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自鳴琴

森洋子さんが勤める介護施設にはレクレーションルームが設けられていた。
入居者はこの部屋で手遊びや歌、ゲームをする。
ここではぬいぐるみや人形も、なかなかに人気があった。

「もりさぁん。私、これ部屋に持っていきたいわぁ」
「レクレーションルームのものはみんなの物ですから、だめですよ」
入居者の澤田さんが見せたのは、オルゴール付きの犬のぬいぐるみだった。
20センチほどの大きさで、尻尾の上に小さなゼンマイがついている。
森さんは、澤田さんに見せるようにゼンマイを回した。
とても軽く、いつまでもぐるぐると回せる。
音は出ない。
皆このぬいぐるみを可愛がるせいか、オルゴールだけが壊れているのだ。
「それに、ほら、壊れてるんです」
「あらぁ。さっきは鳴っていたのに」
「えっ……それって……何の曲でした?」
尋ねても、無言しか返ってこなかった。

「ね、澤田さん。オルゴールの曲って……」
「そうねぇ。明日は息子がくるかしらねぇ」

澤田さんには、こちらの問いかけが聞こえていないようだった。
「……いつ来てもいいように元気でいないと。 だから今日はお風呂入りましょうね」
少しぎこちない森さんと対照的に、澤田さんは嬉しそうにはにかんだ。
この後、入浴中も鼻歌交じりで終始穏やかに過ごしていたそうだ。

翌日、事務所はバタついていた。
「オルゴール、聞こえたんだって」
「だからなんだっていうの? 気のせいだって」
「お風呂でもずっと聞いた事ない歌うたってたんだよ」
「それがオルゴールの曲だって? そんなんで人が死ぬわけないでしょ」
同僚に話すも、取り合ってくれない。
森さんには、このオルゴールに関わる不思議な体験が何度かあった。
聞こえたと話す老人が亡くなるのだ。
しかも、どんな曲か聞いても答えてくれた人間は1人もいなかった。
おそらく中身を見れば曲名ぐらいは書いてあるだろう。
だが、ぬいぐるみを裂いてまで知りたいと思わなかった。

「すみません」
受付に1人の男性が現れる。
「お世話様です。手続きがあると聞いて伺いました。澤田の息子です」
森さんは、この人物を、何とも言えない気持ちで見つめる事しかできなかった。

この日以降も、森さんは誰かしらに相談した。
が、誰も真剣には聞いてくれなかったそうだ。
10年以上前の出来事だという。

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