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大山詣に行きましょう!③(照子とマイル、二子溝口~荏田へ、はじめて☆の宿!)

誰でも行ける簡単な旅だという。江戸で年間20万人が行ったという。
大山詣の旅、知ってますか。
9000字と長くなりましたが、写真多め、そして江戸時代のお風呂やトイレについても描写しました。気長に読んでくれればうれしいです。


照子と参兵衛(マイル)は赤坂を出て「大山」へ参拝の旅に出ていたが、どうも三軒茶屋あたりで意見が対立してしまったのはこれまでの話。2人はやがて合流し、何とか多摩川を超えようとするところまで描きましたが、ちょっと話を戻します。
旅の目的は、他人とかかわるのが苦手なマイルくんは、大山講に入らず初めての一人旅を楽しむため。照子ちゃんの祈りは切実なものだった。
以下、照子の会話劇。

「神様、お願いです! お金をください!!」
お金が無くて旅ができないことに気づいたわたしは、いくつの神社にお参りしただろう。このままじゃ練馬を救えない。江戸時代の練馬に来たわたしは、江戸の素敵な文化に出会えると思いきや、思いきりききんで苦しむ場面に遭遇した。ききんでたくさんの人が亡くなったあとも、なぜか局地的な日照りで作物が育たない。人々は役所や米屋や名主を襲いはじめている。
当事者ではないわたしに何もできることはない。しかし、せめて雨乞いの神様である大山阿夫利神社に祈れば、雨が降るのかもしれない。神様がわたしをこの時代に連れてきたし。

太子堂八幡様、世田谷八幡様、代田八幡様、勝利八幡様… 神社を聞き出し、ひたすらにお金のお願いに行った。なんて薄情なの! そもそも神様がわたしをこの世界に放り出したくせに!

もはや物乞いを始めるしかないか。そう絶望を感じて道端に座りこんだとき。
「おっはよぉおおおおおございまぁあああす!!!」
「ちょ、神!?」 「そうだね、お金がないねぇ! けど、連れのマイルくんにお金はらってもらえばいいじゃない!!」
「そんな、あの人も自分のお金でしょ!? ただでさえ連れてってくれる迷惑かけるのに、お金まではらわせるなんてできないわ!!」
「えー? 人間関係とやらですか、めんどくさいなあ!! まあいいや、金くらい、たくさんの人からもらっている偉大な神様ですから!! 練馬を救うお金くらい、出してあげてもよかろう!! はい、ちゃり~~~~ん!!!」
巾着? ちょ、重っ!! え? 金貨がたくさん!!!
「あと、この格好、みんなから変に思われるわ! あいつも気持ち悪がってるし。」

青春の象徴! 令和の女子高生ファッション! 地元の母校の制服には誇りはあるけども。

「じゃあ、マイルくんが会いたがっていた女性の格好にしてあげよう!はぁい!!」
持っている手鏡で見てみたわ。「あ。ヤバイ、きれい…」

大山詣に行きましょう!

「マイルくんが会いたがっていた、吉原の花魁スタイルです!これで気に入られること間違いなし!!」「…はあ?風俗嬢??」「あとはシクヨロ!」
まあとにかく、これであいつに甘酒代も団子代も返せるわ。さらに旅が続けられる。そして、何よりごはん… もう2日食べてないわ。
三軒茶屋から池尻稲荷に戻り、「涸れずの井戸」でまた喉をうるおし、あいつを追いかけようとわたしは世田谷村の茶屋でうどんを食べ、お金をはらおうとするが「小判なんて出すな、銭で払え!!」とわけのわからないことで怒鳴られ、パニックになりひたすら逃げた。もうわからない、この時代の習慣…。

けど奇跡!! あいつがいたわ!! 「たすけてぇえええ!!!お金ははらうから!」

「その髪型、吉原の花魁だろ?」
ふん。風俗店に入り浸る破廉恥男め。このままじゃあたしも餌食にされるわ。え? ただの大工で吉原の工事をしていただけ? まあ、ちょっと信頼していいかも。
「お金は払うから! けどあたしには手を出さないで!!」
「とりあえず、溝口か荏田の宿場までなら…」
(まあ、いいわ。こいつが嫌なヤツなら、あたしは一人で歩いていけばいいんだわ。何よ、神様。なんでこんな男といっしょに行かなければいけないの?こっちは花の女子高生なのよ!)

