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ギャンブル依存症と向き合う人たちへ

Twitterでもよく見かける「ギャンブル依存性」って本当ツライですよね…。頭でわかっていてもついついやってしまう。

大切な友人や家族との約束はもちろん、仕事にも影響するほどのめり込むこともあるかもしれません。

「毎日ギャンブルのことを考える日々はもう嫌だ」
ギャンブルを日常から消したい。」
ギャンブルをどうすれば辞めれるのか?」

そんなことに悩んでいる人たちに向けて、過去全てを失うほどにFXに依存していた私が、もう10年近く辞めている理由についてのお話をお届けします。

辞めるという概念を捨てること

結論から言えばギャンブルに「辞める」という概念を持たないことです。

辞める、は我慢の言葉。我慢や辛抱につきまとうのは「ツライ」と「苦しい」です。

人間というものは、苦痛が溜れば快楽を求めます。やはり、耐えるには限界があります。

人それぞれにある耐えきれないリミットが近くなると、自動的に自分を守るためのリミッターが作動します。

脳内の記憶にある「快楽」を得るための手段を選択させるようになると思うとわかりやすいかもしれません。

つまり、我慢や辛抱をすればするほどに、苦痛を溜めに溜めていき、それを和らげるための解放先を過去の経験から脳が提案しているのです。

それが人により、ギャンブル投資異性・おなど、自分が知る情報のなかで提供されるというわけです。

スリップなんて基準は不要

みなさんの理想は「ギャンブルのことを考えない」ことではないのでしょうか?

ならば、よく「スリップした…」と言いますが、そんな基準は必要はありません。

自分にプレッシャーを与え、罪悪感を持つような基準は要らないのです。

そうでなければ、途中からは「スリップしないため」という目的になってしまい、結局ギャンブルへの意識が日々頭から離れない原因になります。

罪悪感は、余計な2次被害をもたらします。
それは自暴自棄という行動による周りへの被害かもしれないし、考える余裕がなくなる思考停止かもしれません。

ただの足枷としての役割しか果たさず、いざという時にはなんの解決にも繋がらない、無駄な引き金を引くだけの言葉が「スリップ」です。

罰を与えるきっかけにするなら多少使い道はあるかも知れませんが、それ以外その言葉にはなんの意味もありません。

むしろ、自暴自棄になる加速装置のスイッチとしてなんでわざわざ準備するのか不思議でたまらないというのが本音です。

もし、あなたがとても忍耐強く、そして自己管理が出来る人ならば、最初からそんなに苦しむことはないのではないでしょうか?

変わりたい、という欲はわかります。しかし、変わらなかったときの絶望感を感じるときに、あなたはまたそれを理由に元に戻るだけ。

むしろ、その事実を正当化し、より過激になる可能性が高いでしょう。

いつかやるけれどそれは今じゃない

ギャンブルを絶対辞める」は、銃を持ったまま引き金を握っているか、鍵をかけた引き出しに直して耐えるようなもの。

しかし「いつかやるけれどそれは今じゃない」にすれば、銃をほったらかしている状態です。

鍵をかけられるほど大事な場所に直すわけでもないので、銃の存在すらいつか忘れてしまうでしょう。

つまり、この状態が理想なのです。強く意識する状態を作らないし、必要としない状況を作る。

日々の脳の電気信号キーワードを含まず、記憶の引き出しには目次を残さず、どこに置いたかわからない状態にする。

例えるとすれば「そういえばあの服、どこにしまったっけ?」に始まり、さらに時間が経って望まず見つけたときに「そういえばこんな服持っていたな。懐かしい」になるようなイメージです。

依存症を自己催眠だと思ってみる

依存症自己催眠だと思ってみる。そう書くと語弊があるかもしれません。

しかし、思い込みだと考えることが出来たなら、いくらでも対策はできるのです。脳をコントロールすることで、望む方向にシフトすることは不可能ではないということ。

わかってない、こんなにツライのに、と思う人も少なくないでしょう。だって私も同じですから。

でも、否定しても何も変わらないし、今の苦痛永遠に終わらないとしたらどうでしょう?

