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出雲大社に初詣と見せかけてただ写真を撮りに来た異邦人

クリスマスツリーを片付けて紅白歌合戦を見たあとに神社で深々とお辞儀するのが日本人である。
かくいう僕も日本人なのだが、子供の頃から初詣という儀式にほぼ参加したことがない。
無神論でも、宗教はアヘンな共産主義者でもなく、我が一族は基本的に家から出たくないのであった。
人混みがこの世の何よりも嫌いなのが遺伝的アルゴリズムによって決められているらしく、ド田舎に生まれたからという環境的要因だけなわけでは無さそうだ。
とにかくせっかちでちょっとしたトラブルが起きただけで家に帰りたくなる、そんな家系なのだ。
そう、本当のせっかちとは家から出なくなるのである。
と言いつつ、僕は世界一周旅行なんかしているのだが、それはまた別の話。


しかし、今回正月をちょっと過ぎた頃に休みが取れた。正月など関係のないブルシットジョブのため正月は基本仕事、最近は正月気分など感じたこともないし、正月番組の紋付袴のお笑い芸人を見るたびに虫唾が走っていたものだ。

だがしかし、急に休みが取れた。
休みが取れたという表現こそ、悲しいかな僕は心底サラリーマンなのである。

人混み嫌いなくせに、一年で一番混むであろう正月の出雲大社になぜ行くのか?
それは買い物ついでと「正月気分」を感じるために、である。
正月気分、一昔前の日本人であれば誰もが感じていたであろう感覚だが、昨今は正月にもコンビニはやっているし、Amazonの商品は届くし、仕事は止まらない。
ハレとケが経済合理性で消し飛んでしまったその最たる「正月気分」を感じよう。混んでなければ。

と、思ったところ、早速出雲大社周辺は大渋滞であるが、土地勘のある僕は難なく第2駐車場をゲットする。
正月の出雲大社はそれはそれは「正月気分」ではち切れんばかりであった。
着物の女性もいるし、家族連れは多いし、御守や御札は飛ぶように売れている。

そんな中、ひとり二台のカメラを持って参道をすたすた歩く。
「正月気分」を忘れた男は、どこか異邦人のようだ。
異邦人はひたすらファインダーを覗いてシャッターを切る。
いつものスナップより、隔世の温度差を感じる。
正月気分の濃厚な空気に、日常に囚われた僕の周りの冷たい空気。
まるで外国のようなアウェイ感、たまらん。

ひさしぶりの正月気分を全身に浴びながら、ちょっと正月気分に浸りつつある自分。
懐かしきかな、お正月。
異邦人でしか撮れない視点で闊歩しようかと思ったが、やはり正月は正月であった。
お年玉をもらえる年ではないが、ひさしぶりに「正月気分」を楽しむことができた。

神様、不労所得ガッポガッポで仕事辞めて写真撮って本読んで映画見るだけで暮らせますように。
とりあえず財布の中の100円未満の小銭を全部投げ込み、八百万の神に祈った。

今年は皆様、良き年になりますように。
そして今年もよろしくお願いします。

サポートいただきましたら、すべてフィルム購入と現像代に使わせていただきます。POTRA高いよね・・・