あ、紹介遅れました! こんにちわ、毎度の「豊島照子」です!!
( ↓ 豊島照子の初登場はこちら)

今はこいつ(マイル)に取り入るために、一時照子を辞めて、こいつの憧れの「吉原の花魁」こと「照紫(てるむらさき)」って改名中です! めんどくさくてごめんね!!

船で多摩川を渡りましょう!!

「二子の渡し」から船に乗った二人。お江戸を離れ、世田谷村など近郊の村を通り、多摩川を超えると相模国に入る。この船旅は故郷からさらに遠くなる、別れの寂しさも感じることだろう。
「ねえ、見て!! お江戸が遠くになりにけり、だわ!!」
江戸時代を訪れた「令和の女子高生」こと照子のはしゃぎぶりに、マイルはやや引いていた。

「ねえ、きれいじゃね?」「ん? ああ…。」
無愛想に答えるマイルを照子はじっと見てみた。変な髪形。月代(さかやき)っていうのかしら、てっぺんあたりを剃って丁髷(ちょんまげ)。
若いのに「てっぺんハゲ」だわ! しかも月代が無精ヒゲというか、だらしない雑草みたい。草生えるwww 
照子が驚くように、当時の江戸の町人はマイルのような大工でも、武士が兜で頭頂が蒸れてかぶれないように、髪を剃り月代にし、長い後ろ髪を束ねて髷にして頭頂に乗せていた。この月代を剃らない総髪は幕末に流行るが、当時は御公卿に医師に学者、はたまた浪人に物乞い。しかも当時は髪を剃ったところの青々さで若さをアピールするため、藍で青く染めていたそうだ。

大山参兵衛ことマイルです。神様による改名は筆者が参兵衛と書くの面倒だから? 色ちがいの目は、神様がくれた「未来が見える目」らしい。
歌川国芳

まじまじと見たが、これまで時代劇や漫画などで見たこともあるが、はじめて見た髪型に照子は驚いていた。

「んー。きれいだなぁ…」
間を空けてボソッとマイルはつぶやいた。
(酔っぱらってるの? そういえばさっき二子の渡しの茶屋で鮎?食べながらお酒飲んでたな。あたしも鮎食べたかった…。
いけないいけない! あたしは練馬を救う女!! この世界を楽しむどころじゃないのよ!)
自称「石神井の姫君」である照子は、気を引き締めると同時に、最初と比べ顔が柔らかくなったマイルに安心した。

まわりには多くの船が行き交っていた。江戸を目指す船、江戸から離れる船。旅行や荷物の輸送。鮎を釣る船に、遊覧を楽しむもの。

歌川広重、東海道五十三次。

ふと、まわりが騒ぎ始めた。
どうやら、子どもと母親が落ちたようだ。
2人は目線を送ると、実は自分たちの船が最も近いことを認識した。
マイルは跳びこもうかどうか迷った。実は泳いだことがない。マイルはただあたふたしていた。
照子。子供のころはスイミングスクールに通っていた。さらにカバン(高校の手提げバッグだが、ふだんは風呂敷につつみ背中に背負っていた)から空の2リットルのペットボトルを持っていた。この旅に備え、スポーツドリンクとお茶を用意していたのだ。井戸水が飲めなかったためすでに飲みつくしたが。

照子は「ペットボトル!」と空にかかげ、船をおぼれた2人にできるだけ近づかせ、ペットボトルに少し水を入れ、跳びこむ! 泳ぎながらペットボトルを渡し、抱きかかえて浮かぶようなしぐさを見せた。

何とか浮きながら、船は追いつき母子を救出した。
どよめく周りの人々。しかし照子は冷静に呼吸を確認したが、子どものほうが息してないのに気づいた。
「息してない!!」 あわてる船頭とマイル。
照子は人工呼吸をはじめた。小学生時代に学校で、スイミングスクールで習ったことは自然に行動できた。気道確保、心臓マッサージ。

