認めて許せたら


 はーい、テツガク肯定です。

 無視、賞賛、批判。

 昔、野村克也さんの本で知りました。

 たしか……。
 三流は無視され、二流は賞賛され、一流は批判される。

 そんなことだっと。
 すみません、今、手元にその本がないもので。
 テキトウな認識です。


 それで、昔、相方とも話した気がしますが。
 この考えで見ると。
 批判、誹謗中傷される人は一流なんだと思います。


 ついでに、批判する人も一流?
 いえ、この考え、される側でもする側でも当てはまりそうで。

 もし、一流の批評家は無視して、三流の批評家は批判する、ならば。
 大多数の無関心は一流の批評家となり。
 それは違ってほしい、という私の願望が……。

 すみません、話が逸れました。
 理想を言えば、二流の賞賛ゾーンで留まりたいものです。

 ですが、なかなかそうならず。
 三流か一流で苦しむ現状がある。



 それで、最近、私は気づいたんです。

 タイトルにあるように。
 それを認めて、それを許せたら……。
 自分だって認めて許せる。


 例えば、一流の場合ですが。

 誹謗中傷することを認めて。
 誰かを許せるのなら。

 そういう自分を認めて、許せる。


 なんでしょう……。

 お前、生意気なんだよ。

 そういう声があったとして。

 あ、私は生意気なんだ。
 そう認めて、それを許せたら。

 だけど、それが私。
 そう認めて、許せる。


 んー、ちょっと一流の気持ちは想像できないのですが。
 きっと、三流ならこんな感じです。

 相手にされない現状があるのなら。
 それを認めて、許す。
 ああ、詮無きことだよな。

 だから……。
 こっちも相手にしないよ。
 さようなら、忌々しいスターダスト。
 よろしく、愛しの第七区のあの世。

 無視されているのですから。
 こちらが無視をするのも。
 認めて許せる、ということです。


 ただ、問題なのは一流の場合です。
 誹謗中傷されるのを認めて許したら……。
 同じ誹謗中傷で返せる。

 そこまではいいのですが。
 果たして、それを認めて許せて。
 気が晴れるのか、ということです。

 一流の人が何を認めて許せばいいのか。
 今の私にはわかりませんが。

 誰かを認めて許せたら。
 迷わず、自分を認めて許していいのでしょう。

 誰も認めず、誰も許さず。
 自分だけを認めて許せる。

 もし、そうできるのなら。
 たぶん、悩みなんてなさそうです。
 もちろん、こんなスターダストもいらないでしょう。
 全て自己完結するのなら、こんな大げさな場所など必要ありません。


 何かを認めて、何かを許せるのなら。
 きっと、自分を認めて、自分がするのを許せる。

 凄く簡単ですが。
 ほんの少しだけ難しい?


 それでは、また次の機会にお会いしましょう。

 




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