もういいかい
林田真理子さんは旦那さんとまだ幼いお子さんの三人暮らし。
ある日曜日。子供が昼寝の時間になり、これから夫婦で何をしようかと考えていた。
非常ベルが鳴り響く。
真理子さんの家はマンションの3階。
何かあれば逃げやすい階だが、まずは現状把握しなければいけない。
まずはご主人が外に出た。
少し時間を置いて帰ってくるが、どこにも煙が上がっていないと話す。
外には周りの部屋の人たちも出てきていたが、誰もが火の手が見えないと言っていたという。
マンション管理組合の役員である真理子さん、ご主人に子供を任せて1階の管理室へと向かった。
この日は生憎、管理人が不在の日だった。
監視カメラも出入口の様子も把握している人間がいない。
真理子さんが到着すると、すでに会長と集まった人間で防犯カメラの録画を確認している最中だった。
「こいつがイタズラしているようだな」
真理子さんはあっと声が出す。他の人も同じように声を漏らした。
画面には髪の長い女が映っている。
出入口すぐの集合ポスト前。そこにある非常ベルのボタンをがんがんと殴って、そのまま外に出て行った。
最近、このマンションでよく起こっていう郵便物の盗難事件。
その現場検証の際に監視カメラに映っていた人物と同じだった。
少し体格がいい、髪の長い女。
この女がポストから郵便物を引き抜いているのが映像として残されていたのだ。
しかし、はっきりとした明瞭な映像じゃない事や現行犯で見ている人間がいない事…それらが原因で相談履歴しか残せないままになっていた。
映像の女に見覚えのある人間同士で顔を見合わせる。
とにかく警察を待とう。警備会社も確認しに来てくれるはずだ。
そう話し、画面を通常のカメラに切り替えた。
数人から、再度声があがる。
4分割された画面のひとつ。
3階のエレベーターホールにあの女がいた。
「すいません、警備会社のものですがぁ!」
警備員が到着した。すぐに追うように警官も到着した。
会長は大急ぎで説明し、他の者はカメラを食い入るように見つめる。
女はエレベーターホールでゆらゆらと立っているだけで、それ以上動かないようだった。
警備員は階段から、警官はエレベーターと二手に分かれ向かうことになった。
画面を見ていると、すぐに警官がエレベーターホールに到着した。
あと1、2歩。そのぐらい近づけば女が目の前にいる状態で警官と女は向き合っている。
しかし警官は驚く様子もなく、首を傾げた。
少し遅れて警備員が階段の方から歩いてくる。
警備員は警察の顔を見て、やはり首を傾げる。
2人は何か話しているようだが、間に挟まれた女が大きく震えている。
両手を大きく動かし、髪の毛をかきむしりはじめた。
ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ……
異常な事態が目の前で発生しているにも関わらず、警官と警備員の2人は何もしない。
それどころかまたエレベーターと階段で分かれて戻って来た。
会長が「なんで捕まえてこないんだ!」と声を荒げると、2人は怪訝そうな顔をした。
画面には、未だ、髪がぐしゃぐしゃになった女が写っている。
それを見た2人は顔を青くした。
「自分らが到着した時には、誰もいませんでした…」
「失礼します」
更に2人、警官が到着した。
全員が画面から目を離し、また視線を戻す。
――女が消えていた。
エレベーターは警官が使ったままで1階にある。
管理室横にある階段にも人の気配がない。
会長が監視カメラの映像を切り替えていく。
屋上への扉に繋がる階段に女はいた。
マンションは10階建て。3階から10階までこの速度で上がることは難しい。
だが息一つ切れてない様子で、女は屋上に向かっていた。
屋上の扉が開いて、女が外に出ていく。
「あれ…屋上の鍵はしまってるはずだけど…」
会長が管理室にある鍵が並んでいる棚を確認すると、屋上の鍵はそこにあった。
女は開錠するそぶりもなく出ていったように見えた。
また警官と警備員が動く。
警官1人が管理室横の階段に待機。
他の2人がエレベーター。
警備員は先ほど同様に階段で向かうことになった。
エレベーターが到着し、屋上の扉に手をかける。
しかし施錠されているようで、扉は開かない。
会長が鍵を持って向かう。現場に着くころに、警備員も到着した。
警官、警備員、会長の4人が屋上に出ていく。
真理子さんのポケットで携帯が震えた。
会長から着信だった。
「もしもし。会長、どうしたんですか」
「林田さんさ、ちょっと屋上きてくれないかな」
「え!女がいるかもなんですよね?!そんなの嫌ですよ!」
「いや警察の方からも来てほしいってね…本人の確認が無いとちょっとっていう話で…あとそこにいるAさんとBさんも連れてきてくれないかな。大至急。女はいないから」
残った人間にその場をお願いし、現場に向かうことになった。
真理子さんたちが屋上に着くと、封筒やレターパックが散らかっていた。
何回も雨風に晒されたかにパリパリになっている。
真理子さん、Aさん、Bさん宛のものだった。
他の2人より明らかに多い自分宛の郵便物。
真理子さんが拾おうとすると警官が制した。
「皆さん触らないでください。これから専門の者が来ますので。」
「自分のものでもダメなんですか」
「数日でお返しできると思うので、ご辛抱ください」
AさんBさんも触らずに、ただ自分の郵便物を眺めていた。
中にはゴミのようにボロボロになったものもあった。
誰宛なのかもわかりにくい。
手袋をした警官がボロボロの郵便物を少し動かす。
「多分、これ、林田さんのですよね」と文字を指差す。
確かに自分宛のようであった。
しかし。消印は数年前。
このマンションに移り住む前のもの。
その時、真理子さんは思い出した。
この消印の時期、やはり何回か郵便が届かないことがあった。
ほかの人の郵便物は最近のものだけで、明らかに古いものは真理子さんの郵便物だけ。
「林田さん。これ全部林田さんのものっていう認識で大丈夫ですか。消印、だいぶ古いですけど」
「そうですね…私のものです…このマンションに越してくる前も郵便物がなくなることがあったので……」
「……いろいろ調査が終わったらまとめてお返しするのでお時間いただいていいですか」
「はい……」
警官の怪訝そうな顔が、どうも自分を疑っているように思えた。
そこからは居心地が悪くて、戻っていいと言われてからすぐに家に戻ったそうだ。
帰るとお子さんが起きていて、ご主人が世話をしていた。
「さっき変な奴がピンポン鳴らしてきたよ」
「警察とかじゃなくて?」
「いや、違う。女だよ。オバサン。
30分ぐらい前かな。
ピンポンが鳴って、カメラで確認したら髪の毛ぐしゃぐしゃのおばさんが立っててさ。
なんかイタズラしたのこの人なんじゃないかなって思って反応するのやめたんだよ。
気持ち悪いよなあ」
「それでさ。ユウトが起きちゃって。
玄関に向かって『まぁだだよ!』なんて言ってからオモチャ投げるしで。
今ようやく落ち着いたところだよ」
30分前。ちょうど屋上にいたぐらいの時間であった。
確認したところ、真理子さんたちが屋上にいた時間には監視カメラに何も映っていなかったらしい。
屋上に出ていった女は、戻ることもせずに忽然と姿を消していた。
真理子さんは、子供とかくれんぼだけはやらないようにしているという。
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