放課後城探部 百八十三の城

お屋敷の門のように大きな門をくぐると目の前には白漆喰の佐和山口多聞櫓が広がる。

「私達が今いる場所が丁度佐和山口多聞櫓の裏手に当たるの。だから貴重な馬屋を見た後に佐和山口多聞櫓を楽しむことができるのよ。」

あゆみ先輩はそう言って目をキラキラと輝かせていた。

多聞櫓を正面に門をすぐ左手に曲がると建物に入るための入り口が開かれている。

覗き込むと建物内部は想像以上に広くて長い通路に馬を飼ための馬小屋が設置されていた。

広さからすると相当数の馬が飼育できる空間だったはずだ。

私達は開いている入り口におもむろに入ると目の前には私達の目に飛び込んできたのは大きな馬・・・の模型だった。

「なんや顔の大きな馬やな。」

訪ちゃんが馬を見るなりそう言うので私も顔に注目して見てしまう。

確かにずんぐりと大きな馬・・・の模型だ。

「木曽馬をモデルにしているのでしょうか?」

あゆみ先輩が先生に質問すると先生は

「地域によって南部馬、三春馬、甲斐馬、三河馬、能登馬、土佐馬、日向馬、薩摩馬、対馬馬、御崎馬現在は絶滅した馬が多数いるから必ずしもととは言えないけど。」

木曽馬は現在にも残る日本固有種の馬なのだ。

ずんぐりむっくりのんびりとした性格をしてそうな雰囲気の馬が軍用に用いられていたのだから驚きだ。

「じゃあ武士は殆どが木曽馬に乗っていたということなんでしょうか?」

「地域によって差があるでしょうけど主流は木曽馬だったと思われるわ。」

先生は地域によってと言ったけれど、日本固有種の馬は他にも沢山存在したのかも知れない。

馬の知識があるわけじゃないけど馬といえばイメージはサラブレッドか道産子のイメージしかない。

とにかく小さいけれどパワーの有りそうな道産子とスマートで格好良くて早そうなサラブレッド、その中間が木曽馬、そんなイメージだ。

「武田の騎馬軍団とかも木曽馬やったんやろ?」

訪ちゃんが聞くと先輩が

「戦国時代の武田氏は木曽馬の馬産地を抑えていたわけだからその多くが木曽馬だったとしてもおかしくないわよね。」

と肯定して

「木曽馬は農耕馬で体高なども大きくないから戦闘では使われないなどという説もあったのだけれど南朝の新田義貞の軍勢の馬の多くが木曽馬だったと言われているから少なくとも甲信、関東の馬の多くは体高の大きい木曽馬、もしくは木曽馬をベースにした雑交配馬を軍馬に使用していたのではないかしら。」

先輩は畜産の歴史にはそれほど詳しくないのか少しずつ考えながら教えてくれる。

「絶滅してしまった馬のことを知るのは難しいし、現在に残る本州在来種は木曽馬しか残っていないから、絶対にこうだったっていえないけれど、少なくとも分かっているのは木曽馬も絶滅した多くの馬と近しい蒙古系のDNAを持っているということよ。」

「なるほどぉ、馬に歴史ありですね!」

「そうね。」

先輩は私の言葉ににこやかに笑ってくれた。

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