けないワガママ娘が抜け出してきた。
 第七区のあの世へ帰るために。
 
 この世のグリーンマイルから。
 愛しのカントリーロードへ抜け出すために。
 今があるわけです。

 ding-dong帰る、ding-dong帰る、ding-dong帰ったら……。
 スタンド・バイ・ミー的な冒険でパーリィータイム。

 ジワタネホはどこだ?
 ジワタネホはどこだ?



 それでは、また次の機会にお会いしましょう。









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