子どもは息を吹き返した。また、まわりがどよめいた。

マイルは何も役に立てなかった自分を恥ずかしく思いながら、ただただ「おまえさん、すげぇな…」としかつぶやけなかった。

何とか、船で向こう岸に渡れた。改めて、旅は命がけってことに緊張感が増してきた。
「何と言ってお礼を言えばいいか…。あたしの笠が風に飛ばされたとき、この子がそれを取ろうと飛び込んで…」照子はこの子に「がんばったね!」と声をかけた。子どもは意識はもうろうとして、体が震えていた。
川の水は冷たい。照子はかばんから制服のジャケットを取り出し母親に着せた。さらにジャージを取り出してこの男の子を着替えさせた。

まわりの人が駆けつけてくれた。「向こうの店で休ませてくれるらしいから、暖まっていきな!」

二子の渡しの対岸。ここにも多くの店や問屋がならんでいる。
ある家の中に案内された4人。囲炉裏が暖かい…。子供はどうやら眠っているようで、命に別状はないようだ。助かった…。照子はこの時代、現代よりもささやかなことで命を落とすリスクがあることを思っていた。

「ふう。お風呂入りたいわ。お風呂、お借りできませんか?」
「この辺は湯屋は…。溝口には湯屋がありますな。」
照子は家に風呂がないことに驚いた。この時代、薪(まき)や水が高級であり今のように人がどっぷり入るには沸かすのに手間がかかりすぎたため、今のように風呂がある家はほとんどなく、宿も湯殿が無いものが多く、近くの湯屋(銭湯)と連携していた。

江戸の長屋。燃料と水が貴重だけでなく、江戸の町は火災を恐れ、家には風呂がありません。
関東の民家は入り口にたらいがあり、水などで洗ってました。

(上方には五右衛門風呂などが普及していたようだが江戸近郊はそうでなかったという建前で話を進める。「東海道中膝栗毛」の小田原宿の五右衛門風呂も宿主が上方出身だったようだ)

溝口宿にて

2人は丁寧におじぎをする母子と別れ、溝口宿へ向かう。
照子は服や体はあるていど乾いたが、どうも風呂に入らないと気が済まない。多摩川に落ちたうえ、当時の道路は舗装されているわけもなく、さらに風で体中土ぼこりだ。もう2~3日も風呂に入っていない。湯屋がある場所に急ぎたかった。

マイルは距離をとって歩いた。この時代は男女が一緒に歩くのは珍しい。マイルが先導し、照子はその後をついていくように歩いた。

溝口宿へ。照子は湯屋に入ることをマイルに告げた。
「その間、このお金で旅の道具を一通り買ってきて。」
「何も持ってきてないのか?」「…この時代の旅って初めてなのよ。」
「え?」マイルはいぶかしんだが、このお姫様(一応、花魁を辞めた照紫、大金持ちのお大尽という設定)の従者でいるという自分。何も言わずに従うしかなかった。「まあ、荏田あたりまでで、別れるか」ぐらいの付き合いにしようとした。

「櫛(くし)、鬢(びん)付け油、手鏡。弁当箱、水筒、火打石に矢立(筆箱)、枕(携帯用)。針に糸に、ハサミや小刀。替えの草鞋(わらじ)に足袋(靴下)、風呂敷はいるか? 煙管に煙草入れ…」

調布市郷土博物館より。

「タバコは吸わないわ。未成年だし。水筒はペットボトルが、」
「え?」マイルはまたいぶかしんだ。当時、江戸は女性もふくめほとんどの人が煙草をたしなんでいた。喫煙率は90%を超えていた。
「あと、髪型を変えたいんだけど、そういうお店はあるの?」
「髪結いか。探しておこう。」当時の床屋は男性の髷を結ったり月代やヒゲを剃ったり耳掃除をするところもあったが、女性の髷も専門の人を呼んで結うこともあったようだ。運よく、髪結い床の店があったようだ。

