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お前の話は音楽だらけ~第1回-エマーソン•レイク&パーマー/タルカス

ご挨拶

皆様こんにちは!お前の話は音楽だらけ、第1回です。
実は第0回もあって、自己紹介やらこのnoteの趣旨やら書いてますので、そちらをお読みになられてからの方が読みやすいかもしれません。でも、読まなくても大丈夫なように書きますので、その点はご安心ください。よろしくお願いいたします。

さて今回は、僕が鍵盤、ひいてはピアノそしてジャズへ興味を抱くことになったという意味で
最も影響を受けたキーボーディスト
キース・エマーソンが在籍していたバンド
エマーソン•レイク&パーマー(以下EL&P)が1971年に発表した2ndアルバムにして
彼らの代表作であるタルカス(Tarkus)と、EL&Pというバンドについてお話しようと思います。

EL&P初の大ヒット

まずはアルバムの発売当時のチャートアクションを見てみましょう。

全英1位・全米9位

充分な大ヒットと言えます。後の80年代のように、音楽そのものがまだ巨大市場ではなかったとはいえ、これで名実ともに彼らが世界的トップミュージシャンになったことは間違いないです。
(どこぞの評論家Pさんは、電気の無駄遣いとか言ってたらしいですが…まぁ人の意見なのでとやかく言いません)

レコードの配給元などのデータ

レコードの原盤とヨーロッパへは、ジャマイカで結成され、イギリスに本社を建てていたアイランドレーベルから、アメリカではアイランドの配給元であったアトランティックレコード傘下のコティリオンレコード(70年代中頃からアトランティックレコードの直接リリースへ変更)から、日本ではワーナーパイオニアからそれぞれリリースされています。特にイギリスではレコード録音・作成について力が入れられており、プロデューサー兼レコーディングエンジニアには後にイエスでも大活躍するエディ・オフォードを1stアルバムから引き続き起用、またカッティングエンジニアには当時ミュージシャン兼凄腕のカッティングエンジニアとして頭角を現していたジョージ・ペッカム(porky,pecko,a porky prime cut,delta porkeなどの表記で知られる)が起用されています。彼がカッティングしたイギリス盤のマトリクス1は大変な高音質として知られています。ただし、アメリカ盤の初回盤も非常に音が良く、こちらも侮れません。私はアメリカ盤の初回盤を所有しており、写真は実際のものになります。(いずれもちゃんとした状態のものに限りますが…この辺の話はまた別でしたいと思います。)

収録内容

タイトルトラックであるTarkusをA面いっぱいを使って収録、B面は小曲を6曲収録。タルカスは、当時最新鋭の機材であったシンセサイザーを効果音としてではなく楽器としてメロディに使用、更に7楽章ある小曲を組曲として繋ぎ1曲として聴かせるという、後にイエスやジェネシスなどのバンドがトライしていくスタイルを先駆けて行ったという意味でも、非常に大きな功績を残していると言えます。
また、B面の内容も決して侮れません。特にEL&P流のBitches Crystalや、エディ・オフォードをからかったロックンロールナンバーのAre you Eddie Readyなど、佳作が収録されています。

アルバム製作に至るまで

エマーソンはタルカスの構想を得たときに、すぐにベース・ヴォーカルのグレッグ・レイクへ相談したものの
「ソロでやればいいんじゃない?」
と、全然興味を持って貰えなかったようです。
これをカールパーマーに話したところ
「グレッグは歌ものをやりたいみたいだから、キースがやりたいインスト部分に繋がる、グレッグの歌が活きるヴォーカルパートを幾つか作って、交互に配置して組曲にすれば、グレッグも納得するのでは?」
という提案を行い、これをキースは承諾。
その結果として、タルカスが完成したというわけです。

