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けもの傘

志摩地方のお盆には傘ぶくという行事がある。
新盆を迎える家は和傘に故人の愛用品をぶらさげて練り歩くというものだ。
この和傘は白く、同じく白い布が目隠しのように垂らされ、内側の骨に物をかける。
布には戒名、屋号、新盆者の俗名、没年令などが大きく書かれているそうだ。

水谷さんは婚約者を亡くしていた。
彼女の新盆だと、彼女の家を訪ねたそうだ。
傘にさげることを許してもらい、取り付けたのはネックレスだった。
水谷さんの家に置いたままになっていたが、元々はプレゼントした日から毎日つけてくれていたものだった。
彼女の母親は、水谷さんも傘を持って歩いてくれないかと提案した。
故人に縁がある人間であれば交代で傘を持つことも、また供養になるのだ。

広場にはヤグラが組まれ、そこで太鼓と鉦の音に合わせて念仏が唱えられる。
傘ぶくを持った遺族らはその周りを練り歩く。
水谷さんは母親から傘を渡され、歩き始めた。
「もう会えないと思うと寂しいもんだな……」
揺れるネックレス。様々な思い出が蘇った。

「別れたがっていたくせに」

聞き慣れた声が耳に入った。
声がした方向を見ると、黒い影が通り過ぎた。

「うそつき」

次は最初とは反対側から声がした。
またも黒い影が通り過ぎる。
目隠しのように垂れた布のせいで、はっきりとは認識できない。
黒い、ということだけは理解できた。

「浮気者」

それは真後ろから聞こえた。
背後から黒い影が時計回りに自分の周りをまわりはじめる。
視線を落とすと、まわっているものは獣のような黒い毛皮を持っていた。
二足歩行で、長い胴体にたゆんだ腹が揺れる。
手足は長く、猿に近いものを感じた。
悲鳴をあげたいが、喉が動かない。
足を止めたいが、意志とは関係なく歩みが続いた。
傘を持つ手がわななく。

「これから何度も会いに来るから」

毛むくじゃらの足が水谷さんの正面で立ち止まった。
布が呼吸でゆらめくほど、それは顔を近づけてきた。
恐怖のあまり、手の震えで傘が傾いた。
すると、それの顔がはっきりと見えてしまったのだ。
獣の体の上にある顔は、確かに亡くなった彼女のものであった。
見たことないほど、嬉しそうな笑顔だったという。

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