「労働は修行である」とした鈴木正三

勤勉革命についての記事では、歴史人口学者の速水融氏が指摘する「勤勉革命」について取り上げた。

特徴を要約すれば、

・資本投資を節約し、その分労働時間、労働強度を増加させる

・しかし働いた分生活水準は向上するため、自発的な労働を行った

点が産業革命とは異なる点である。農民は働けば衣食住の水準が向上したため、速水氏は「日本人はそこに労働は美徳であるという道徳を持ち込んでしまった」と推測している。


この「日本人の勤勉性」について、山本七平氏は「日本資本主義の精神」の中で同じように江戸時代の日本を取り上げ全く異なるアプローチで日本人の勤勉性の成立過程を語っている。今回はそれを取り上げてみたい。(山本七平氏は歴史学者ではないので歴史的な検証はもちろん必要だと思うが・・・)

なお、特に記述の無い限り、引用におけるページ番号は以下の本のものである。


 鈴木正三

鈴木正三は、戦国時代から江戸時代の過渡期―いわば戦後に生きた人物だ。

江戸時代になり、秩序は回復したが、もう「足軽から太閤へ」というような夢も儚く消え去った。

一方で、戦乱はもうたくさんで、今の秩序を維持したい、そんな思いが工作する時代だったようだ。

正三は、三河の家康の旗本だった。江戸時代の到来後、一時期は大阪番を務めるが、1620年に出家した。当時、この行いは出家や御家断絶すらありえる行動だったが、彼は断行した。


鈴木正三の仏教観

鈴木正三は、宇宙の本質を「一仏」として捉えた。この「一仏」は人には知覚できないが、「月」と内心の「仏」と「大医王」という3つの「徳用」を通して人は「一仏」の存在を知ることができると考えた。

正三の仏教感は、人間も「月」すなわち宇宙の秩序に組み入れているのだから、その内心の秩序も当然宇宙の秩序に組み入れられており、人間はこれに従っていれば良い(=「内心の『仏』)、というものであった。


百姓が最も偉大

戦国時代の末期に生まれ、江戸時代を生きた正三は、300百年にも渡って人々が戦乱で苦しんだ理由を「貪欲」、「瞋恚」、「愚痴」の三毒に人々の心が冒された為だ、と考えた。
これから良い社会を作るためには、「内心の『仏』」が三毒に冒されてはならない。そのためには、仏行―すなわち修行を行って「成仏」しなければならない。

しかし、一般の人々には日々の労働があり、それによって生活を支えて生きている。正三は、自身を「社会的寄食者」とした上で、以下のように発言しているようである。

自分は、食べただけをこの世に返して世を去るわけにはいかない。しかし、百姓は自分の食べた以上を世に返している、したがって百姓が最も偉大であり、再びこの世に生まれることがあれば、そのときは百姓になりたいという意味のことを言っている。
――p.131


日々の仕事=修行

このように、日々の労働を立派な行為だと考えた正三は、心がけ次第で労働を仏行、すなわち修行となり得る、という考えを基に「四民日用」を打ち立てた。

この「四民日用」は、士農工商に対してどのようにすれば成仏できるかを問答体で説明している。
この「四民日用」を要約すると、「『修行に励め』と言われても日々の業務で忙しく、そのような暇は無い」と語る人々に対して「あなた達の行う仕事は仏教の修行としての意味をもち、それを一心不乱に行っていれば成仏ができる」と正三が語る、というのが大まかな内容である。

正三は、日常業務=修行という考え方を四民に広げ、秩序の基礎として、そして同時に宗教的な精神的充足を行い、仏教体制を確立しようとしていたのだろう。


「利潤の追求」は許されないが、「結果としての利潤」は許される

仏教では、利潤を追求することはすなわち三毒のうちの「貪欲」に侵されてしまうことを意味する。だが、士―すなわち江戸時代における武士は例外として、残りの農工商―特に商―が一心不乱に働けば結果として利潤を生じてしまう。この矛盾はどう解消するのだろうか?

正三は、利潤を追求すること自体は悪としながらも、成仏するために一心不乱に働いた結果生じた利潤については否定していない

ただし、この「結果としての利潤」に満足していては堕落する。そのため、この状態のままであってはならず、さらに巡礼のごとくにあらねばならない。

すなわち、

「此身を世界に抛ちて、一筋に国土のため万民のためとおもひ入りて、(中略)一切執着を捨、欲を離れ商い(後略)」
――p.137

を行わなければならないのである。


正三の弊害

正三の「日々の業務=修行」であり「結果としての利潤は問題ない」という考え方は、戦後海外から見れば「エコノミック・アニマル」にしか見えないような「モーレツ」な働きぶりによって奇跡的な経済成長を遂げた。
正三の考え方を前提におけば、「働くことが即美徳、働かないことは悪徳」なのだから、当然とも言えるかもしれない。

だが、この考え方は弊害も産む。山本は早くからこの弊害に気がついていたようだ。

だが、このことは実際には仕事がなくても忙しく振舞っていないと、本人が心理的に不安になるという状態を引き起こし、また共同体から阻害されているという不安を感ずる。そのために、いや応なく「多忙」を演ずるので、企業が「忙しく振舞う剰余人間」を抱えるという結果になる。

――p.232
経済性を無視して「ひたすら働く」ことに一種の宗教的意義を感じ、それが精神的充足感となって、それで満足してしまうという傾向は、確かに日本にある。
(中略)
経済性を無視しても、成果が全くなくても、「ひたすらやった」ことに意義を感じ、同じいそれが、その意義を認めよ、という形になり、それが認められないと、不当と感じ、強い不満を抱くという結果にもなる。
これが、しばしば、その実際の成果よりも、「ひたすらやった」という行為そのものを評価する結果になり、同時に、その評価を期待するということになる。
――p.235-p.237


まとめ

正三の生きた時代は、戦乱が収まった時代だった。しかし、同時に士農工商が固定化し、人々が何に「生きがい」を求めてよいかわからない時代の到来でもあった。

当時の武士には「剣禅一如」という考え方があった。一心不乱に剣術の練習をするのは、殺し屋になるためではなく、禅の修行と同じである、という考え方だ。
武士から禅僧になった正三は、この考え方を農工商にも広げ、「世法を則仏法に」しようとしたのだろう。

「仕事=修行」と捉え、「結果としての利潤」を獲得していった戦後日本は奇跡的な経済成長を遂げた。だが、「ひたすらやった」ことに充足感を求めた結果、経済性を無視してしまう、という弊害も生んだ。この弊害は、私の身の回りでも、報道でも、どこでも見られる弊害のように思える。

良くも悪くも、正三の考え方は私達の考え方の基礎になっているようだ。


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