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聖地巡礼へようこそ!④ ~Shirobakoと武蔵野市へ。

みなさんこんにちは。
僕は町歩き(散歩)しながら郷土資料館などに赴き、その町の歴史を調べるのが好きな人間です。また、同時に漫画やアニメも大好きです。
そんな僕が書いていく漫画アニメの聖地巡礼記事。
ただ「アニメで出てきた場所は実際はこうです~」という写真をアップするだけでなく、「この町はこんな歴史や名所がありますよ~」ということも書いていきたいのですが、けっこうマニアックですし字数も多いので、どうぞごゆるりとお読みくださいまし。

①では総論、②では「もし地元が聖地だったら?」、③では「好きな作品の聖地巡礼」。今回は、「人生を変えた作品の聖地巡礼」です。
っていっても、ただそこに行き、その場所の歴史を描き、そして名場面をのせるだけですが。

みなさんの人生を変えた作品はありますか?

っていうのも、おおげさですね。みなさんの思い出の作品はありますか?
僕は漫画やアニメを嗜むのですが、音楽や小説でもかまいません。
もし、自分の中でとても大切、または自分を支えてくれたもの。さらには人生を変えた作品があれば、それは宝物ですね。

今回の聖地巡礼(漫画やアニメの舞台を巡る)は、特に僕の人生を変えた作品の一つ。もはや聖書とも言えますよね。

聖書といってもここが宗教との違いで、僕にはたくさんの作品があります。
特に、子どもの頃は「火の鳥、鳳凰編」で僕は世の中のしくみを知ったような衝撃を受けました。
高校から大学時代もたくさんの漫画を読み続けましたが、特に石ノ森章太郎先生の「HOTEL」あべ善太先生が原作の頃(初期)の「味いちもんめ」は仕事に対する向かい方を刷り込まれたようでした。

まあいろいろありますが、最近では「不滅のあなたへ」の大今良時先生の「聲の形」でしょうか。
自分以外の人なんてどうでもよいとコミュ障の極みだった自分に、人生に行き詰まりいつでも逝きたい逝きたい思っていた自分に、1巻から心を思いきり殴られたような衝撃でした。
人と関わることの尊さを知り、世界が変わって見えました。

あとは、水上悟志先生の「スピリットサークル」。霊魂なんて信じてませんでしたが、これを読み、すべての因果は前世からつながっており、家族や仲間のもとに生まれた自分は幸せであり、自分は何の因果があり生きているのか考える素敵さを知りました。
正直、漫画がなかったら僕は体は生きてても心は死んでいたのかもしれないくらい有り難く、いつか漫画のために行動できたらと思ってるくらいです。

さて、今回の聖地巡礼ですが、僕の生き方を支えてくれた作品「Shirobako」を紹介します。

Shirobakoの紹介!(アニメの話)

PAworks得意のお仕事アニメで、架空のアニメ制作会社「武蔵野アニメーション」の新人で、高校時代に四人の女子とともにアニメ同好会でプロになることを目指した「宮森あおい」が、実際に「アニメ制作進行」の仕事につき、いろんな職人たちと、ひとつずつ作品をつくる話です。
(Shirobako = 白箱=完成したアニメのディスクを納めるケース)

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監督は「ガールズアンドパンツァー」の水島努、音響は岩波美和、音楽は浜口史郎… 実は出てくるキャラのモデルは実在の人物だったりします。
驚いたのが、ひとつの作品をつくるのに、その関係者は百も人数いくかも。
私たちが何気なく見ているアニメはたくさんの職人やスタッフが作っていき、なおかつ、様々な葛藤や理不尽、そして「スケジュールとクオリティ」という壁に足掻いて作られているものです。

僕なんかは、そんな大それた仕事なんかしてませんが、名も知られぬ方々まで、アニメ業界という一般には未知の界隈で、いろんなプロの仕事の裏側が見られる。
この作品は、どんな仕事をする人にも背中を押してくれる、アニメーターたちの群像劇なのです。

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以前僕がつくったキャラ表です。
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以下、キャラ紹介ですが、アニメに興味なく、武蔵野市に興味ある人はスルーして、下の「武蔵野市の紹介!」に飛んでください。
キャラ表の1枚目の向かって左上が主人公の宮森あおい。いろんな職人たちのスケジュールを管理する制作進行。やがてキャリアをつんでデスク(主任)に出世する敏腕ぶりですが、どうも心の中のぬいぐるみ「ミムジーとロロ」のやりとりで心理描写をしながら決断するという、おそろしいまでの変態ぶりでもあります。アニメーターといえば絵描きが主人公になりがちですが、いろんな職人を相手にするので制作進行を主人公にアニメ業界を描写するという手法です。
右の、モヒカン頭の高梨太郎、頭を抱えている「万策尽きた!」の本田さん、画面に入りきれなかった女性の矢野さんとともに宮森の同僚で制作進行です。

