音楽と外国語の習得プロセスと日本人が抱える問題について。
音楽と言語、別物のようですが、「気持ちを伝える」表現メディアという共通点があります。音楽の場合は言語のように誰が見ても同じような理解ができるものではなく、言葉にできない気持ちだったりそれを聞いた各人の中で勝手に気持ちやイメージが与えられるだけなのですが。
音楽も外国語もその習得プロセスはほとんど同じです。音声を記号化したものが文字や音符になるわけだから、譜面を見て演奏することは朗読するのと似たようなものに思えます。そして、日本では言語でも音楽でも教えるのは読み方とルールだけです。言語についていえば「聞く、書く、話す」についてはほとんど教えません。そして音楽も同じなので、「作曲、トランスクリプション、インプロヴァイズ」は教えられません。学校という集団教育の現場では物理的に難しいということもあるでしょう。結果として、英語は読めるけど自己表現はできない、という人が大半となってしまいます。音楽でもインプロヴァイズで自由に自己表現をしようという人は極めて少なくなってしまいます。英語で自己紹介をするときに躊躇するロジックとアドリブ吹いてごらんって言われて尻込みするロジックは同じなんです。曰く「恥ずかしい」「やったことない」「発音悪い」「下手くそだから」などなど。
物事を学び、上達するプロセスは①「ルールを学ぶ」②「ルールに則って練習する」③「上達する」という流れがあります。ゲームでもスポーツでもなんでも同じです。ところが、なぜか日本人の多くが自己表現を含んだことの学びにおいては②のプロセスで躊躇しちゃうんです。恥ずかしい、と。囲碁将棋、スポーツなどで初心者の下手くそでも必死になって練習することはできるのになぜか自己表現では羞恥心が前に出てしまうんです。これ、ものすごく大きな損失だと信じて疑いません。なぜか物事は「間違えながら上手くなる」ということが忘れられてしまうんです。その間違え方でさえその人の個性なのですが。一昨年ニューヨークに行ったときに、「日本人は話さないから何を考えてるかわからない」って複数の人に言われました。学校で音楽や言語というコミュニケーションツールを学んでいるはずなのにコミュニケーション能力が圧倒的に国際的に見て劣後しているように思えるのです。ここは変えていかないといけないのではないか、と。
ここでは音楽、特にジャズインプロビゼーションのことを中心に書いていきます。音楽でも言語でもなんでも、「自己表現する」ということについてポジティブに考えていけるようなことを発信できれば、と。
よろしくお願いします。
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