見出し画像

桃蜜の指

2、指切り

昔の中国は字が上手いのが昇進の条件にもなったという。
こんな話を聞いた。

唯香さんが小学生の頃。
授業で書道というものに初めて触れた。
書道バッグも真新しく、教室に置いていいと言われたが自宅に持って帰った。
祖父に見せるためだった。

祖父は趣味で画家をしている。
依頼が多い油絵画家で、よく筆を握っているのを見ていた。
なので幼心にお揃いだと嬉しくなったのだ。
「おじいちゃん、習字を習い始めたよ。みてみて。」
祖父の前に書道バッグを広げ始める。
硯や筆、マット、文鎮…最後に墨汁と水差しスポイトを出した。
「おい。水差しはないのか。墨をする時に必要だろう」
「そういう時はこれを使うんだって」
スポイトを指差すと、祖父は眉間にシワを寄せた。
怒らせてしまったのかと不安な面持ちでいると、祖父は咳ばらいをした。
そのまま立ち上がり、アトリエに引っ込んでしまった。

「ほら。これをやろう」

戻ってきた祖父の手には小さな桐の箱があった。
受け取り、中を見る。
桃の形を模した、陶器が入っていた。
青い染料で模様が描かれ、先端から中ほどまでかわいらしい桃色に染まっていた。
「わぁ。かわいい…これなぁに?」
「それは墨に水足すときに使う、水差しだ」
「こんな大きいのが?すごい!大人みたい!」
ほとんどを墨汁でまかなう書道の時間。
墨をすることは滅多にないだろう。
専用の道具を持つことは大人への第一歩だと心からはしゃいだ。
早速水を入れようと水差しを掴む。

からん

中に何か入っていた。
蓋を開けても、水しか通さない構造になっていて中が覗けない。
「どうした?」
「中になんか入っちゃってるみたいなんだけど、何かわからないの」
「それはわざと入れているんだ。ほら、カラカラ音がするだろう」

「昔の中国は、筆が達つほうが出世した。
だから筆が上手い人が亡くなった時に指を貰うんだよ。
煎じて飲んだり、こうやって道具に混ぜたりするためにな」

「これは骨だ」

まだ葬式も経験したことのない唯香さんは、骨と言われても何の恐ろしさも感じなかったという。
淡々と説明を続ける祖父の話に頷き続け、理解できたのは「字が上手くなるように」という内容だけだったそうだ。
その日はそのまま祖父の指導で墨をすり、習字の練習をした。

翌日、体育の授業で唯香さんは左の小指を骨折する。
ドッヂボールの球が当たったのだが、当たり方が悪く、治りに時間がかかりそうだった。
それを聞いた祖父は、唯香さんの部屋にあった桐の箱を没収した。
一言、お前には野心がなかったからかもなぁと、それだけ言われたそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?