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SDGs 5番とカネカや#KuTooと当事者性(エシカル100考、24/100)

SDGsの5番「ジェンダー平等」は、17項目のすべてに関連するものでありながら、各国からのアンケートでは最も遅れている項目だと、国連広報部の方がお話しをされていた。

WOMAN EXPO TOKYOという場であったので、特にメッセージとして協調された部分もあると思うが、輝かしくもジェンダーギャップ指数110位の日本においては、SDGs5を巡り「社会通念」と「社会が目指すゴール」とのズレは言うまでもなくとても大きい。

それは、当事者性の欠如みたいなことかもと思う。

ジェンダー不平等、性差別、男尊女卑依存社会(by斉藤章佳先生)というのは社会の仕組みとして随所に染みわたっているし、そこからの脱却は誰もが当事者だし、誰もが無意識バイアスにとらわれていて間違いをおかすことがある。

でも、なにかそこで課題や間違いがあったとき、それはジェンダー平等にからむことだと考えず、別の問題ととらえてしまう傾向が、旧態依然の「社会通念」にはあるのではないかと、ふと思った。

カネカの件で多く読まれているブログ記事の「世間とではなく、退職した社員とカネカとの(法的な)戦いだと思ってしまった」という的確な指摘。ジェンダーというか人の在り方が「社会が目指すゴール」に向けて変わっているということととらえず、法的に正しいかという問題ととらえてしまった悪い意味での好事例。

また職場でのパンプス強要にNOという#KuTooのアクションに対して、発起人の石川優実さんが葬祭業で働いていらっしゃるということから、「どの会社だ?」「業界がそうなのか?」という詮索があるのも見た。

いや、どこかの会社や業界がおかしな規則を強いてるからやめようというアクションではなく、女性だけ痛みを伴いやすい靴を強いられるのは変だよね、そういう片務的なジェンダーロール押し付け的なものを脱そうねというもっとメタな話しだろうになーと思う。

さらには、TVなどでは「痛くないパンプスの履き方」なんぞも放送されたそうで、問題のすり替えがすごい。

国連広報の方がおっしゃっていたように、SGDs5って他のあらゆることに通底しているのに、なんでそれを直視せず法的な問題や会社・業界の問題や暮らしのワンポイントみたいなことにすり替えようとしちゃうんだろう。

SDGs5は「ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る」なので、男性は関係ないよと思っている人が多いのだろうか。いわゆる途上国の女性についてのこと、と思われているのだろうか。

生理のことは男性は関係ないと思っているみたいに。不妊については男性は関係ないと思っているみたいに(不妊の原因の50%は男性なので、関係ないことない)。

今までの社会は「男の子の人間性を抑圧しているのです。私たちは男らしさを「とても」狭い意味に考えています。男らしさが固い小さな檻になって、この檻のなかに男の子を閉じ込めているのです」。そのことで「彼らに「極めて」脆いエゴをもたせてしまう」。「そうしておいて女の子には、もっと甚大な危害を加えています。男のその脆いエゴの欲求を満たしてやれと彼女たちを育てるのですから」。

そうチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』にあるのは、もっともだと思う。男性も(その他のセクシュアリティも)、ジェンダー不平等、性差別、男尊女卑依存社会ということについて当事者で、加害者であり、被害者だ。

https://note.mu/tetsuji178/n/nb957bf8b5d32

ジェンダー平等について、一見すると関係ないんじゃない?ってことも根底を探れば性差別などにからむことが多くあると思う。問題のすり替えをせず、そのことを直視していろいろ考えていく方が、生きやすい社会になっていく、「社会が目指すゴール」に近づいていくだろうな、と思う。

SDGs5について、すり替えず、当事者として直視して対話する社会へ。

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