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野戦の跡

最恐戦2021、朗読部門の原作に選出されたので、より多くの人に朗読されたくnoteにあげてみることにした。

ファイルでほしい方は竹書房様公式からどうぞ。よみがな付きです。



『野戦の跡』

バイクで旅をし、写真を撮るのが好きな遠藤さん。
ある旅の途中、ずいぶんと古びた建物を見つけた。

公道から脇に砂利道が伸び、崩れかかった石造りの門があり、手前には四角い建物、奥には家屋らしきものが見えた。
少し進んで様子を伺うに、人の住んでいる気配はなく、廃墟のようだった。
荒廃的な魅力を感じ、写真を撮ることを考えた。
しかし、ガソリンの残量が心もとないため、先にガソリンスタンドへと急ぐことにした。

ガソリンスタンドはすぐに見つかった。
一息入れようと店内に入ると、50代ほどの男性店員がいた。
遠藤さんは店員に、先ほどの廃墟のことを尋ねた。
「峠からこちらに向かう際に、廃墟みたいなものを見つけたんですが…」
「あぁ、あれね。戦前からある診療所だったんだよ」
「そうなんですか。入ったら、やっぱり怒られちゃいますかね」
「あんちゃん、もの好きだなぁ。まぁ、地元の人間も山菜を取りに行く近道に使うし…荒したりしなきゃ、大丈夫じゃないか」
熊なんかも今時出てこないだろうし、行ってみたらいいよ。と笑われた。

すでに時は夕刻に近づき、日が傾いていた。
暗くなる前に写真を撮れれば、と遠藤さんはガソリンスタンドを後にした。


廃墟に到着すると、そこは確かに『診療所』というのがしっくりくるほど小さな規模であった。
白い壁はくすみ、野生の植物が這い、せん定されていない庭木が茂っていた。
先ほど話を聞いた通り、人がたまに出入りしているようで、歩けないほど荒れ果てたという様子はない。

ガラス扉に手をかけると、やや重いが問題なく開いた。
床には落ち葉や小枝が散乱し、黄ばんだタイルが土埃で汚れている。
夕刻の光が満ちると、そこはなんともいえない懐かしさを感じる空間になった。

夢中で写真を撮り、気付くと夕日が沈んでいた。
完全に暗くなる前に、住居のほうも写真に収めようと、家屋側へ向かう。
廊下にはいくつか部屋があり、名前が掲げてあった。
診察室が2つ並び、その向かいに処置室。
廊下の先には住居へ続くと思われる、木製の扉がある。

その扉の前に、なにかがいた。
子熊ほどの大きさの影が、床で微かに動いている。

―熊なら、まずい。

子熊だとすれば、近くに親熊のいる可能性がある。
遠藤さんは微動だにせず、神経を尖らせ、耳を澄ます。が、音は何もしない。
音はしないが、火薬のような臭いに気がついた。
熊らしき生き物は、未だその場から移動しない。


ずりっ…ずずっ…ず……


薄暗い中、目を凝らす。
暗闇に目が慣れてくると、遠藤さんは悲鳴を上げそうになった。

そこにはモンペ姿にほっかむりをした老婆がいた。
頭と腕をベタリと床につけ、足腰で前進しようと、もがいている。
ふしばった手指が、何かを探すように床の上で蠢いている。

異常な光景におののき、逃げようと足を動す。
後ろに一歩、後ずさりしようとした時。


パキンッ


静寂の中、小枝が割れる音が響く。
音を聞いてか、老婆は遠藤さんへと動き出した。這ったまま、じりじりと。

かすかに、声のようなものが耳に入った。


「薬…クスリィ…」


目の前のおぞましい存在から微かに聞こえる。すすり泣くような声。
もしかしたら、立っていられないほどの酷い怪我なのかもしれない。
先ほどから感じる火薬の匂い。それに混ざる鉄の匂い。
老婆の服装は汚れている。おそらく、血と土だろう。


「孫に…薬をォ…」


脳裏に、戦前からある診療所という言葉が浮かぶ。
間違いなく生きている存在ではない老婆。
そこから込み上げるような悲しみを感じた。

「もうすぐ、先生が来ますから!」

思わず、遠藤さんは、そう叫んだ。
そして、腰につけていた懐中電灯を、老婆に向け、照らした。


そこには、黄ばんだタイルと落ち葉があるだけだった。

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