照子は湯屋に向かった。
…衝撃的だった。当時は混浴なのだ。入口に入り、番台に銭を渡す。
すると、目の前に脱衣所。丸見えである。照子は固まった。初めての光景だが何が何やら、見ないようにした。
照子は体を震わせながら、何も見ないように服を脱ぎ、番台から借りた手ぬぐいで必死に体を隠す。羞恥を捨てなければならない。しかし恥ずかしさで死にそうだった。
お湯をもらい、体を洗う。ぬか袋でこの時代に来て以来の垢を必死に洗い落とそうとする。すぐに出ようかと思ったが、ちゃっかり奥の「石榴(ざくろ)口」に入り湯舟へ。低い入口をくぐるのも、頭をぶつけるわ、すべって転ぶわ。「おぅ、どうした!?」と男性から声をかけられるも、半分泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい!」と声なくつぶやく。
お湯がキレイなのか気になったが、もうとにかく早く出たかった。

歌川芳藤の浮世絵。人間の裸の絵はアレなので、猫の裸をのせました。

見つけてもらった髪結い床へ。

歌川豊国。

「ふつうの、多くの女性がしているもの、」髪型のオーダーも、たどたどしくしゃべるも、なんとか普通の高島田へ。

簪は練馬の大根と、石神井池と桜のイメージです!

そして合流するための茶屋。ここで初めて鮎を食べる。茶飯に漬物、納豆入りの味噌汁、野菜の煮しめ。金に糸目は付けないぞ! いろいろあったが(トイレの紙に困り、浮世絵を買ってはやぶいて使ったとか、長屋などのトイレは周りから丸見えだったのが最初の衝撃だった)、

東京都水道歴史館より。
はじめてトイレの前に大量の「浮世絵」を買ったというのは内緒。当時は浮世絵は版画による印刷技術で、陶器の包み紙になるほど安価だった。当時の地方はまだ木べら(糞べら)というのを使っていた。江戸の人は浅草紙を買っていたようだ。

自分は貴重な旅をしているのだ。金に困らないだけ、マシだ。この旅を通じて、人間として成長しそうだ。女子として大切な何かが失われそうだが。
マイルは旅一式の道具をそろえてくれた。古着屋にも立ち寄り、旅に向いた服装を手に入れる。

溝口宿の店をウィンドウショッピング。桶屋に下駄屋、箪笥屋まで。照子にとって珍しいものばかりで飽きない。

溝口宿の町並み(※イメージ)

煙草をふかしながら佇むマイルを通り過ぎたとき、ぼそっと「日暮れまでに荏田(宿)まで間に合わんぞ」とささやかれる。照子はとりあえず、駄菓子屋と乾物屋でお土産を買った。

荏田宿まで目指す!

「お江戸日本橋を朝に発ちて 夕方たどり着くのは荏田の宿」、江戸から七里(約28㎞)で最初の宿をとるもので、江戸の人は健脚なものだ。
溝口を抜けると、最初の急坂である「ねもじり坂」。
照子は健脚なほうだが、女性の着物は歩きにくい。マイルも歩くのが速いので、小股で急いで足を動かす。
野菜籠を積んだ大八車は見るのも楽しいが、江戸から下ってきただろう肥桶を積んだ大八車や天秤棒からの悪臭は、深呼吸するたびに鼻や喉に入ってくる。江戸から来た糞尿が、肥料として目の前を通過していくのも奇妙な感覚だ。

子育て地蔵を通過してしばらく、人通りがいなくなったとき、マイルはよく片目で現在(300年以上も後)の大山道を見る。舗装された道路に、行き交う自動車、多くの建物、ビル。

この当時は農家もまばら、うっそうと生い茂る木々。マイルが未来を見て驚き、照子は当時を見て驚く。

だんだんと民家も減っていく。「山、山だわ。着物姿で登山なんてしんどい…」と試練の旅に、自覚する照子。「わたしは練馬を救う女!!」。ききんで苦しむ人々を思う。

アップダウン、急坂のたびにうんざりする着物姿の女子高生。宮前村(神奈川県川崎市の宮前平駅)は当時、馬絹村と言われた。
小台稲荷にも参拝。マイルはよくお参りするな、地蔵やら庚申塔やら何かの道祖神やら。
まあこの道にこれくらいしか見所がないからな。

