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手向けの花を

毎年、同じ事を手を変え品を変えては呟いていることがある。
当時を振り返りながら、綴る。


---3.11


震災当日。
当時の私は喫茶店店員で、お客様の安否やら避難やらでバタバタしていた。
帰宅難民がお店に押し寄せてきたのもあって、ずっと忙しかった。

閉店後にワンセグでテレビのニュースを観た。予想以上の大災害。電話を持つ指が震えた。
一緒にいた同僚は片思い相手がその近くに旅行している、と泣いた。


スマホもLINEもない。あるのはキャリアの災害時掲示板だけ。
電話も繋がらない。サーバーがパンクしていて、メールも送れているかわからない。
余震が何回もあった。不安しか無かった。
電車はいつまでも止まっていて、駅の前には沢山の人。
タクシーも乗れない。むしろ車が通っていない。
ゆらゆらとしんどそうに歩く人達。
空っぽのコンビニとスーパー。
世紀末かと思った。


その日は店に泊まった。深夜も帰宅難民に水と場所を提供した。
何かしていれば気が紛れたから。

私が大変だったのは、ここまでだった。


自分以外が大変な思いをしている日々。
更新されてもニュースは酷いものしか無かった。

津波が町を消し去り、原子炉を壊した。
家が無くなった・家族がいない・救助が追いつかない…
放射能・強姦・強盗…
この豊かな国に何が起こったのか。

絶え間なく揺れ続ける地盤。
避難所はぎゅうぎゅう詰め。最低限の物資すらない。



生きた人は生きねばいけない。
死んだ人やいなくなった人の分まで。


様々な人が自分勝手に宣った。
気力まで失ってはいけないと、激励が蔓延っていた。
今なら言ってもいいかもしれない言葉。
当時の状態を加味すれば、誰もが言ってはいけない言葉だったような気がする。

なので私はトゲトゲした心になっていた。

そんな時、mixiで『現世で手向けた物はあの世で何倍にもなる』と目にした。
親戚や友達に何かあったわけじゃないけれど、グッときた。

私は花を買いに行った。
おもいっきり華やかな花束を作ってもらった。
せめて明るい花々が届くようにと。

同じものを目にした友人はバイクを飛ばして海でトランペットを吹いたらしい。

また別の人は得意料理をしこたま作って線香をあげたと言っていた。

自分ばかり生きていて、しかも日常に戻っている。
申し訳なさをどうにか形にしたかった。
罪悪感から逃げたかったのだ。


あれから10年。
もどかしさはとうの昔に無くなっている。


3.11。私が花を買う日。
せめて手向けたものが届けばいい。
どうか、安らかで。

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