1枚目下の段、左から杉江さん、何の役に立たなかった老人でしたが、1クールラストの12話で伝説のアニメ絵師と分かったのが胸熱。
2人目の女子、同じく絵描きの安原絵麻はみゃーもりの同級生。絵麻が新人で貧しい一人暮らしだったのに、これまた大きく成長していきます。
1枚目右下のメガネ女子の井口さんは、作画監督(作監)も務め大きく成長した僕の嫁ry 若いころの長髪だったシーンも見れたとき僕は鼻血がでそうで悶えました。

井口さんの「m9(^Д^)プギャー」
倉庫にある原画の山が、宝の山で目がキラッキラの若かりし頃の井口さんが超絶かわいい…
最新作である劇場版は二回映画館で見に行き、色紙は一発で井口さんをゲット。アニメ放送の最新作、やっぱもうないのかな。劇場版は武蔵野アニメーション再生の物語で、DVDも買ってしまった。
絶望したとき酒飲んで観て、いつもラスト「悪足掻きだよヨーソロー!」でボロ泣きしてちょっと元気になった去年の夏。

2枚目また向かって左上から、メガネデブの木下監督は僕のお気に入り。劇場版観に映画館行ったとき、木下監督が登場のときの観客席からの女子の声で「はあ♡」というため息が聞こえたのが衝撃的でした。ダメでクズで子どもっぽいのが乙女心をくすぐるのでしょうか。
そのとなりの現在総務で伝説の制作進行だった興津さんはクールなのに、たまにはしゃぐのが美しくてドキッとします。帽子をかぶった脚本家の舞茸しめじさんも本当に凄い人。真ん中の前歯欠けてる丸川社長は聖人で神々しい。
下は宮森の同級生、左から新人声優の坂木しずか(ずかちゃん)、CG職人の藤堂美沙(みーちゃん)、新人脚本家の今井みどり(りーちゃん)。みーちゃんとりーちゃんの間に入る、怖い目つきの久乃木ちゃんは、言語不明瞭でうまくしゃべれない子ですが、劇場版エンディングで仲間といっしょに映画を見て談笑してたのを見て感動しちゃいました。
(あと、はじめての作画打ち合わせ=作打ちのとき、うまくしゃべれない新人の久乃木さんに対して、どきどき慎重に汗流しながら対応する木下監督や演出の円さんに山田さんという準監督級のベテランたちを尊敬しちゃいました。Shirobakoは、そんないろんなエピソードや話やキャラの動きやしぐさなどの伏線が積み重なって、ちょっとしたシーンでも感動しちゃいます。)

群像劇なので、キャラを覚えるのが大変ですが、全キャラを描き切っていますので感情移入しやすい。
お気に入りキャラを探してずっと追っていく楽しみもあります。

個人的には、井口さんファンです。ベテランからだんだん作画監督、さらにキャラデザインという重責に悩み、そして理不尽なダメ出しを受けながら葛藤し、まわりの人たちといっしょに乗り越えていく。
あの天才作画監督の小笠原さん(ゴスロリ様、井口さんの隣に髪の毛の端しか写真に写ってませんが)も若いころに挫折して駅で泣いていたシーンは僕も泣いてしまいました。あの手を動かすだけで最高のアニメ絵の線が描ける小笠原さんも、挫折の積み重ねでここまできたのか、と…。

キャラデザインを全否定され、描きなおしても通らなくても必死で描き続ける井口さんが席を外している間に、天才・小笠原綸子こと「ゴスロリ様」は何かを察する。
武蔵野アニメーションスタッフを呼び出し、「キャラデザの重責を負わせるなら全力で支えなさい!」と諭す綸子さん。
そんな綸子さんもゴスロリ前は何度もキャラデザを否定され駅で一人で泣くことも。
ゴスロリは、その決意の場面でデザインしたキャラのもの。一生背負う強い意志が今の天才・小笠原さんを作っている。胸熱!!

まあ、思いを書くとキリがありません。
では、さっそくShirobakoの聖地である「武蔵野市」こと中央線の武蔵境、吉祥寺を紹介します。

武蔵野市の紹介!(位置・地理編)

