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《マルゾッコ》ドナテッロ

《Marzocco》Donatello

シニョリーア広場には多くの彫像が立ち並びますが、最初にこの広場に迎えられた作品は、フィレンツェ政府の百合の紋章(Giglio di Firenze)を掲げているライオン像です。ドナテッロ作《マルゾッコ》で、その名前は軍神マルスに由来しています。

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この彫像は、ローマ教皇マルティヌス5世がフィレンツェを訪れた際に宿泊するサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の宿泊部屋に設置するために、フィレンツェ共和国が注文しました。その後、フィレンツェの象徴として、シニョリーア広場に運ばれ、現在オリジナルはバルジェッロ美術館に所蔵され、広場にはコピーが置かれています。

画像2Marzocco, Donatello, 1419-1420, Pietra serena, 135,5×38×60 cm, Museo del Bargello, Firenze

百獣の王ライオンは共和国時代のフィレンツェのシンボルとして人々に愛され、実際にフィレンツェ政府は1組のライオン夫婦を檻で囲い、シニョリーア広場の裏手のレオーニ通り(Via dei Leoni(イタリア語でライオンleoneの複数形))で飼育していました。

ライオンはだいたいが多産な動物ですが、環境が悪ければ子どもを産まないと信じられていたため、2頭の世継ぎが誕生したときは、祖国に繁栄をもたらすといって市民は狂喜しました。

その後このライオン一家は20頭以上の大所帯となり、中庭付きのパラッツォをあてがわれて悠々と暮らしたそうですが、市民はあいかわらずライオンの生死に関しては一喜一憂し続けました。特にロレンツォ・デ・メディチ「豪華王」が逝去したその日、2頭のオスが決闘して喰い殺しあったのを、不幸の前兆として多くの人が気味悪がったといいます。予感は的中し、フランス王シャルル8世のフィレンツェ進攻とピエロ・ディ・メディチの失脚を経て、花の都は狂信的修道僧サヴォナローラに支配される暗黒時代を迎えることとなりました。


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バルジェロ美術館/Museo Nazionale del Bargello

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