こんなときだからこそ 〝自分の頭〟 で考えよう
突然ですが、私の座右の銘は
真実は存在しない、解釈だけが存在する
です。
これはニーチェの言葉らしいのですが、
世の中に真実なんてものは、究極どこにも存在せず、どこまでいっても、それは「ある時点での、誰かの視点」すなわち「解釈」なんだろうなと思っています。
たとえば、誰かが「トイレットペーパーが不足する」という情報を流したとして、最初それはデマだったり、ちょっとしたいたずらだったりするかもしれない。
でも、その情報を受けて、世の中の人がトイレットペーパーを買い漁り、店頭からトイレットペーパーが消えてしまえば、それは一つの真実になる。
もはや、どこに真実があって、どこに嘘があるのかなんて誰にも決められない。
結局、それは各自が解釈するしかない。
私はそんなふうに思っています。
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今、世の中はいろいろなことが起こっていて、
正直私もいろんな予定がなくなったり、変わったりしているし、さまざまな影響を受けて、心がザワザワすることもあります。
でも、これって「今だけの特別な状況」かと言えば、そうでもないのかなとも思っています。
何が正しくて、何が間違っているのか
どう行動することが正しくて、どんな行動はよくないのか
何をすべきで、何をすべきでないのか
そんなことは、もう随分前から誰も教えてはくれないし、そもそも誰も正解なんて持っていない。
もし、何かの事象をあたかも正解のように語る人がいたら、
それはその時点での情報のマウンティングか、
善意に満ちた、独善的な正義か、
ちょっとだけチャーミングな、無邪気な素直さ、
だと私は思っています。
私の思想で言うなら、正解なんてどこにもないし、真実なんて存在しない。
そこにあるのは個人の解釈でしかない。
でもだからこそ、私たちは自分の頭で考えて、自分で解釈をして、一つの「自分なりの答え」のようなものを見つけ出すしかないのだと思っています。
正しいとか、間違っているとか、
そういう次元の話ではなく「私はこう思う」「私はこうする」という非常に不確かで、弱々しい、自分なりの正解のようなもの。
それに向き合う覚悟が、きっと今、そしてこれからも、いろいろな場面で問われ続けるのだと思っています。
本当の意味で「自分の頭で考える」というのは決してたやすいことではなくて、少し気を許すと、すぐに「世の中の正解ってどうなっているんだろう・・・」と他人の頭で考え、真実を探そうとしてしまう。
でも、
こんな時代だからこそ、
こんな時期だからこそ、
できるだけ強い意思と覚悟を持って「自分の頭で考えること」が大事なのだと思っている。
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