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【短編】「夏期講習」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 089

 進学塾で弁当を食べている時だった。柚月はひとり黙々と部分的に冷凍食品の混ざった弁当のおかずを箸でつまみ口に運んでいた。隣の席の和樹と春馬が話している会話が耳に入ってきた。和樹の同級生がゴルフの全国大会で優勝した、という内容だった。小四でジュニアのチャンピオンになったんだって。

「そいつ、小さい頃から知ってるんだけど、5歳からずっとゴルフ漬けなんだぜ。親父がずっと教えててさ」

「すげーじゃん」

「毎日、学校終わったらさ、練習場に直行して夜までゴルフ。土日もずっとゴルフでさ。なかなか遊ぶ機会も減っちゃって、俺も塾があるからさ」

 特進クラスの夏期講習だった。地方都市の駅前にある雑居ビルの四階で、柚月たち約三十人は朝九時から夜の八時まで、十分の休憩と二十分の食事休憩を挟みながら五十分の授業を繰り返し受講していた。席次は一学期の最終テストの順位で決まっていた。柚月は親が作ってくれた「二つ目」の弁当に入ったウインナーを黙って齧った。

「俺にもそういう秀でたものがあればなあ」と、春馬がため息をついた。

「そうだよな」

 和樹は仰け反り、食べ終わった弁当をハンカチで包んだ。

「スコアは71だったってさ」

「いいの?それ」

「すげーいいんじゃね?ゴルフって、大人でもなかなか72でまわれないんだぜ。少ないほうがいいんだよ」

「俺らと逆だな。お前、まえの模試、偏差値いくつだったよ?」

「68」

「勝ってんじゃん」

「ゴルフならな。お前いつも70超えてんじゃん。俺はお前にいつも勝ってるな」

「ゴルフならな」

 そう言って、二人は笑った。

「一日中、朝からゴルフに打ち込んで結果出すやつは褒められるのに、どうして俺たちって素直に褒められないのかな」

 春馬も食べ終わった弁当を鞄にしまいながら呟いた。

「俺、模試でいい成績出すと褒められるぜ、親に」

「ほんとうに褒められてんのかな」

「どういう意味?」

「いいや、べつに」

 春馬は使い終わったノートを鞄にしまい、新品のものに替え、右手の拳でしっかりと折り目をつけ、馴染ませた。次の時間を担当する理科の小林が教室に入ってきて、前の時間に書かれた算数の体積の問題を黒板で消し始めた。

「褒められなくてもいいじゃん」

 柚月が宙を見て言った。

 和樹と春馬は黙って、とつぜん会話に介入してきた眼鏡の女子をしばらく見ていた。

 二人は、特に何も言わなかった。

 三人は同じことを考えていた。

 私たちは何かを待っている。何かとの出会いを。彼がゴルフというものに半ば強制的にでも出会ったように。私たちをきっと待っている、運命的な何かとの出会いを。

「じゃ、はじめるぞ」

 小林が何の抑揚もなく教室の中央に向かって言葉を吐いた。

 三人は強烈に空調の効いた進学塾の最前列で、分厚い理科の教科書を開けた。



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