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【短編】「完全脱能クリニック」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 047

 私の職場は完全脱能クリニックの受付である。

 駅前の小さな雑居ビルの6階。縦に連なる小さな看板のひとつに丸ゴシック体で記されたこの医院は、院長が18年前に開業したらしい。

 この町に生まれ育って21年も経つのに、私は就職するまでその存在にまったく気がつかなかった。駅前の風景なんてそんなものなのだろう。

 私はといえば、幼い頃から声優に憧れ専門学校を出たはいいが、夢とはほど遠いリアルな就職環境にズタズタに打ちのめされ、資格の要らない割に条件の良いこの職場をネットで見つけ一年前に就職した。

 全身のムダ毛をきれいさっぱりつるつるな状態にして差し上げる医院だとばかり思いこみ面接に臨んだら大きな勘違いで、そこは全国に類を見ない珍しい医院だった。

 「完全脱能です。だつのう。脱毛ではありません。」

 華奢なメガネをほっそりとした鼻にかけ直し、院長は気まずそうに言った。

 「さまざまなお悩みを抱える異能者さまの能力を脱能するクリニックです。」

 よく見るとエレベーター脇の小さな立て看板には医院の名の脇に「完全脱能!あなたのムダな能力キレイさっぱり無くします!」というキャッチフレーズが小さなペンギンのイラストとともに描かれていて、どうしてペンギンなのかと疑問に思ったが、それは単純に院長が好きだから、だそうだ。

 働き始めた当初はこんなところに来る客(というか患者)はいるのだろうかと訝しんだものだが、朝9時の開院から夕方5時まで、毎日、患者はやってくる。

 生まれもって何の才能もない私にはまったく想像もつかないが、世の中にはいろんな特殊能力を持った人間がいるらしく、北から南まで、わざわざこの医院まで遠路はるばる足を運ぶ患者さんも少なくない。

 予知能力者の小野さんもそのひとりだ。彼は長崎から通院していてすでに4回ほど脱能処理を受けている。だいたい皆さん5回から10回ほど、半年から1年くらいの通院で脱能を終え、晴れて何の能力も持たない平凡な人間になるのだが、小野さんの脱能処理も残すところあと2回となっていた。診察券を財布から出しカウンターに置いた小野さんは一ヶ月ぶりのいかにもオジサンらしい笑顔を私に見せて「どうも」と呟いた。

 「こんにちは。お掛けになってお待ちください」

 私が案内すると小野さんは嬉しそうに、

 「盆までには終わりそうだね」

 とハンカチで額を拭きながら、どっこいしょ、とソファに腰掛けた。

 「はい。今月と、来月が最後の脱能予定になっています」

 「よかった。今年の夏はもうあの数字を見なくていいって考えただけでせいせいする」

 小野さんがジャケットの内ポケットから扇子を取り出しパタパタと扇ぐと、隣に座っていた清家さんが声をかけた。

 「ひょっとして予知の方ですか?」

 「ええ。あれ、おたくも?」

 人よりも二回りほど大きい小野さんの地声で尋ねられた清家さんは、対照的に落ち着いた声色で

 「はい、予知です」

 と、答えた。

 手元の診察券をちらっと見ると小野さんは53歳、清家さんは56歳。近しいものを感じたのだろう。清家さんが聞いた。

 「数字、といいますと、日付ですか?」

 「いやいや、宝くじです」

 「宝くじですか?」

 「はい。毎年ね、大きな宝くじの季節が近づくと、その当選番号がぜんぶ頭の中に浮かぶんです。一等から六等まで、前後賞も含めてぜんぶ、です」

 「え、そんなことがあるんですか?」

 私は耳を疑った。実は私も小野さんの能力の内容を聞いたのはそれが初めてだった。プライバシーに関わるため、患者さんの能力は院内のスタッフにも開示されていなかった。もし小野さんの言うことが本当だとしたら、とんでもないことである。宝くじの発売は毎年、夏と年末に二回ある。一年に二回も億万長者になる機会を持つことになるではないか。

