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【短編】「7days」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 032

 スクランブルエッグをつくろうと思い、冷蔵庫から卵を取り出し、ボウルに割ると、とろりと美しい青が落ちた。

 空だった。

 どこから見てもそれは卵ではなく、空で、清々しさに満ちあふれていた。

 私は冷蔵庫から取り出した卵パックを睨んだ。つい昨日、近くのスーパーマーケットで買った六個入りパックの卵だった。

 月曜日の早朝で、外はまだ暗い。昨日は同僚のナツコとワインを二本も空けたし、まだ寝ぼけているのかもしれないと思い、私はボウルに顔を近づけてじっと目を凝らして見てみたが、それは、どこからどう見ても空だった。

 すっと鼻を吸ってみると、高原を思わせる不純物の混じっていない晴朗な空気が肺一杯に広がった。

 スクランブルエッグがない朝食なんて、私にとって、くまのプーさんのいないディズニーランドくらい不完全だ。

 私はそれが空であろうとなんであろうとかまわないと思い、泡立器でボウルの中身をぐるぐるとかき混ぜた。
 
 だが空は明るいところと暗いところに分かれるばかりで、いっこうに泡立たない。

 もったいないと思ったが、仕方ないので諦めて、二つ目の卵を割った。

 白いモコモコしたものがボウルに広がった。雲のようだった。この卵は私にどうしても朝食を作らせたくないらしい。

 私は意地になって三個目の卵を割った。

 どろっと、大地がボウルに落ちた。

 大地から海が沸き出し、ボウルの底に広がった。大地の表面には薄らと緑が広がっている。カビだったら嫌だな、と思ったが、ようく見ると森林のようだった。

 ボウルの中にはストックフォトにあるような美しい風景が広がっている。

 すくなくともこのままではスクランブルエッグはできそうにない。

 ボウルの中身をシンクに捨ててしまおうかとも思ったが、これはこれで美しい。すこし、もったいない気がした。それにこの美しい風景の中でつくったスクランブルエッグは美味しいだろうな、と思ったし、なによりセール品ではなかった卵パックのうち、もう半分を使ってしまっている。

 四個目の卵を割った。月と太陽がボウルの中にコロンコロンと転がった。

 いまやボウルの中はメルヘンチックで素敵な雰囲気だが、お腹に溜まりそうな気配はない。私が食べたいのはふつうのスクランブルエッグだ。

 卵は二個しか残っていない。私はため息をついて、そのうちの一個を割った。

 すると、ついに卵から黄身と白身がどろりと垂れた。

 よかった。と思ったのもつかの間、黄身と白身はすぐにヒヨコになり、鶏へと成長してしまった。ボウルの中でコケコッコとけたたましく鳴いている。遠くではいつの間にやら牛たちが草原をのどかに歩き、草をもしゃもしゃと食べている。

 うすうす気づいていたが、わたしは最後の一個を割った。

 卵からわらわらわらとボウルの中に落ちた人間たちは、破竹の勢いで都市をつくり、あっという間に、我が家の小さなボウルを支配してしまった。

 わたしはどっと疲れてしまい、スクランブルエッグは諦め、その日は会社を休むことにした。会社に連絡をしようと思い、スマートフォンのディスプレイを見ると、月曜日の朝だったはずが、いつの間にか一週間が経ち、日曜日になっていた。

 わたしは、寝室に戻り、ベッドに倒れ込んだ。

 キッチンのボウルはどうしよう。すこしもったいないけど捨ててしまおうかな。起きたら考えよう。

 わたしはスクランブルエッグが食べたかった。

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