庚申塔。昔は庚申講て行事に参加する人が割りといて、「人間の体内にいる虫が庚申の夜に神様に人間の悪事を報告に行くから、それを防ぐために庚申の夜は寝ない!」とした信仰行事で、オールナイトでお参りしたり、特に宴会を楽しんだ。みんなが記念で立てた庚申塔は、街道沿いの村の様子を知る資料ともなる。
旅の安全を祈りましょう!(しかし坂おおすぎ…)

有馬村(今の鷺沼)へ。今度は谷を下り、谷底の川を超える。

県道246を通りすぎる。
谷を超え山を超え
見晴らしのよいところはなかなか良い。
マイルはビルに圧倒。
照子は山々の中から民家を探す。

「しかし、しゃべらない男ね!」と寡黙なマイルに辟易した照子。
照「今度人が来たら、『ここはどういうところか』聞いてもらえます?せっかくの旅だし。」
マ「いや、知らない人と話すのはどうも」
照「『旅の恥はかき捨て』て言うわ。どうせ通りすがりだし。地元の景色だけでなく、人と交流しても楽しいと思うわ。」

「血流れ坂」。昔は竹藪の間の草っぱらの坂道だったのだろう。

「おう、ちょいと訪ねるがよ。ここはどんなところで?」
通りすがりの人「この近くにはな、『地流れ坂』があるな。この辺りに牢場てところがあり、切られた人の血が流れてな。」
「おっかねぇな!」
通りすがりの人「はっは!牢場は老馬とも書くし、血は赤土が流れてるだけじゃて」
照「どう、おもしろかった?」

はっと目を見張る。大山が見えた。
遠くにあるような、近くのような。「キレイね…」二人はまた無言になる。

また小道を通ると、どうやら湧き水だ。喉を潤し、水筒に水を。

雨乞いのご利益もあるため、練馬を日照りから救う照子も祈る。必ず大山で雨乞いを祈り、大山の神様の霊験で練馬を雨で潤すぞ!
早淵川に沿って歩くと、また庚申塔。
ああ、ここが荏田宿の入り口だ!見えてきた!

照「晴れちゃダメ!」

二人は枡屋という宿を目指した。

宿にはおもに大山講の「まねき看板」。講(大山詣の集団)が宿泊するときに宿が掲げる、今でいう「○○様御一行」という表示。
江戸時代の学者兼画家の渡辺崋山も宿泊した桝屋。画像は崋山の桝屋のスケッチ。

荏田宿にて。

横浜市立博物館より、東海道の「さくら屋」のイメージ。

桝屋には2日泊まることにした。照子は1日目は倒れこむように眠った。足が棒である。2日目に荏田宿を散策したり、周辺を散歩しようとした。
まあ、意外と早く宿に戻る。すると、宿は騒然としていた。
病人がいるらしい。熱が高いと。

見ると、二子の渡しで多摩川でおぼれていた母子だ。母親が熱が出ているようだ。
「あ、おねえちゃん!」子どもが気づいてくれた。
「ど、どうしたの?」「おっ母が、命の恩人であるおねえちゃんに、何とか御礼をいいたくて、溝口神社のお札を持ってきたんだけど、寒いとかいって倒れてしまって…」
どうやら風邪らしい。しかし、医者がいないというか、お金がかかるとかで診てもらえないようだ。(江戸時代は今のように保険もないため高額、かつ医師資格もないためヤブ医者ばかり)
顔を触るとけっこうな高熱。風邪といっても昔はこれも命の危機になっていたのか。

「ずびばぜん… 一言御礼をいびだぐで来だのに…」
「御礼を言いに来て、こんな様ったらねぇな!」とマイル、「ちょっと、そんなこと病人に言っちゃだめ!」照子はたしなめると、マイルはむくれた。

ひどい鼻水と咳、熱があるのに「寒い」、照子は風邪だと思った。
「すいません、ありったけのお布団と、お水を!」
水は安全なように煮て、水分をとにかくとる。そして体を温める。汗が出たらふいてあげる。塩分に糖分、米を買い、おかゆをつくらせる。
服もあのときのままだ。照子は通学バッグから高校のジャージを取り出し着せてあげた。丸々一晩看病していた。とにかくしっかり眠らせる。風邪ひいたときにお母さんに教えてもらった。
「そうだ! これ!! 溝口の『灰吹屋』の薬!! いろんな薬を買ったから、風邪に効く薬もあるわ!!」
灰吹屋は大山道唯一の薬屋。医者が高額なため、当時の庶民は専ら薬に頼るわけだが、灰吹屋の薬も多くの大山道の旅人を助けたに違いない。

