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映画「ホームレス中学生」について

※ネタバレしまくります。あしからず。


この映画は、主人公である中学生の田村裕が家をなくし、ホームレスになって、それでも必死に生きて行く中で、人間として成長して行く青春物語である。

祐は3人兄弟の末っ子で、大学生の兄と、高校生の姉がいる。
母親は祐が小学5年生の時に病気で他界しているので、父親を含めた4人でずっと暮らしていた。

祐は夏休みの前日、父親の借金が原因で家を差し押さえられ、家を失う。

「厳しいとは思いますが、各々ががんばって、生きてください。はい、解散!」

そう言って父親はママチャリに乗っていなくなってしまう。
兄弟3人で一緒に居ようと言う兄ちゃんを振り切り、祐は1人でうんちの形そっくりの滑り台がある、通称「巻き糞公園」に住みつくことにする。

祐は、自販機の下のお金をひろったり、野糞をしたり、小学生と巻き糞公園の覇権争いをしたり、雨で体を洗ったり、鳩の餌のパンの耳を食べたり、濡れた段ボールを食べてみたりと、もうメチャクチャな生活をする。
でも本人が本気だからこそ、観ていて笑えるのだ。




この映画では重要なシーンでことごとく、料理が出てきてそれらが、心に染みるほど本当に美味しそうだった。
その最たるものが、終盤の牛丼屋のシーンである。

最初は公園生活をしていた祐だったが、途中から兄弟3人で部屋を借りて暮らせるようになる。
周りの大人たちが、兄弟の生活を助けてくれたのだ。

しかしある日、そんな「周りの大人」の1人だった民生委員の「西村のおばちゃん」が、持病が原因で亡くなってしまう。
ここで祐は張り詰めていた糸みたいなものがプツリと切れてしまう。

間も無くして祐は家出をして、遠くの海辺の街で警察に保護される。
祐を迎えに来た兄ちゃんと、帰路の途中で牛丼屋に入る。

祐は割り切れない表情でカウンターに座っている。

西村のおばちゃんの死に触れたことで、裕はお母さんが死んだことの意味を初めて理解した。
母親の死を現実のこととして理解するには、小学5年生の時の祐はまだ幼すぎたのだ。

今まで、がんばっていればお母さんが戻ってくるとどこかで思っていた。
だから、巻き糞公園で意地を張って、1人でも生きようとした。

お母さんが戻ってこないことが分かった祐は、生きる意味みたいなものを失ってしまった。

家を亡くして、空腹になって、自分のダメさを思い知らされて、そして人の死を知った。
まだ中学生の裕の心に限界が来ていた。

「死んでお母さんに会えるなら、おれも幸せやし。」と言う裕に初めて、お兄ちゃんが激怒する。

そして、まるで映画のように、タイミングよく牛丼が運ばれてくる。

じっと動かない祐の代わりに、お兄ちゃんが七味と卵と紅生姜を雑に、どんぶりに入れる。
祐はそれをぐちゃぐちゃに混ぜて、掻き込むように食べるのだがこれがめちゃくちゃうまそうなのだ。

観ていて涙がボロボロと出てくる。
美味しそうだし、嬉しいし、安心するし、カッコ悪いし、情けないし、悲しいし、寂しいし、お兄ちゃんがあったかいし、もう何で泣けてくるのか良く分からない。

食べることは生きることで、生きることは食べることだ。
そんな当たり前のことに気付かされる。

「食べること」は「満たすこと」と、言い換えられるかもしれない。
胃も心も飢えたままでは生きられない。

帰り道兄ちゃんが言う。
「祐、決めるんはお前やぞ。帰らんことも帰ることもどっちでもできる。決めるんはお前やぞ。」

祐に、そしてスマホの画面でこの映画を観ているおれにその言葉は投げかけられる。




映画のラストは祐のナレーションが入る。

「お母さんを失ったあの時から僕らはみんなホームレスでした。」
「だからどこに行くかは自分で決めるより、他はない。」

裕はそう言ったが、たぶんおれたちだってみんな時代のホームレスだ。

昭和の価値観の中で育ち、歳だけ大人になって社会に出る頃には、もうその価値観は古いと言われた。

一生懸命働いても、みんなお金がないし、終身雇用も年功序列もとっくに終わった。
結婚やマイホームなんて、文字通り夢の時代だ。

教育は再生産されて格差がジワジワと広がっているのをみんな肌で感じてる。

金持ちはより裕福に、より賢くなる。
貧しい人たちは、より貧困に、より生きにくくなっている。

時代はどんどん変わるけど、人々の頭の方が全然それに追いつけない。
だからおれたちの足場はいつでもグラグラで今にも崩れそうで、休まる暇もない。

帰る場所は、もうないのかもしれない。
だからどこに行くかは自分で、自分たちで決めるより、他はない。




祐は、3人の家に帰った。
自分で決めたのだ。

祐は生きる意味を「お母さんが戻ってくる為に」から、「お母さんとまた会えた時に喋ることがいっぱいある為に」、に変えた。

中学生なんて、まだまだ子供だ。
おれが中学生の時なんて、どうやって親にバレないでエロサイトを観るかに全力を使っていた。(結局バレたが。)

生きていると、これまでの生き方では、生きていけなくなる時期が何度か来る。
それは大体、周りの人間を含めた環境の変化によるものだ。

その時期が来るたびに、決死の覚悟で自分を変えなければならない。
そして、それはおそらく誰にでも出来ることだ。

おれたちには決めて、変化する力が備わっているはずだ。




「厳しいとは思いますが、各々ががんばって、生きてください。はい、解散!」




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