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【短編】「モノモライ」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 090

 私が診察室でベルトを緩めパンツをすこし下げシャツをめくり上げると、女医は私の下腹部をしばらく凝視したのち、モノモライですね、と早口で言った。

 少し押しますよ。痛かったら痛いと言ってください、と言って女医は直径三、四センチメートルほどの突起を押した。私は別段痛くはなかったので痛いとは言わなかった。女医は何かをカルテに書き込んでいたがその筆跡はジャクソンポロックの贋作にしか見えなかった。

 もう何院もの病院を渡り歩いたがこの腫瘍なのかデキモノなのかニキビなのか分からないナニカを治癒できる医者に出会うことはなかった。

 多くは原因不明の腫れ物と診断を下し、レントゲンを撮る、血液検査を行う、などの処置を行い、それが悪性腫瘍などの重篤な症状でないと分かると、経過観察として放置したり、当たり障りのない抗生物質やステロイド薬を処方するなどして帰すか、親切心か責任回避かは知らぬが大学病院への紹介状を書いたりした。

 「切ってもいいけど」

 と、女医は言った。

 「切る?」

 すぐさま女医は言い直した。

 「目薬で抑えられるかもしれないけれど」

 「目薬?」

 私は耳を疑った。目薬。デキモノは私の下腹部にできているのだ。こんなところに目はついていない。

 このデキモノができたのはいつからだったか。もう二十年ほど前になるだろうか。まだ十代だった頃、風呂上がりに鏡の前に立ったときにヘソの下あたりがうっすらと赤いことに気づいた。汗疹かなにかだと思い、気にしなかったのだがそれから二ヶ月ほど経つとデキモノは今の大きさほどになり、それ以来ずっと私の下腹部にはこの丸い大きなボタンがついている。

 このデキモノを指の腹でなぞるのを好む恋人がいた。まるで赤ちゃんのお尻を撫でているみたい、と彼女は言った。私は赤ちゃんのお尻を撫でたことなどなかったので、答えに困ったが、当時まだ十代だった彼女もおそらく赤ちゃんのお尻を撫でたことはなかったのではなかろうかと思う。

 「この目薬を出しときますから、一日に四回毎日差してください」

 そういって女医は私に目薬を見せた。私は頷いた。

 「ぜったいに、四回、差してください。朝、起きた後、昼、夕方、寝る前、四回です」

 「分かりました」

 「絶対に差せますか?四回、毎日」

 「はい。頑張ります」

 「頑張る頑張らない、ではなく、一回も忘れずに差せますか?」

 「はい。がんば、いや、差せます」

 「やっぱり切りますか?」

 「え?いや、切るというのは、つまり、手術、ということですか」

 「はい。摘出します」

 「どうでしょう。そのほうがいいのであれば」

 女医は沈黙した。私も沈黙した。小さな診察室に秒針の音だけが響いた。

 「目薬で抑えられるかもしれませんので、目薬で様子を見ましょう」

 「分かりました」

 「はい、もういいですよ」

 「ありがとうございました」

 私は立ち上がり、診察室を出ようとしたが、その前に女医に一つだけ聞いた。

 「どうして、モノモライだと?」

 「見れば分かります」

 女医はカルテから目を離さず早口で呟いた。言葉はため息に紛れ込んでいた。

 「そうですか。ありがとうございました」

 私は診察室を出て控え室のソファに腰をかけた。受付のナースがおかけになってお待ちください、と、私が腰掛けた後に呟いた。

 私はふと思い立ち、診察室に戻った。女医が顔を上げた。私はしどろもどろになりながら、

 「あの、モノモライだとしたら、人に…」

 「モノモライは伝染りませんから、大丈夫です」

 女医は早口にそう言うと視線をカルテに戻した。

 「あ、そうなんですか、ありがとうございました」

 私はなんだか安心したような恥ずかしいような思いになり、控え室に戻った。モノモライを指でなぞっていた恋人のことを思い出していた。

 私はそれから毎日自らの下腹部に一日に四回、必ず、点眼することにした。


 だが、いつまでたってもモノモライは治らなかった。




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