ここから、堅苦しい武蔵野市の背景を描いていきます。とっとと聖地を見たい人は、下の項目「Shirobakoの聖地へ」に飛んでください。
まず、武蔵野市の位置を描きます。
現在の武蔵野市の基本幹線である中央線を使うと、僕はいったい今が何市なのかがわからなくなります。
ターミナルの新宿から中野は中野区、そして高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪は杉並区、吉祥寺は武蔵野市で三鷹は三鷹市、そしてまた武蔵境は武蔵野市となり、すぐ東小金井・武蔵小金井は小金井市、やがて国分寺市に立川市となり拝島から多摩川をさかのぼる方面は青梅や奥多摩、または多摩川を超えると五日市や檜原村、つまり山岳地帯に向かう。1時間くらいで過ぎ去るので、いちいち武蔵野市って地元住民以外はどこなのかはわかりにくいかもしれませんね。
結論づけると、武蔵野市は中央線沿いに東西にのびておりその駅は、有名な吉祥寺(京王井の頭線もアリ)と、武蔵境(西部多摩川線)。2つともShirobakoの聖地である。

では武蔵野市とその周辺の様子を紹介しよう。中心街はやはり東京郊外の町として人気も高い吉祥寺だ。吉祥寺駅は北に本町があり栄え、成蹊大学や中央公園を中心に住宅地が広がる。さらに北は練馬区の石神井、さらには埼玉県の新座市。
吉祥寺駅の南はすぐに井の頭池があり三鷹市と接し、牟礼といわれる地域が広がり玉川上水を超えるとやがて世田谷区へ至る。
隣駅の武蔵境駅はもとは境といわれ、西は小金井市、北に亜細亜大学と江戸時代から桜の名所であった小金井公園の一部をもち小金井市側に法政大学がある。さらに北は西東京市に新座市だ。
つまりは東京都心と関東山地の間にある武蔵野台地が広がる多摩地域だ。

武蔵野市の紹介!(歴史的発展、アニメの町に至るまで)

次に、武蔵野市の歴史の話です。さて、ここで問題です。吉祥寺には、吉祥寺なんて寺はありません。それはなぜでしょうか!?

江戸時代
は多摩地域は西の山梨との県境・関東山地である秩父・あきる野・八王子との街道の、周辺に広がる田園地帯だった。宿場町として栄えていた新宿(ガード下から都庁方面へ)から青梅街道がのびる。中野~東大和や武蔵村山(今の西武線)を結び、多摩湖や狭山湖を経て飯能・入間のすぐ南の東京都瑞穂町から青梅へ向かう。(飯能と入間周辺が地元の筆者は以前、ダムに沈んだ村をテーマにこの辺りを調べ記事に描いたので、武蔵野市もとても身近な感じがします)
また、五日市街道は、玉川上水のすぐ北を通り拝島から福生・あきる野・檜原村から江戸へ炭や木材や石材を運ぶ重要街道だった。
この両サイドに挟まれた「近郊農業地帯」として、江戸に様々な野菜を提供し、江戸から肥料を運んでいた。玉川上水が作られることで、「水が得にくく作物が育ちにくく、人が住むことができなかった武蔵野台地」に、たくさんの人が集まり始める。

以下、「武蔵野ふるさと歴史館」より。

中世は鎌倉街道の通りにあった。
実は、吉祥寺には「吉祥寺」という寺はありません。
江戸が明暦の大火で焼失し、新しい都市計画で今の本郷一丁目にあった「諏訪山吉祥寺の門前町」を大名屋敷にするために、町民を、今の武蔵野市に広がっていた牟礼野という幕府の萱場を町民に与えました。
町民は開拓を進め、豆、蕎麦、いも、大根、瓜、茄子(なす)、独活(うど)、栗や柿など栽培、街道をつたい新宿さらには四谷から江戸城の下を通り日本橋まで。
農家は帰りに肥料である人の糞尿を買ったり、宿場町にたくさん落ちている馬糞を拾った。
立川市HPより。うどが好きなのですが、立川あたりに住んでいる姪の家で食べさせてもらったけど、うまかった!
農民や庶民の糞尿より、武士や商人の糞尿のほうが、良いものを食べていたため高価だった!
農家といっても、なんといっても兼業が多かった!
菓子屋、荒物屋、雑貨屋、飲食店、髪結床(髷を結う床屋)まで!際物(キワモノ)という季節のもの(正月の凧、三月の雛人形、五月の鯉のぼり、七月の七夕の竹など)、商魂たくましさが、この吉祥寺の町の繁栄の基礎なのだろう。
住宅街として発達したのも、このような商売に励む民家が多かったことからだろう。
「おお、ちょいとウチに寄って茶でも飲んでけよ!」
民家は入り口に囲炉裏(いろり)があり、空いた時間にかまちに上がり、飲食を済ませます。
井の頭公園にある井の頭池の豊かな水。神田上水(江戸時代初期の水道で江戸城や日本橋まで潤す)の水源。
さらに玉川上水が作られると、分水された千川上水が西東京市から豊島区の巣鴨まで。
水が豊富なのは人々の生活の豊かさとつながる。
小麦の生産もさかん!やはり多摩や西武に来たなら、誰もが舌鼓の「武蔵野うどん」!
井の頭弁財天に小金井の桜並木は、江戸時代でも観光地。
Shirobakoでの井の頭池。
井の頭弁財天
これは東久留米の郷土資料館にて。
今の中央線こと、甲武鉄道が新宿→立川で開通すると、武蔵野市でも境駅(今の武蔵境駅)が置かれる。
武蔵境駅に鉄道の歴史がパネルで展示。
武蔵境駅のパネル。
かつての中島飛行場。武蔵野には、成増飛行場やら立川飛行場など、多くの飛行場や戦闘機や兵器工場が作られ繁栄した。

