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じいちゃんの『FUJICA 35EE』で孫がひ孫を撮る

亡きじいちゃんの遺品整理をしていたら、棚の奥から出てきた『FUJICA 35EE』

じいちゃんが生まれたばかりの父を撮るために買ったカメラであり、ばあちゃんが唯一購入したことを確実に知っているカメラである。

ん?唯一?

そう、「僕のじいちゃん」ということは、ご想像通りカメラ沼の住人の大先輩でもある。

ということで、じいちゃんはばあちゃんに内緒で数十台のカメラを買っていた。もちろん、ばあちゃんはカメラの存在は知っていたわけだが、数十台もあるとはちっとも思っておらず、遺品整理の際に全てが明るみになった。

その中で一番思い入れのあるのが『FUJICA 35EE』、これはじいちゃんが最初に買ったカメラだ。


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1961年(昭和36)9月発売
価格: 24000円

昭和35年の国家公務員の初任給が12000円なので、これをばあちゃんに内緒で買ったじいちゃんは尊敬します。

ばあちゃん曰く、長男(僕の父)が生まれた昭和30年代のド田舎ではカメラなんて高級品は皆無であり、写真屋で撮影してもらうのが当たり前の時代。

しかし、刻々と成長していく息子を見てじいちゃんは言った。

「かわいい息子を撮るために、カメラが必要なんじゃ」と。これまさしく今僕が言い訳・・・ゴホン!購入理由に使っているのと同じ動機である。


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じいちゃんは当時の庶民では高級品であったカメラを、ばあちゃんに内緒で勝手にローンで買ったのだ。

なんてかっこいいんだじいちゃん!

カメラはカビやホコリで大変なことになっていましたが、外側だけはなんとかきれいにした。


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フジカは現在の富士フィルムが出したカメラ。

大判カメラで名を馳せていた富士フィルムが、満を持して作り上げた初期の35mmレンジファインダーカメラである。

この写真はカメラ底部なのだが、左のレバーがなんとシャッターの巻き上げレバー(構えた時は右下)

カメラ底部に巻き上げレバーがあるという珍しいデザイン。


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そしてフジカといえばレンズ。

固定式のFUJINON 45mm f1.9は、あのライカのズミクロンを凌ぐ性能だったとか。作例は後述。

35EEは、最速1/1000秒のシャッターが切れるシャッター優先の絞りオート搭載の高級カメラ(当時)・・・なんですが、残念ながら露出計のセレン光電池メータが壊れて使えなかった。

でも機械式シャッターは健在なので、カメラとして使えます。ここが機械式カメラのよいところ。


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Kodak UltraMAX 400」を使って半世紀ぶりに使ってみるべし。


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まずは室内撮り、写真はフィルム現像時にスキャンしてもらったデータを利用している。

ちょっとアンダー気味だが、カリカリ具合はすごいですね。ズミクロン=シャープと言われていますので、そこが和製ズミクロンの諱の由来かも。


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色の発色はかなり良い。

これが半世紀以上前のレンズなのか!カラーネガフィルムが一般的でない時代なので、フジノンレンズ恐るべし。


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日がいい感じで差し込むと、素晴らしい解像度。

葉っぱの質感とかかなりリアル。


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5月の猛烈なピーカン照り。

これはライカっぽいね。絞るとかなりのカリカリ、F16くらいだが遠景まで緻密に写し取っている。


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露出オーバー気味だが、本当によく写っている。

周辺光量落ちも、収差もない。


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じいちゃんのカメラで孫が撮るひ孫、たぶん喜んでくれているでしょう!

もしくは左のおばちゃんが入り込んでしまったのを怒るでしょうか?


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じいちゃんのカメラで孫が撮るひ孫、四代に渡って使うことができるってすごいですよね。

ちなみにあれだけカメラで散財したじいちゃんを反面教師にしたのか、父は完全無趣味人間になってしまいましたとさw


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正直、カビが生えた姿を見たあとなので、ここまでの写りとは想像もしていなかった。

本体底部の巻き上げレバーが、意外と使いやすい事が判明したのも良い経験となった。

M型ライカとプラスチックカメラの中間くらいのなんとも言えない質感、小気味よい操作感、シャッターを切った時のまさしくカシャっとした感触、う~んたまらないカメラ。


ということで、じいちゃんのカメラで撮影してみた感想でした。

じいちゃんが生きていたら、マニアックなカメラ話ができたと思うのだが、まあひ孫を撮ったわけだし天国で喜んでくれているかな。

考えれば、小さい頃からじいちゃんは写真を撮りまくってくれていたし、誕生日や節句なんかの度に家族写真を撮るのは当たり前だった。

平成になりたての時代には、じいちゃんはビデオカメラを持っていた。当時のビデオカメラは、中型犬くらいあったし、ド田舎なので注目の的だったけど、おかげで動画まで残っている僕の幼少時代。

記録というものは、残さない限りは共有できない。記憶に留めることはできるが、その時いなかった人たち(嫁さんや僕の子供とか)には共有できない。

そしてその時いた人たちとは再共有できる。撮られている僕だって、その頃の記憶は殆ど無いですからね。

デジタルだろうがアナログだろうが、情報量が多い写真や動画の記録があれば、それは単なる記録ではない。

時は一方的に過ぎていくが、情報は残る。そして情報は変わらない。だからこそ、共有や追体験ができ、他者と分かち合えることができる。

じいちゃんのおかげで、僕の記憶は今の僕と共有することができる。そして当時の記憶は、今感じる記録内容とは変わっている。

記録は不変だが、そこから受ける影響は変わっていくわけです。

そんな記録を残してくれたじいちゃんには感謝ですし、じいちゃんのカメラにも感謝ですし、そしてじいちゃんが受け継がせてくれたカメラ依存症という遺伝病にも感謝・・・・・・・・


そうです、ここまでお読みになっていただいた長年の読者様にはもうおわかりでしょう!

またカメラ買っちゃいましたよ!ははは、これはねえ、先祖代々の病気なんです。もう仕方ないね、病院じゃ治してくれません。治そうと思って「赤城写真機診療所」に行ったら猛烈に悪化しちゃいました。

じいちゃん、喜んでくれ!孫はじいちゃんの血を色濃く受け継いでいるぜ!じいちゃんの似たような機種を買い増してばあちゃんにバレないようにするという高等技術には感服したぜ!CANONの一眼ゴロゴロ出てきたけど、ばあちゃんみんな同じに見えるって言ってたぜ!

そんな愛すべきじいちゃんの血のおかげで、孫は心底楽しんで人生を謳歌しております。

これもじいちゃんとカメラのおかげ!


ここ最近の遺伝病爆発、LeicaM3。

言わずと知れたこの病気の最も危険な腫瘍。


Leica腫瘍から分泌されるホルモンによって気づいたら買ってたLeicaR8。

まあ簡単に言えば世界一かっこいい一眼レフカメラ。


そうしたら自ずとこうなるよね。

中判は底なしの沼のちょっと奥に行った温かいところ、懐はキンキンに冷えます。


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