 「どうしてそんなに素晴らしい能力の脱能を?」

 私が思わず口に出してしまいそうだった言葉(おそらくそこにいたすべての患者さんとスタッフも同じことを思っただろう)を清家さんは、誰よりも落ち着いたトーンで聞いてくれた。

 小野さんは、珍しくわずかに声量を落として答えた。

 「一等の番号が思い浮かんだとします」

 「はい」

 「それはまず間違いない。この能力に気づいてから40年ほど経ちます。一回も外したことはありません。絶対に当たるんです。その番号は絶対に当選する番号です」

 「一回も外れたことはないのですか?」

 「ええ、一回も。過去40年、80回の宝くじにおいて、一等から六等まで、そのうちどれひとつとして外れたことはありません。宝くじの発売一週間前になるとそれらの番号が頭に浮かんでくるんです」
 
 「それはすごい。なんとうらやましい」

 私は喉元まで出かかった言葉を押さえるのに必死だった。おそらくその場にいた皆も同じ言葉を発するのを堪えていた。"小野さん、今年の番号を私に教えてから、脱能を終えてください。"

 「なんなら、来月あたり、今年の当選番号を言いましょうか。そろそろ思い浮かぶ頃でしょう」

 待合室は異様な静けさに包まれた。今、彼はなんと言った?全員の心臓の高鳴りが祭り囃子のように聞こえてくるかのようだった。一同、彼の言葉に耳を傾けた。

 「それを知って、あなたはどうやってその宝くじを買いますか?」

 「え?」

 「絶対に当たると分かっているその番号の宝くじはどこに売っていますか?」

 「それは...」

 「買えないんです」

 全員の沈黙の質が変わった。高揚は一転して落胆に化けた。小野さんはこれまで聞いたことないくらい静かな調子で続けた。

 「毎年、毎年、自分の頭の中にある数字が新聞に当選番号として発表される苦痛。分かりますか?世の中の人は、自分の手元にある番号が一等になるかもしれない、そんな期待とともに夏を過ごします。私は絶対に一等になる数字を知っているのに、それを手に入れることができない、そんなもどかしさを夏の間、ずっと抱え続けるのです。そんな能力、要りません。無い方がましです」

 待合室は悲壮感に包まれた。だれもが小野さんに共感し、残念な思いに涙をこらえた。

 「私も似たようなものです」

 清家さんが呟いた。

 「と、言いますと?」

 小野さんが聞いた。

 「私は競馬場に行くと、絶対にどの馬が何着でゴールするのか、見えるのです」

 「え?」

 今度は小野さんが目を丸くした。

 「映像です。馬がスタートをして、コーナーを回り、どんなレース展開をしてどんな順番でゴールするかが、まるでテレビ中継を見ているかのように完璧に分かるんです」

 「でも、馬券なら、私の宝くじと違って、買えますよね?」

 今度はその場にいる皆の声を代弁するのは小野さんだった。どうして、どうしてそんな能力を捨ててしまうのか、清家さん。

  「買えないんです」

 なぜ?馬券なら買えるはずだ。私は心の中で絶叫した。

 「頭の中で映像が流れ出すのは、スタートする2分前なんです。」

 「と、いいますと?」

 「馬券の締切は何分前かご存知ですか?」

 「いえ…」

 「1分前です」

 「1分。だったら2分前に映像が浮かんでから1分、1分も、馬券を買う余裕があるじゃないですか!」

 小野さんは声を荒げた。私も、おそらく皆も心の中で同じことを叫んだ。

 「頭の中で馬がゴールするのは、どんなに短いレースでもだいたい1分後なんです。早送りはできないんです。つまり頭の中で馬がゴールすると同時に馬券が締め切られるのです」

 待合室が重い沈黙に飲み込まれた。それ以上の会話は生まれなかった。

 「清家さん、どうぞ診察室へお入りください」

 私は努めて平静に、これまでの会話がまるでこの世のどこにも存在しなかったかのように、凡人としての仕事を勤めあげた。

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