なんだ、そういうことか」と単純素直に考えることで、せめて今からの毎日の景色は変わると思いませんか?

確かにすぐに借金が減るわけでも、現実が変わるわけでもありません。それでも、ひとつの悩みが無くなることで、そのスペースに違う悩みを持つ余裕ができます。

人間、たくさんのことを同時に悩むことは難しい。脳の解析力にも限界があります。しかし、少ない悩みに集中するなら話は違いますよね。

そう、依存症から発展したいろいろなトラブルを、ひとつひとつ解決するためには、対策を考えるスペースが脳に必要なのです。

必要の無い悩みを捨て、必要な悩みに注力する。小さなひとつを解決して、成功体験を積む時間はそのために必要なんです。

ギャンブルでのロスを、金銭で考えると「取り戻す」感覚が湧いてきます。そう、お金はまた取り戻す可能性があるからです。

しかし、時間はどうでしょう?誰しも平等に与えられながら、その誰もが取り戻すことは不可能です。それほど貴重なものになります。

取り戻すよりも流れをつくること

お金を取り戻したい、ということは取り戻せる可能性があることを誰もが知っているということ。

つまり、ギャンブルで失ったお金は、違う場所からでもいつでも取り戻すことが出来る理屈があることを、あなたもご存知だということです。

なのになぜ、またギャンブルという狭い出口から回収しなければならないのですか?

お金はどこから得られるか、自分で流れる道をつくることも出来るものです。

なのになぜ、わざわざギャンブルという細く狭い流れに、欲という大きなバケツを抱えて回収しようとするのでしょうか?

それこそ無駄というもの。同じ時間を違うことに使えば、お金の流れをたくさん持つことはできます。

それは細い流れであったとしても、もともと無かった流れも引き入れ、そしてまた新たな流れを作りに行く時間にします。

その間にも、お金は流れてきて勝手に貯まっていくのです。

失くしたものを探すという感覚と、新しいものを探す感覚は、あなたの脳にどちらがより良い刺激を与えるでしょう?

子供の頃の宝探しはワクワクして、楽しいことの記憶になっていると思います。ほかにも、新しいゲームの発売や、新しい出会い、新しい景色…この「新しい」という言葉は前向きなことに使われます。

今まで脳が忘れていた感覚を、再び快楽と認識したならば、もう苦痛を感じても脳が提供するプランは「新しいことを探そう」になるのではないでしょうか?

ギャンブル依存性は辞めるより飽きることが大事

ギャンブル依存症は死に至る病です。自分も周りも不幸にして、なにも良いことを残しません。

わかっているけど辞められない、ならば辞めることを辞めましょう。 

辞めるのではなく、必要ないものに脳が変換するまで「今やること」リストの優先順位を下げるだけ。仮にやったとしても、罪悪感は持たないことが重要です。

あなたは辞めるのではなく、無駄さに呆れて飽きるのです。やり込んだゲームと同じで、もう飽きたのです。

それよりも、新しいことがしたい。毎日を刺激的にするもっと新しいことってなんだろう?それを探すことが楽しくて仕方ない。

ギャンブルを通じてお金を失っても、違う場所からそれ以上に回収するプランを見つける旅に出る。

お金はどこから回収しても同じ。ギャンブルに拘ることが無駄です。お金が欲しいという気持ちは別に悪くありません。

だったらもっと限られた時間を、確実お金稼げる手段を探すために使いましょう。

本当にもったいないのは、失ったお金ではなく、使ってしまった時間の方なんです。

たった一冊の本から人生が変わることもあります。すぐにできる自己投資、始めてみませんか?

正直、読むのに時間はかかりません。

しかし、内容は感性を変えるきっかけになるはずです。

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