特に、武蔵野市などの多摩地域に人が集中した大きな出来事は、やはり関東大震災である。
これまで浅草など東京湾や河川地域(利根川の分流の江戸川、中川、荒川、その分流の隅田川など)などのいわゆる「下町低地」から、台地で地盤が強い多摩地域の郊外に人口が大移動しはじめ、かつて寒村だった新宿や甲武鉄道(中央線)が東京の動脈となった。

そんななか、もとより農業や商家で繁栄しさらに風光明媚な観光地でもあった武蔵野市の吉祥寺周辺。成蹊大学(関東大震災後に池袋から移転)・亜細亜大学・武蔵野大学や東京女子大学などもつくられ学生や若者でも賑わい、高田馬場やお茶の水、下北沢にならぶ学生街へ。
前進座などの演劇場や近鉄百貨店、ジャズ喫茶やライブハウスなどもできる。
武蔵野市はモンテローザやすかいらーくなど有名企業の本社もおかれるほか、出版社(子アミックスなど)や教育業者(ナガセなど)なども置かれはじめ、大都会となる。
武蔵野市はかつての農業地帯から、現在は飲食店や商業施設などの第三次産業が中心産業と変貌を遂げた。

なにより、多くの作家(横溝正史など)、漫画家(北条司、楳図かずお、江口寿史など)、ミュージシャンが住み、アニメスタジオ(タツノコプロ・手塚プロ第二スタジオ・JCSTAFFなど)も集中し、非常に多くの作品の舞台としても取り上げられている。

もとよりアニメや漫画の聖地なのだ。

Shirobakoの聖地へ

武蔵野アニメーション(ムサニ)もこの辺りのアニメ会社という設定だろう。しかし架空の会社である。そして、残念ながら街中にShirobakoのアピールはもはややっていない。
聖地だとやはり、武蔵境駅前の「すきっぷ通り」だろう。

個人的には、ムサニの窓際アニメーターだった杉江さんが、実は伝説のアニメーターでムサニの窮地を救ったところで鳥肌が立った。そんな杉江さんの後ろ姿。
そして、これも僕の中の名作で読むと必ず泣いてしまうために覚悟が必要な「甘々と稲妻」の舞台も武蔵境だ。
ムサニ御用達の弁当屋「さかいてい」。監督は唐揚げを食べすぎてああなった。
唐揚げ弁当もそっくりです。
制作進行の本田さんが辞めて再就職したパティシエの店。
くまさんのマドレーヌを買ったけどおいしかった。
本田さんはたびたび、ムサニにお菓子を差し入れに来ます。必ず木下監督の唐揚げに次ぐ好物であるモンブランを持ってきて、いろんな問題を解決に導くことも。
ムサニ御用達の日高屋。最近ダイエットで行ってないけど、一時期入り浸り飲みまくったなあ。
新しい制作進行の平岡さんが、まわりと対立する糞キャラだったのに、だんだんと打ち解けて、あげくここでみんなと飲むシーンが尊かった… 
店内がShirobako推し! やっと武蔵野市でShirobako感が味わえた!
同じものを食べる。ラーメン断ちしている今、いつかここで食べたい。
再度、駅前へ。
甘々と稲妻でのシーン。

終わりに

さあ、みなさん。いろんな作品の舞台(聖地)は、その作品の面影だけが魅力じゃありません。
僕のように、その町の歴史に思いを馳せたり、その町のおいしいもの(食堂やレストラン、物産売り場、特に僕はスーパーに行き野菜なども見てみます)、ほかの名所などがあるものです。
聖地巡礼はあくまできっかけ、目的の1つ。漫画やアニメだけじゃなく、その町の歴史や散歩や旅行が大好きな自分にとって、これらをふくめて、聖地巡礼を趣味にしていますし、こういう記事を描こうとも思うのです。
…何やら、漫画とアニメと、郷土史や民俗史などを無理やりブチこんだような内容で、アニメというサブカルの話から堅苦しい歴史の話の落差で引いてしまった人もいるのでしょうが、ちょっとでもお楽しみいただければ幸いです。
みなさんも、形はどうであれ、その町の自然や歴史、いろんな環境を楽しむ散歩や旅はいかがでしょうか?

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