ボードゲームカフェを8年続けてみて思うこと【後編】
前編はこちらです ↓ ↓
後編は、ボードゲームカフェを運営して、自分が何を考えて、何を得たか、というお話です。
コミュニティって作ったことある?
「コミュニティ」という言葉。皆さん聞いたことあると思います。
辞書を引いてみると、
とのこと。ただ、一般的には「コミュニティ」と聞くと「人と人の繋がり」というイメージをされる方が多いのではないでしょうか?
さて、まちづくりの仕事をしていると、様々な現場で「コミュニティ」という言葉が飛び交います。
「コミュニティの育成」だとか「コミュニティの支援」、「コミュニティの創設」とか「コミュニティの融合」、「コミュニティデザイン」とかね。
しかし、この頃(コンサル時代)、僕の問題意識にあったのは、
「コミュニティ」という言葉をみんな当たり前に使うけど、「コミュニティ」って作ったことあるのかな?
という考えでした。
そんなわけで、「ボードゲーム」をテーマにした、人のたまり場(コミュニティカフェ)を作ってみようと考えて、ボードゲームカフェをスタートしました。
しかしながら、【前編】でも書いたとおり、少なくとも序盤はまったく収入にならない。
お客さんが来ない。
人がいないんだから「コミュニティ」どころではない。
いつからか、自分の頭の中から「コミュニティ」なんていう言葉は抜け落ちていっていました…。
そんな状況ですが、とにかく必死でやり続けました。
そして、少しずつお客さんが増えていきます。
なんでもそうですが、続けることは大切です。続けていった先にしか見えないものがたくさんあります。
お一人で来たお客さんに、精一杯楽しんでもらって、その人がまた来店してくれた時の喜び。
常連さんが「金曜日があるから、仕事を1週間、頑張れるよ!」と言ってくれた時の喜び。
お客さん同士が、いつの間にか仲良くなって、気付けば「部活」のような繋がりになっている温かさ。
初めて来店した時は学生だった子が、気付けば社会人になっていたり。ご夫婦で来店していたお客さんが、パパママになって、お子さんの顔を見せてくれたり。
お客さんと一緒に店が成長していく感覚はたまらなく嬉しいものでした。
そして、お客さん達を楽しませるために始めた仕事が、気がつけばこちらが楽しませてもらっていることに気付きました。いつからか、週に一度のボードゲームカフェの時間は自分にとって無くてはならないものになっていたのです。
当初目指していた、「コミュニティ」というモノが少しずつ育っていたのだと今は思います。
たまに、「どうすればコミュニティを作れますか?」という直球ストレートな相談を受けることがあります。
そんなの分からないです笑 簡単にできるなら僕に教えて欲しいです。
僕の経験から言えることは
まずやってみる。
辛くても、続けてみる。
関わってくれる一人ひとりを大切にする。
そうすると少しずつ芽が育ち、繋がっていく。
たぶん、そういった基本的で当たり前なことがコミュニティを作ることに繋がるのだと思います。
「みんな」なんていない
1つ目は「コミュニティ」の話。2つめは「解像度」の話です。
さて、「都市計画」とか「都市デザイン」ってスケールが大きな仕事です。僕のメインの職場である柏は市全域で人口が約43万人。仕事の対象面積も柏駅から半径500メートル。時間軸も20年~50年先を見据えて計画を立てたりする。
さて、皆さんは30年後、1km先にいる人間の姿、想像つきますか?
つく方は天才だと思います。少なくとも僕は分からない。
けど、それでも、そこにいるであろう人間たちを想像してビジョンを作り、計画を立てなければならない。とても解像度が粗くなってしまうわけです。
そんな時、どうすれば良いのか?
