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孤独は優しい

漫画の一コマ。
「死ぬ時は1人だよ」
少年ジャンプの「呪術廻戦」という漫画で
現代最強の呪術師、五条悟が発した言葉。
意識の変革と成長を促すために述べた事実である。


どんなに仲間たちと協力して戦っても
最後は1人。
私はこの言葉には一見冷たく感じる
一方で、異なる感情も湧き上がる。
1人であること、孤独であることが
私の逃げ道だからだ。

ここに書くのは、ふと孤独を想像して逃げ道を求める私の感覚の話。







私は人と関わり社会的な繋がりを作る中で
だんだん自分がレイヤーを重ねられていく感覚があって、「その場のそういう自分」が積み重なっていく気がしている。 




人と関わることは楽しいことで、有意義なことだ。


でも人と生きていると、私のもともとあった
レイヤーって何枚目だっけ?と思うことがある。



私は物心付いた頃に芽生えた「自分」が誇らしくて
好きだ。
だけど、積み重なった他のレイヤーによってその自分が大切にしていた気持ちを否定していないか?

あれ、そもそも、元々の自分なんて見つかりもしないじゃないか。


特に自立し働く「人間」となってからは、
私の全てが他者の価値観を投影し、塗り重ね続けただけの人間になるのではと怖くてたまらない。


誇らしく思える自分を失いたくない。
消えて欲しくない。
そんな想いあれど容赦なく袖を通されていく
大人としての「常識」。

働く「人間」として生活を営んでいると
レイヤーを分厚く着込でいる割には、震えが止まらないのだ。





そうして耐えきれなくなった時、よく選ぶ曲がある。 

Waiting For The Sun / the HIATUS


私の心を曲を通して見つけてくれる、細美武士がボーカルを務めるバンドの曲だ。

この人には私が好きな自分の一部を作ってもらったので一方的に強い絆を感じている。
(実際に面識は無い)

the HIATUSは複数ある彼のバンドの中で「1番好きだ」と言いたいバンドだ。1番なんて選べるわけないが、その上で「1番」を使いたい。



そもそも結成の背景も関係するが、このバンドの曲は「孤独」や「悲痛」の想像を掻き立てるものも多い。

しかし耳を塞ぐにはあまりにも美しい。
音が、詩が、曲が。

そして、わきたつ景色があまりにも優しいのだ。


私たちが人間になる前、ヒトの頃からずっと見てきたはずの自然、風景。
単に曲を言葉や状況にしてしまえば人1人、孤独で虚しいだろう。


でも実際はレイヤーを必要とせずただ見つめ存在をあるとしてくれる草木や空、火や土がそこにいる。曲の中で鮮明にその姿を感じさせるのだ。


その景色の中に身を委ねながらごく当然のように
着重ねたレイヤーを脱ぎ続ける私は
いつか震えが止まっていることに気づく。


必死に探していた「自分」がつま先、指先まで満ち満ちて血が通った体になるからだ。


To feel I'm not alone.
―私はひとりじゃない、誇らしい自分が共に生きてくれている―

Waiting For The Sunの歌詞より(意訳)


この曲を聴く時、私は安心する。曲の中に没入し、自分はまだ息絶えていないのだと感じる。


人間から離れた孤独という状況が私が好きな「自分」に優しい環境であることは分かりきっていることだ。

人との関わりを望む心のままに生き、図らずしも
信念が息絶えそうになった時、孤独は私の逃げ道になる。



そう考えると五条悟のあの言葉もやはり事実であり
そしてある意味救いの言葉なのだろう。