溝口、灰吹屋。

翌日、熱がひいていた。照子は一安心。
「ありがとうございます、命の恩人に御礼を言いに来たのに、また命を助けてもらって」声も回復していて、照子は安心した。
「どうぞ安全な旅にと、溝口神社のお札をお渡ししたくて…」
「ありがとうございます! 大山にこれから参拝の旅に出ていくので!」
「楽しい旅になりますように。」「いえ、雨乞いをしなければ、あたしの故郷の練馬村がききんで滅ぶかもしれないので! がんばって祈らないと!」
「ああ、わたくしもあなたの雨乞いを祈ります。わたくしの家の先代も、日照りで大変な目に会ったので…」
「え? どうしたのですか?」
「溝口の水騒動か?」と野次馬の人々が。
溝口と川崎を潤してきた「二ヶ領用水」。農業用水として開削されたが、あるとき、田植えになっても雨が降らず、夏には旱魃となり、多くの人が苦しんだ。すると溝口村の人々が用水を閉め切った。水を放すように訴え出るも、溝口村と対立。川崎村の人々は武器を持ち立ち上がり、溝口村に来た頃には1万4000人にふくれあがった。
溝口村でついに武力衝突、家が破壊されていく。名主が不在で江戸にいたことから、数百の村人が江戸に追いかけていった。
幕府が動き川崎村の人々を含め処分した。たびたびおきた用水の水騒動で大規模なものとなった。

照子はその話を聞いて泣きはじめたので、一同は驚いた。
「練馬も、同じなの…。ききんが終わっても日照りが続いて、飢えて死ぬ人も出てくるし、村人が役所を襲い始めて、みんな仲が悪くなって…」
「ご、ごめんなさい! 二度も命を助けてもらって、しかも泣かせてしまうなんて…」
「んーん! あたしが勝手に共感しただけ!! あなたはあなたなの!
あたしができることをしようと思ったからやったの!!
それに、あなたを助けないで、練馬の人々を助けようとするなんておこがましいわ!!」

母親も泣き、ぽかんと聞いていた子どもも泣いた。
なんかよくわからないが、野次馬の一同でもなぜか泣く人がいた。マイルはただただそれを眺めていた。

「あー、おなかすいた! ねえ、何食べたい?」照子は子どもに聞いた。
「おっ母の好きな、かつおぶし!」
「じゃあ、あたしが好きなご飯をつくるね!!」
宿の人はすっかり照子が気に入り、照子の言った食材を用意してくれた。
「ごはんに、おかか。そして、海苔をどーん! 江戸前の海苔だね!」
宿の人「品川産です。」 品川は江戸前海苔の産地で、品川巻(海苔巻せんべい)や鉄火巻が生まれた場所だが、戦後に品川などの埋め立てなどで生産が終わった。

マイル「海苔を、あぶって、バラバラにしてご飯にのせるのか? せっかくの板海苔だぜ!? 海苔巻きやら握り飯にしないのか?」
照子「いいのいいの。溝口名産の醤油をかけて~。そしてお茶漬けにする!! 溝口宿の田中屋のお茶だよ!! 海苔はかき混ぜてトロトロにするのも好きだけど、サクサクの状態で食べてもいいよ!」

母親「ああ、おいしい… かつおぶしの香りと、海苔の甘み…。
この御恩は忘れません、茶漬けをなるべく食べていきます。」
子ども「おねーちゃん、なんかちょーだい!」

頭の「練馬大根ヘアピン」は、地元に帰ったら買いなおす!

子どもをにらみつける母親に、ふだん頭につけていた「練馬大根ヘアピン」を渡した。
母親「ああ、これはもうお守りとして、神棚にまつらせていただきます!」


野次馬さんたちも大騒ぎ。照子はなんとか人を助けたことに、練馬を救いに行く決心をより固めた。

さあ、大山詣に行きましょう!!



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