さっきの話に近いのですが、目の前の「一人」をしっかりと観ることが大切だと僕は思っています。
43万人、と突然言われてもピンと来ませんよね。ですが、ボードゲームカフェのお客さん、100人なら顔が浮かびます。この人たちを4,300倍にすると、43万人になるわけです。
漠然と「数」で考えるのではなく、目の前の「一人」が繋がって、市民・住民になるのだという感覚を日々忘れないようにしていました。
それから、まちづくりの現場では「皆さん」という言葉が多用されますが、「雑草」という草が無いように、「皆さん」なんていう人はいないわけです。
まちづくりで大切にすべきは「人」だと僕は考えています。「人を幸せにしたい」という思いでこの仕事をしているわけですが、「人」というのは、こっちのテーブルで遊んでいる子どもだし、あっちのテーブルで遊んでるオッサンだし、そっちのテーブルで遊んでるお兄さんなわけです。
地図を見ていては観えない世界がここにあるわけです。
僕の前職には4つの社訓があったのですが、そのうちの一つ。
【徹底した現場主義】
という言葉が僕は大好きで、「まちづくり」に限らず、世の中のことは大抵がそのとおりだといつも思います。
現場を持って、そこで出会う一人ひとりを大切にすることが、解像度を上げていくことに繋がる(のではないか?)、というお話でした。
失敗し続ける大人でいたい
1つ目は「コミュニティを作ってみる」という話。2つめは「解像度を上げるには」。最後の一つは「原点を忘れない」という話です。
ボードゲームカフェでの営業ですが、例えば、うちの店の場合、小学生までは30分間100円という価格設定にしていました。
幼児さんが30分遊んで帰る時に「ありがとー」って言って、お金を100円くれるわけです。
効率だけを考えたらとんでもない悪さです。
でも、このちっちゃなお手てを守るため、幸せにするため、今の仕事をしています。原点と言えるかもしれません。
一人の子どもの笑顔を守ることが、「まち」という巨大なものを良くすることと地続きであることを忘れないようにするため、ボードゲームカフェでの接客は僕にとって非常に意味があることでした。
福本伸行さん(カイジの作者)の漫画の中ですっごく好きな考えがありまして。
この考えに非常に共感するのです。
大学3年生から数えて、まちづくりのキャリアは早20年です。それなりに努力をして来ました。最近はそれが実って来て、講演に呼ばれたり、書籍の出版に関わったりすることが増えました。すると「安藤先生」と呼ばれたり、講演会で「尊敬しています!」なんて言われたりすることもあります。
嬉しいじゃないですか。自分の努力が認められることは素直に嬉しいです。
ただ、ここで、上の福本さんのセリフが胸に刺さるわけです。
「成功を積み上げ過ぎてはならない。身動きが取れなくなる」
僕の成功なんて、積み上げるほども無いのですが、それでも調子に乗りそうな瞬間があったら、いつものこの言葉を思い出すようにしています。
ボードゲームカフェでの(特に小さい子どもへの)接客は自分の立っている位置が地べたなのかどうかを確かめる行為だと思っていました。
成功して調子に乗るのではなく、泥臭く、チャレンジし続けて、一生失敗していたい。むしろ、それに負けずに失敗を楽しみ、創意工夫を忘れず、努力を続けられる人間でいたいと思っています。
そして、他人の失敗も許容し、笑い飛ばせる人間でいたいと思います。
小さな子どもと話す時に、身を屈めて、子どもの目線に合わせて、話を聴いてあげられる大人でいたいのです。
子ども達に高みから答えを教え、導くのではなく、子ども達と一緒に、世界の不思議を楽しみ、考え、失敗しながら、生きていきたい。
自分の子どもが産まれて、ますますそう思うようになりました。
おわりに
後編は、ボードゲームカフェを運営して、自分が何を考えて、何を得たか、というお話でした。この文章が誰かの人生の役に立てたら、それ程嬉しいことはありません。
本当に貴重な体験をさせていただき、関係者の方々には心から感謝しています。
ボードゲームは大好きですし、今後も普及活動はしたいと思っています。それにボードゲームカフェをとおして出来たたくさんの人の繋がりも無くしたくないので、何らかの形で活動は続けていくつもりです。
今後とも、応援をよろしくお願いします!
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