メンバーそれぞれはデビュー前から有名人

さて、このEL&Pというバンド、実はメンバーそれぞれは、音楽好きな人であれば、デビュー前から既に知られている人たちばかりでした。
キーボードのキース・エマーソンは、60年代にゲイリー•ファー&Tボーンズ(プロデューサーはなんとローリングストーンズを発掘したジョルジオ・ゴメルスキー)でデビュー。その後、パット•アーノルド(アメリカのソウルシンガー、現在も活躍中)のバックバンドとしてザ•ナイスを結成。アーノルドがアメリカへ帰国したことに伴って、バンドとして独立。ステージでの派手なパフォーマンス(オルガンにナイフを指す、ウェストサイドストーリーの"アメリカ"を演奏しながら星条旗を燃やす)も相まって、67年から解散する70年頃まで一定の支持を集めました。
ベースとボーカルを担当したグレッグ•レイクは、60年代は町の様々なロックバンドで活躍しながら、ドン•ストライクというクラシックギター教師に師事し、そこには同時期に後にキング・クリムゾンでバンドメイトとなるロバート•フリップも通っていました。フリップが68年に自分のバンドの新たなベーシスト兼ボーカルとしてレイクを招き、このタイミングでジャイルズ•ジャイルズ&フリップという名前からキング・クリムゾンへ名称を変更。69年、"クリムゾンキングの宮殿"で衝撃的なデビュー(とあるチャートでは同年販売のビートルズのアビー・ロードを上回って1位を獲得したという)を飾り、レイクはその甘いルックスと声、爆発的なベースプレイもあって大変な人気を博していました。
ドラムのカール•パーマーは、ジュニアハイスクール時代に同じ学校にいたスティーヴ・ウィンウッドとバンドを結成。その後はバディ・リッチやグレン・ミラーをカバーしつつ、ダンスバンドでプロ活動を開始して以降は、様々なバンドを経験。その中にサンダーバーズというバンドがあり、これには後にジョンメイオールのバンドやコロシアムに加入するメンバーが在籍していました。そして、68年に若干18歳でクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン(Fireのヒットやその演劇的なステージング、サイケとブラスロックが合わさったサウンドで知られる)へと加入。69年、ツアー中にトラブルが起こり、キーボードのヴィンセント・クレインと共に脱退し、ベース兼フルートのニック・グラハムを誘ってアトミックルースターを結成。ファーストアルバムは好評を得ていました。その後、レイクから新バンドへの加入を打診されたため、アトミックルースターを脱退。EL&Pへ加入しました。

根本的なEL&Pへの評価

誤解なきように言っておきますが、まず私は彼ら、ひいてはエマーソンの大ファンです。正直、駄作と言われているアルバムも含めてしっかり聴き込んでいます。その上で改めて彼らに対する評価を書きます。
彼らは70年に結成、全盛期は74年頃までとされています。
個人的には、72年までがEL&Pが無条件に凄かったと思っています。というのも、73年に発表したBrain Salad Surgery(邦題:恐怖の頭脳改革)を聴くと、エマーソンがネタ切れを起こしながらも、何とかギリギリの状況を耐え抜き、曲を書いてアルバムを作るも、そのあとのツアーを経てリリースされた74年のライブ盤Ladies and Gentlemenを聴くと、ライブの為の万全の新しいアレンジを書くまでには新曲は至っておらず、旧曲も圧倒的なアドリブで聴かせていた72年のアメリカンツアーやワールドツアーまでに比べると、非常にコンパクトなアレンジとなっており、EL&Pらしさが薄れてしまっている部分があると思っています。

まとめ

EL&Pというシンセサイザーという最新鋭のテクノロジーと、メンバー各自の抜群のテクニックとセンス、そしてライブでのファイトを武器に70年代を駆け抜けた驚異のロックトリオ。改めて自分が好きなバンドであり、今も彼らのパワーが自分に内在していることを今回このnoteを書きながら再認識したのでした。
最後に、高音質かつ高画質のタルカスのライブ動画を発見したので記載しておきます。
なんと、1972年のトリロジー発表に伴うワールドツアーで日本公演を行った際の映像です。場所は後楽園球場です。

https://youtu.be/2kq0rwgr0Ss

次回予告

さて、今回はここまで。
次回はイエスのClose to the edge(邦題:危機)です。

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